39.様子がおかしい姉と弟
七月の下旬、鶴山高校では終業式も終わり、生徒たちは待ちに待った夏休みの到来を喜んでいた。
体育館で強面の校長先生から長ったらしい話を聞いた後、それぞれの教室へ戻り、ホームルームも滞りなく終わると生徒たちは一目散に下校していく。誰も彼もが解放感に満ち溢れた表情を浮かべていた。
他の生徒と同じように、玲治も下駄箱で靴を履き替えて校門へ向かう。本日は思い出づくり同好会もお休みだ。
彼の隣にはくるくると回りながら鞄を振り回すなぎさと、穏やかな微笑みを浮かべるあきらの姿があった。
「なっつやっすみー♪ なっつやっすみー♪」
「なぎさ。そんなに回っていては目も回すぞ?」
「えへへー、だって嬉しいんだもんっ……てうわわっ!」
なぎさが地面の凹凸につま先を引っ掛けてしまい、バランスを崩して倒れそうになる。
しかしすぐに玲治が彼の身体を抱くようにして支えた。
「っと! バカ、はしゃぎすぎだぞ」
「う、うん……ありがとうお兄ちゃん」
ただ転びそうになったのを助けられただけだというのに、なぎさはお礼を言う時にひどく照れながら、艶っぽい視線を玲治に送った。男のくせに妙に色気を感じさせる目つきだ。
「玲治。流石はお兄ちゃんだな、偉いぞ」
「ちょっと、姉さん……」
そこまで褒められるようなことをしたわけではないのに、あきらは玲治の頭を優しく撫でる。彼女の目つきは、玲治をとても慈しみ、愛でているようなものだ。
(……最近、やっぱり変だよな)
玲治が鶴山市に引っ越してきてから三ヵ月ほどが経ったが、彼はここ最近、きょうだいの態度の変化をひしひしと感じ取っていた。
どういった変化かというと、なぎさの方は前に比べてたびたび女の子っぽい仕種や素振りを見せるようになった。まるで恋する乙女のような目で玲治を見ることが多くなり、抱きついてくるときも、きょうだいのじゃれつきというよりかは別の意味があるように思える。
しかしそんな態度も、二人きり、もしくはあきらを含めた三人だけのときだ。普段はいつも通りなのだが。
そしてあきらの方はというと、前よりもさらに優しくなった。事あるごとに玲治の頭を撫でるようになったし、色々と世話を買って出ようとすることも多くなった。それは姉として弟の世話を焼くというものよりも、もっと献身的で、愛情深いもの。例えるとするならば我が子を愛玩するよう母親のようだ。
二人の様子が変わり始めたのはそれぞれ別の時期だったことを、玲治は思い出す。
あきらの様子が変わったのは四月の終わり頃、桜声館での肝試しが終わった後からで、なぎさの方は六月に遊園地へ遊びに行った頃から変わり始めていた。
その二つとも思い出づくり同好会の活動で行っただけで、特に変わったことは無かったと玲治は思っている。だからこそ、二人の変化が不思議であった。
「ね、ねぇお兄ちゃんっ、今日はうちに遊びに来ないの……?」
「ん? 今日はやめとこうかな、家の掃除とかしたいし……」
「なら私が手伝いに行こうか? 何なら晩ご飯も作ってやるぞ?」
「い、いいって! そこまで世話になれないよ!」
いつもこの調子だ。なぎさは頻繁に家へ来るように誘ってくるし、あきらは逆に家に来ようとしてくる。別に嫌な気はしないのだが、玲治も年頃で、一人の時間が欲しかった。
「そんなこと言わずに、ねっ? また一緒にお風呂入ろうよぉっ」
「私はお姉ちゃんなんだ、困ったことがあったらいくらでも手伝うぞ」
生半可なことでは断り切れない二人の押しに、どうしようかと玲治が困っていると、そこへ助け船がやって来た。
ピリリリ、と玲治のポケットの中から着信音が鳴る。しめたと思いつつ玲治はすかさず、相手も確認せずに電話に出た。
「はい、もしもし――?」
『おォ玲治! しばらくぶりじゃのォ!』
ちっとも変わらないその大声は、玲治の育ての親である嬉野玄正のものだった。
驚いた玲治は二人から少し距離を取り、声をひそめながら返事を返す。
「いつも急に掛けてくるよな親父……一体なんだよ?」
『いやァ、何故だかお前さんが助けを求めとるような気がしてな! 何となく掛けてみたのじゃよ』
「……エスパーかアンタは」
まさに玄正の言う通り助けを求めていたところだ。どうやってそれを知ったのか不思議でならない。もしや血統の力か、と頭をよぎったがそれは無いと玲治には断言できた。
小学生の頃に直接聞いたことがあったが、玄正は血統を持っていないとはっきり言っていた。玲治には嘘を見抜く血統があるため、それは真実に他ならない。
『ところで玲治、あきらちゃんやなぎさくんは一緒か?』
「ああ、一緒だよ。今それでちょっと困ってたんだ」
『ふむ……? なら丁度よい、二人には電話が長くなりそうだから先に帰ってくれとでも伝えておけ』
「ん、わかった」
言われた通りに二人に伝える玲治。
なぎさもあきらも、残念そうな顔をしたが、別れ際はしっかりと笑顔で去っていった。
「むぅ……」
「仕方がないな。また来週会えるから、そんなに落ち込むな、なぎさ」
「うん……お兄ちゃん、また来週ねっ!」
「気を付けて帰るんだぞ玲治」
二人の背中を見送ってから、玲治は再びスマホを耳に当てる。
「待たせたな」
『おーう。にしても玲治、あきらちゃんとなぎさくんは実際に間近で見るとまた一段と可愛いのォ。学校でもモテモテじゃろう?』
「……は? 今なんて言った?」
『じゃから、お前の弟と姉は、間近で見ると可愛いのぉと――』
スマホを持った腕を大きく前後に振り、玲治はすぐさま校門の方へ走った。
今の台詞はどう考えてもおかしい。丁度いまさっき、二人は校門を出ていったところだ。
まさかそんなはずは無いだろう。むしろ間違いであってほしい、そんな思いで走った玲治を待ち受けていたのは、目を疑いたくなるような光景だった。
「――おう玲治! 久しぶりじゃのォ!」
「な、なな、な……!?」
黒い袴に下駄姿。
見慣れた姿の親父が校門の前で、にかっと歯を見せて笑っていた。




