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40.「親父」の言葉

「なんでこんな所に――!!」


 思わずそう叫ぼうとした玲治だったが、素早く玄正げんじょうが彼の口に皺だらけの手のひらを押し付けてそれを阻んだ。

 何故かわからないが玄正の手からは甘い匂いが香ってくる。好物の饅頭でも食べていたのだろうか。


「静かにせんか玲治。叫ぶとあきらちゃん達に気付かれてしまうぞ?」

「むぐ……」


 確かに、今ここできょうだいに気付かれるのは玲治にとって喜ばしくない。

 せっかくあきらやなぎさの誘いを断ったのに、玄正がいるとなればそれを理由にまた誘ってくるに決まっているのだから。

 人差し指を立てる玄正に従って、玲治も声をひそめるように努めた。


「なんでこんな所にいるんだよ……!」

「なんでって、ほれ。お前今日から夏休みじゃろ? 元気にやっとるか直接様子を見に来たんじゃよ」

「来る前に連絡くらい寄越せよ……!」

「連絡ならしたじゃろ。さっき」


 さらりと言うと、玄正は歯を噛み締めながらくつくつと笑った。

 人を驚かせて揶揄って、そんなに楽しいかと玲治は目つきを悪くして睨みつける。


「あのなぁ……」

「まぁまぁ。たまにはこういうサプライズもよかろうて」

「ったく。相変わらずふざけたジジイだな。まるで子供じゃねぇか」

「あったりまえじゃろォ! わしはまだまだ少年よ。アッチの方も現役バリバリじゃ」


 自分の股間を指差しながら恥ずかしげもなく言う玄正に、むしろ玲治の方が恥ずかしくなった。高校の門の前で何を馬鹿なことを言っているのかと。しかもその言葉に嘘が無いとわかるのがまた悲しかった。

 見た目は完全に老人だというのに、元気すぎる。実家で暮らしていた時はこんなのと四六時中過ごしていたのかと、玲治は過去の自分を褒めたくなった。


「まさか夏休みのあいだ、ずっと俺の部屋に寝泊まりするとか言い出さないよな。いやだぞ俺」

「そんなことする訳無かろう。夏休みと言えば高校生活の潤いじゃ、野暮なことはせんよ。お前と少し話したら電車で帰るつもりじゃ」

「忙しい人だな……」


 そんなことならわざわざ出向く必要はなかったのではなかろうか。

 突発的過ぎる玄正の行動に、玲治の目が回りそうになる。

 先に下校していったあきら達の姿が見えなくなってきたので、二人もひそめていた声を元に戻し始めて話を続けていった。


「で。元気にやっとるか?」

「ああ、大丈夫だよありがとう。姉さんやなぎさとは仲良くやれてるし、友達も出来たよ」

「……好きな人は出来ておらんのか?」

「ぶふっ!」


 これまた唐突な質問に思わず玲治は噴き出してしまった。


「な、なんだよいきなり……!」

「青春と言えば友達・部活・恋人じゃろうがァ! その三つのうちどれか一つでも欠けたら青春を謳歌しているとは言えんぞ!」

「帰宅部とかモテない奴とか、色々な人に謝れ! 聞いたことないぞそんなの!」

「まぁ確かに儂の持論じゃが……しかしその様子じゃと、好きな人はおるようじゃのォ」


 玲治のリアクションはわかりやすく、その頬も少し赤みがかっている。

 玄正も流石は十六年間一緒に過ごしてきた父親だ。実の息子ではないにしろ全てお見通しといったところだろう。

 玄正はにたにたと笑いながら、玲治の足から頭へ舐めるような視線を送る。彼は心底楽しんでいる表情を浮かべていて、更に玲治の目つきが恥ずかしさによって悪くなっていった。


「そっ、そんなの誰だって気になる人くらいできるだろ……」

「ふむ……相手はもしかすると……あきらちゃんか?」

「な……なな、なっ……!?」


 全力で否定しようとした玲治だったが、その実、それは図星であった。

 初めて会った時から今に至るまで、玲治はあきらのことを一人の女性として気にしている。綺麗で優しいとはいえ実の姉。と今までその気持ちに自ら封をしていたのだが、それでもそういう気持ちを抱いていることに変わりはない。

 きょうだいに恋をするということは一般的に見て特殊な事だろう。しかし玲治はつい最近まできょうだいの存在を知らずに過ごしてきていたのだ。


 十六年という年月は大きい。玲治も既に一人の男として成長するという時期。

 今まで会ったことも喋ったこともない姉を、姉としてだけ見ろと言うのも酷な話だ。


「ち、ちがっ、ちがぅ……!」

「そんなに慌てておったら、もう肯定しとるようなもんじゃろ。隠さんでもよいわい」

「う……お、おかしいとか、思わないのか」

「儂は仮にもお前の親父じゃぞ? 息子のことを否定する親がどこにおる」

「……親父」


 先ほどまで玲治を揶揄っていた玄正だが、もう茶化すような態度は取っていない。

 とても真剣そうな表情で、真っ直ぐに玲治のことを見つめていた。


「そうか。やはり好きになってしもうたか」

「……うん」

「何もおかしなことではない。男と女じゃ、好きになってしまうのも当然じゃて。世の中にはもっと複雑な恋愛もあるからの」


 と、玄正は玲治に背を向ける。


「儂はどんな形であろうとも、お前の恋愛は応援しておる。決して、自分の心に嘘をつかないようにせいよ? お前は人の嘘は見破れるが、自分の嘘は自分でも気づけんじゃろうからの」

「お、おい……親父!」

「儂ァもう帰るよ。いつも見守っておいてやるから、好きに恋して好きに生きろ玲治。夏休みも存分に楽しめよ」


 振り返ることなく、玄正はそのまま歩き去って行ってしまった。

 取り残された玲治はしばらくその場から動くことが出来ず、玄正の言葉を頭の中で繰り返す。

『自分の嘘は自分でも気づけない。好きに恋して好きに生きろ』

 多分、背中を押してくれたのだろう。

 玲治は抱えていた胸のつかえが、少しだけ外れかけた気がした。


「……何だよ。もう」


 ばつが悪そうに呟いて、玲治はそのまま家へと帰っていった。

 目つきは悪いままだが、どことなく爽やかそうな表情を浮かべて。

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