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36.夏から始まる部活と恋と……

 ――七月。

 春の心地よい陽気は過ぎ去って本格的な暑さが始まり、低い雲の上から太陽がぎらぎらと照りつける季節。夏がやってきていた。

 鶴山高校の生徒たちも夏服に衣替えしており、半袖のカッターシャツの白色が夏の訪れを感じさせる。男子生徒はこの季節になると妙に色めき立つものだが、その理由はひとえに女子生徒の夏服にあった。


 半袖になったことで、女子のきめ細やかな白くすらりとした腕のほとんどがあらわになるだけか、腕を上げると柔らかそうな腋がちらりと見え隠れする。

 そして夏の暑さに滲む汗。その汗にシャツが濡れると、当然透ける。ちゃんと透けブラ防止のためにアンダーシャツを着こむ女子も多いが、中には気にせずか忘れてか、下着の上から直にシャツを着る生徒もいた。

 そうすると男子の目は釘づけだ。


 そして今、シャツから下着を透けさせた無防備な女子生徒がひとり、空調完備の生徒指導室に呼び出されて、襟元に指を引っ掛けながら揺らしていた。


「あ~涼しい~……先生たちってズルいわよね。教室よりも設定温度が五度くらい低いんじゃないの」

「……笠良城かさらぎ。貴様なんで呼び出されたかわかってるのか?」


 生徒指導室に呼び出されていたのは一年A組、笠良城かさらぎ菰野こもの

 厳格な雰囲気漂うこの室内で、彼女は少しも反省の色を見せずに涼んでいた。


「なんでって、担任があたしの鞄を勝手に見て、中に入ってたコレクションを没収なんかしたからでしょ、三雲みくも先生」

「その自覚があるなら、もっと反省しろ! これは生徒指導で、涼みながらお茶してるわけじゃないんだぞ!」


 と、机をドンと叩きながら言ったのは生徒指導室のヌシと呼ばれ生徒たちから恐れられている女教師、三雲みくも千鶴ちづるだ。

 深緑色のウェーブがかった髪とシンプルなデザインの丸眼鏡から、知的で落ち着いた印象を抱くが彼女の性格はまるで真逆。一度怒らせると閻魔の如く激昂することで有名な教師である。


 こめかみに青筋を浮かべながら怒りをあらわにする三雲を前にしても、笠良城は鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 もとはと言えば学校にアナログゲーム類を持ち込んだのが悪いのだが、彼女は納得していなかった。


「ゲームを持ち込むのなんて皆やってることじゃない。っていうか、今の時代スマホがゲームみたいなものでしょ。あたしを咎めるならスマホを持ち込むことを禁止するべきだわ」

「確かに貴様の言う通りゲーム類の持ち込みをする生徒は大勢いる。スマホまで含めてその全てを指導しようとしたら全校集会レベルの規模になるだろうな。だから学校もある程度は許容している、ある程度は、だ!」


