41.夏の海での思い出づくり
夏休み到来!
友達の家でのゲーム、キャンプ、フィッシング、海水浴、プール、駄菓子屋で買うアイス、海の幸や実り豊かな農作物を使った夕食、と夏休みは子供たちにとってお楽しみがいっぱいである。
そしてその楽しみのうちの一つを、思い出づくり同好会のメンバーは今まさに楽しもうとしていた。
「わぁーーーっ! 海だぁーーーっ!!」
堤防沿いの駐車場から一望できる真っ青な海を眺め、大きな瞳に水色の輝きを浮かべたなぎさが大声で見たままの光景を口にした。
非常にシンプルな感想だが、それも仕方があるまい。なにせ彼らが住んでいる鶴山市はその名に山の字が入っている事からわかるように、山間部にある。海とは縁遠い場所で暮らしているため、いざ来た時の喜びも一入なのだ。
「お兄ちゃんすっごいよっ! 海だよ海っ!」
「見りゃわかるって。そこまで混んでもなさそうだしラッキーだったな」
大きめのクーラーボックスを肩から提げた玲治も、なぎさの隣で同じように海岸線を眺める。ここへ引っ越してくる前は家のすぐ近くに海があったため、なぎさのように大きな感動は無かった。
それでも、海というものは何故かテンションが上がるものだ。よおし張り切って遊んじゃうぜ! なんて気持ちが胸の内にひっそり芽生えてくる。
「みんな荷物をちゃんと分担して持つのよ」
「パラソルは私が持ちましょう、先生」
車のバックドアを開けて中の荷物が渡されていく。比較的重いものは男子に分配されていくが、なぎさはその対象外であり、彼の担当はレジャーシートだ。
玲治は全員分の飲み物が入ったクーラーボックス。中身は相当重く、さっきから何度も肩を回してベルトを掛けなおしている。多気も同じく重い荷物として、折り畳みの椅子を何脚も両脇に抱えて歩き辛そうだ。
あきらが車の中から大きめのパラソルを二本持ち出し、他に持っていくものが残っていないかを確認した香良洲がバックドアを閉めて車の鍵を閉めた。
「さて、それじゃあ砂浜の方に行きましょうか」
「ちょっと待ちなさいよ! なんでアンタだけ何も持ってないわけ!? 不公平だわ!」
小さい身体で大きな不満を表した笠良城。彼女は自分の私物が入ったバッグに加えて、玲治と多気のバッグも肩から提げていた。二人の分の荷物は大きくも重くもないので負担はないだろうが。
一方香良洲は自分の荷物しか持っておらず、笠良城に食いつかれても涼し気な表情を浮かべていた。
「仕方がないだろう小物くん。先生は車を運転してくれているんだ、荷物持ちまでやらせるわけにはいかないよ」
「う……ま、まぁそうだけど……」
「僕と玲治の荷物も重くはないだろう? なぎさくんの次に楽な役回りなんだ、いいじゃないか」
「アンタらの荷物持ちってのがなんか気に喰わないのよね……いいように使われてるみたいな感じがして」
疎ましそうに多気の鞄を睨む笠良城。清々しいくらいに白い色をした鞄の持ち手の部分には、キザったらしい筆記体で多気燕と小さく刺繍がされている。
「ちゃんと運んでもらうよ小物くん。途中で落としたりしないようにね」
「わかってるわよ! 偉そうにすんじゃないわよ!」
駐車場を後にして、同好会ご一行は砂浜の方へと向かって行った。
久しぶりに踏む砂の感覚に、玲治は歩きにくさと懐かしさを感じて、口角を少しだけ上げる。
昨今ではマナーの悪い海水浴客によって砂浜はポイ捨てされた空き缶やらゴミやらが海岸のいたるところに目につくという、胸痛ましいニュースなどがテレビで取り上げられることも多いが、ここは綺麗なものだ。
砂浜にはゴミ一つ落ちておらず、砂もきめ細かい。海は驚くほど透明で青く、そして今日は雲一つない晴天ときている。
玲治の心も晴れ晴れとしたものだった。
「よし。ここらへんでいいだろ。シート敷いてくれなぎさ」
「はーいっ」
海と同じ色をしたレジャーシートを砂の上に敷き、風でめくれてしまわないように玲治となぎさは靴を脱ぎ、四つ角にそれぞれ重しとして置いていった。
それからはてきぱきとあきらがパラソルを立て、多気が椅子を置き、あっという間に彼らの陣地が出来上がる。人数も多いため中々に広々としたものだ。
「さて、と。設営も終わったし、早速水着に着替えてこようか」