 反るくらいに力の入った三雲の指が、長机の上を指す。そこには生徒の鞄にどうやって入りきっていたのかと思える大量のゲームがごちゃごちゃと並べられていた。


「なんだあの数は!! 貴様学校を友達の家とでも思っているのか!」

「何よ! 友達作って一緒に遊ぶのも学校の楽しみの一つでしょ!」


 唸りながら睨み合う二人。まるで犬の喧嘩のようだ。

 今にもどちらかが手を上げかねないというくらいに一触即発の空気が漂うが、そのとき生徒指導室の扉がコンコンとノックされ、三雲は苛立った声色で返事を返した。


「チッ……誰だ!」

「取り込み中ごめんなさい千鶴。ちょっと来てもらっていいかしら?」


 扉を半分開けて顔を覗かせたのは三雲と同じく教師の香良洲からす冴子さえこだった。彼女は柔らかく微笑みながらちょいちょいと手を出して三雲を呼んでいる。

 その呼びかけに応じた三雲は、部屋を出る前に笠良城を一睨みして、勝手に帰ったりするなよ、と視線で釘を刺した。

 三雲が廊下に出て扉を閉め、苛立たし気に前髪をかきあげてため息を吐く。


「香良洲先生……学校では三雲先生と呼んでくれんかと、前から言ってるだろ」

「いいじゃない別に。何だかよそよそしくて嫌でしょ? 私たちもう十年来の友達なのに」

「はぁ……それで一体何の用だ香良洲先生」

「名前で呼んでくれなきゃ話さないわ♪」


 三雲はげんなりするような表情を浮かべて、二度目のため息を吐く。対して香良洲は何も気にしていない様子でにこやかなままだ。


「……何の用だ、冴子」

「実は千鶴がいま指導している生徒なんだけど……ちょっと問題があるのよ」

「問題ならいま私が指導しているところだぞ」

「違うわ、ゲーム持ち込みじゃなくて……生徒間での問題なの」

「生徒間の?」


 香良洲は扉の向こうにいる本人に聞かれないよう、小声になって続ける。


「一年A組の担任の先生に聞いたんだけど、あの子、友達が全然いないみたいなの」

「友達がいない? そんなワケあるか、あれだけゲームを持ってきているんだぞ」

「……きっと、友達と遊ぶためじゃなくて、友達を作るためだと思うわ」


 眉をひそめて三雲は扉のすりガラスを見つめた。ぼんやりとだが部屋の中にいる笠良城の影が、立ったままで制服の裾をぱたぱたと動かしている。

 三雲は笠良城のことをよく知らない。クラスの担任では無いし、廊下ですれ違ったりする程度で名前さえ知らず、今日の指導呼び出しで初めてまともに会話をした。そして笠良城に対して抱いた印象は不遜と傲慢。

 あの態度でずっと生活しているのかと考えれば、香良洲の話にもすぐに合点がいった。


「あの態度を続けていれば、そりゃ友達なんて出来んだろ」

「でも素直になれないだけなのよきっと。千鶴だって昔、あんな感じだったじゃない」

「むっ、昔の話はやめんか!」


 恥ずかしそうに慌てて言葉を遮り、三雲は眼鏡のブリッジを中指の第二関節で押し上げる。そのちょっと変わった癖も昔から何も変わっていないと、香良洲は口元を押さえながらくすりと笑った。


「冗談は置いとくとして、流石に七月になっても友達が一人もいないっていうのは問題だと思わない?」

「……いじめられたりしているのか?」

「それは無いみたいよ。むしろ他のクラスメイトは、あの子にちょっと近寄りがたいイメージを持っちゃってるみたいね。怖がってるってところかしら」

「クラスメイトに怖がられている、か」


 ますます持って昔の自分そっくりだと内心で思った三雲。しかしそれを口にすれば香良洲にまた揶揄われるとわかっていたから胸の内だけで収めた。

 ともすれば笠良城の友達いない問題はトラブルに繋がる、と三雲は本格的にどうするべきかを考え始めた。生徒の非行はしっかり正し、悩みは解く。それが彼女の教師としてのプライドなのだ。

 と言っても、閻魔のあだ名を持つ彼女に相談を持ち掛けようというもの好きな生徒はこの学校にほとんどいないのだが。


「しかし難しいな。友人関係の拗れならば何とかできるものだが、そもそも友達がいないのを教師がどうにかするというのは……」

「千鶴、私に考えがあるのだけど」

「ん? 生徒の自主性に任せる、が口癖の冴子が珍しいな」


 と、香良洲は三雲の言葉に首をかしげる。

 それは「その通りだけど何か?」と言いたげな仕種で、彼女が何を考えているのかを長い付き合いが故に、三雲はすぐ理解できてしまった。


「冴子……もしかして、思い出づくり同好会に勧誘するつもりじゃないだろうな」

「当たり~♪」


 三度目のため息を吐き、好きにしろと言いたげに三雲は手をひらひらと振る。


「あそこは私たちの古巣でしょう? きっと楽しい学園生活を送れるようになるはずだわ」

「もーええ。アンタの勝手にしたらええわ……くれぐれもうちを巻き込まんといてや」

「千鶴、喋り方が昔に戻ってるわよ?」

「……! う、うるさい! とにかく笠良城のことは任せたからな!」


 つかつかとそのまま去っていく三雲の後ろ姿を見届けてから、香良洲は生徒指導室の中へと入っていく。

 中でくつろいでいた笠良城は驚きの提案に、しばらく開いた口が塞がらないのだった。

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