「そうね。更衣室はあの海の家の隣にあるはずよ」
香良洲が指を指したのはすぐ近くの海の家。年季の入った木製の建物には「なんくるないさ」と大きな看板が掲げられており、なんで沖縄なんだ? と玲治は思った。
海の家の左右には男女で分かれた更衣室が設置されており、右側が女性、左側が男性、そしてそれぞれにシャワー室があった。
「全員で行くわけにもいかねぇよな。貴重品とかもあるわけだし」
「ふむ。先に女性陣に着替えに行ってもらおうか。そのあと僕たちも着替えてこればいいからね」
そう言って多気は自分が運んできた椅子に腰かけて、クーラーボックスの中からペットボトルを一本取り出して飲み始める。彼はいたって普通に振る舞っているつもりだろうが、何故かとても優雅に見えた。
「そうさせてもらおう。行きましょう、先生、笠良城さん」
「なるべく早く着替えてくるわね」
「あたしの荷物ちゃんと見ときなさいよね!」
三人を見送ってから、玲治も手持ち無沙汰にクーラーボックスの中を漁りはじめた。
水と氷で満たされた中に、各々がリクエストしたジュースやらお茶、そして缶ビールなんかも入っている。それも一本や二本ではなく十本近くだ。成人しているのは香良洲一人なため、この量を一人で飲むのかと玲治は思わず苦笑いを浮かべる。
適当に缶ジュースを取り出して、カシュッとプルタブを倒す。
七月の下旬とはいえ既に気温は夏のそれになっていた。
何もしていなくても外にいるだけで汗が滲み、喉も乾く。パラソルで直射日光は避けられているものの、砂に反射する太陽光がじりじりと暑さをもたらし、玲治もあっという間に缶ジュースを一本飲み干してしまった。
「しっかしこの暑さ……海に来たのは正解だったな」
「まったくだね。この季節に山登りする人たちの気が知れないよ」
目の前に冷たそうな海があるのに眺めているだけ、というもの中々にキツイ。
はやく水着に着替えて飛び込みたいものだと玲治はもう一本、缶ジュースをクーラーボックスから取り出した。
「あ~お兄ちゃん、ボクにもなんかちょーだい」
なぎさもこの生殺しの状態が堪えられないらしく、間延びした声で言った。汗で前髪が額に貼り付き、うねっている。表情もどことなくふにゃけたものになっていた。
「オレンジジュースでいいか?」
「うん~、ついでに氷も取って~」
「氷? ……ってこれか、用意いいな」
なぎさが言っていたのは中に浮かぶ大きな氷のことではなく、袋に入ったクラッシュアイスのことだった。
缶と袋の二つを玲治が手渡すと、なぎさはプルタブを開けて一口飲んだあと、小さい開け口の中に小粒のクラッシュアイスをザラザラと入れていく。
「そんなことしなくても十分冷えてるだろうに」
「ちっちっち。わかってないなぁタッキー、こうしておけば置いといてもしばらく冷たいままだもんねっ」
「かしこいなぁ、なぎさは」
三人はだらだらとしながら女性陣の帰りを待った。
多気はいつの間に取り出したのかサングラスを掛けながらペットボトルの中の紅茶を飲み、なぎさはシートの上に寝転んで猫のようにうにゃうにゃ唸っている。
玲治がぼうっと他の海水浴客を眺めていると、カップルらしき二人組が丁度前を横切っていった。
男の方は髪を茶色に染めており、しかし清純そうな顔立ちをしている。仲良く手を繋いでいた女の方は、思わず目を奪われるくらいのプロポーションだった。着ている水着も中々にきわどい。
夏の海と言えば、やはりカップルがよく来るのだろうと思った。いつか自分もあんなふうに好きな人と手を繋いで、海で遊べるのだろうか。今まで彼女が欲しいとか、強く願ったことはなかったけど今は違う。
玲治の頭の中にぼんやりと浮かぶあきらの姿。
姉と弟という関係だが、それでも玲治の心はあきらに、男としての憧れを抱いている。
夏休み初日に学校の前で玄正に言われた、自分の心に嘘をつくなという助言。未だに玲治は自分の心に正直にはなりきれていなかった。
この気持ちは嘘じゃないとはいえ、あきら姉さんに伝えたところでどう思われるだろうか。下手すれば、きょうだいという関係にすらひびが入るんじゃないだろうか。
「――すまない皆、待たせてしまったな」
そうやってもやもやと悩んでいると、水着に着替えたあきらたちが戻ってきた。




