31.肝試しらしさ
一番手である多気・香良洲ペアは、桜声館に入ってから二十分ほどが経過して無事に戻ってきた。その表情は入ったときとなんら変わらず、まるでちょっとお手洗いに行ってきて戻ってきたかのようにすら見える。
「待たせちゃったかしら?」
「入ってから二十二分……時間的には丁度いいんじゃあないでしょうか」
多気が右手首に巻いた腕時計を確認する。なんだかその仕種一つとってもわざとらしいものに映り、さらに時計のデザインも変わったモノだった。白と黒で彩られた文字盤に赤色の針、とファッショナブルなのかそうでないのか判断に困る。
あまりじろじろと見つめていると、聞きたくも無いうんちくでも聞かされてしまうと玲治はすぐに目を離した。
「どうだったタッキーっ? 怖かった?」
と、なぎさ。
無事に帰ってきて涼しい顔をしている二人にわざわざそう訊いても、返事は決まりきっている。しかしそれでも訊かずにはいられないなぎさの好奇心と期待は、涙ぐましいものであった。
「うん、怖いというよりかはそうだな、不思議な空間だったよ」
なぎさの期待を裏切らず、かつ嘘十割で語ってしまわないよう、絶妙な表現で多気が返した。その答えはほぼ満点と言える。なぎさの瞳の輝きが、先ほどよりも一層増していたのだから。
なぎさの胸にむくむくと期待が膨らんでいくなか、多気はズボンの後ろポケットからやけに日焼けした一枚の紙を取り出し、四つ折りに畳まれていたそれを広げた。
「おい多気、なんだそれ?」
「もしかして……廃墟に隠されとった、お宝の地図かなんかか!?」
そんなわけは無いのだが、寺内がそう思ってしまうのも仕方ないだろう。
なにせ多気の広げた大きめの紙、サイズがA2程度のそれの傷み具合や日焼けの度合いは、映画や漫画で見かける宝の地図にそっくりだったのだ。しかし、書き込まれていたのは地図は地図でも、宝ではなく桜声館の見とりの地図だった。
「ロビーと思われるところで見つけてね、少し拝借してきたのさ」
「見取り図か……っても、ところどころ印刷が消えちまってるな。やっぱり長年放置されてたらこうなるもんか」
「それでも読み取れる部分に沿って探索してきたんだけどね、中々に面白い場所もあったよ」
抽象的な表現を用いて意味ありげに微笑む多気に、玲治はうさんくささと不審さを感じずにいられなかった。自分の目で見るそのときまでの楽しみを残しておいてくれているのだろうが、今回は肝試し目的でここを訪れている。お楽しみイコール見えない恐怖に変わるのだと、多気はわかっていながらそう言ったのだ。
玲治が怪訝な眼差しを多気に送っていると、香良洲が横から、広げられた見取り図の上に薄くマニキュアの塗られた爪を滑らせた。
「ここ、見にくいけれど『大浴場・千本桜の湯』って書いてあるのわかる?」
香良洲が示したのは一階の一番奥。その大きさや、桜という字が入っていることから、以前の名物温泉であったことが窺えた。
「ここがどないしたんですセンセ?」
「一応、私たちも一階から三階まで一通り見て回ったのだけど、ここが一番印象的だったの。みんなにも是非ここは見ておいてほしいなって、多気くんと話していたのよ」
「印象的って……先生もぼやかすんすね」
「うふふ。だってここで言っちゃうと楽しみが半減しちゃうでしょ?」
くすくすと微笑む香良洲に合わせて、多気も同じように目を伏せて笑っている。
一体そこに何があるというのか、何を見たというのか。玲治はじらされているようでいい気分ではなかったが、逆になぎさには効果的な前フリになったようだ。
「えへへ……何があるのか楽しみだねみーちゃん!」
「せやなァ! 俄然興味が湧いてきたわ!」
拳を握りしめて意気込む二人を一歩退いたところで眺めていたあきらは、不安そうに眉尻を下げて、持ってきた数珠の連なった部分を指で撫でていた。
幽霊がひどく苦手な彼女にとっては、いま何を言ったところですべて不安材料にしかなり得ない。そもそも幽霊が苦手ではない他のメンバーの言う事など端から信用できたものではないのだ、自分の感性と違うのだから。
「そうそう、それと香良洲先生と相談してもう一つ、肝試しらしい仕掛けを用意しておいたよ」
「仕掛け? なんのこったよ」
「肝試しとは普通、目的地に行って帰ってくるものだろう? そして目的地までちゃんと辿り着いたかどうかを判別するために、必ずその証拠を用意しておく。それぞれの階の廊下とこの大浴場に、割った割り箸を置いてきた。合計四本の割りばしを持って帰ってくるように」
余計な遊び心を加えてくれたな、と玲治はあきらの身を案じて鋭い視線を多気に送ったが、涼しい顔で右から左に受け流されてしまう。
もしも探索中にあきらが怖がり過ぎてどうにもならなくなれば、途中で引き返してくればいいと考えていたのだが、強制的に見て回るように仕組まれてしまった。しかも、それに異議を唱えようとしているのは玲治とあきらだけで、なぎさと寺内はむしろ楽しみが一つ増えたと喜んでいる様子だ。
「よっしゃ! ほなあたしらも出発しよかなぎさちゃん!」
「うんっ! 三階から一階に降りて、最後にこの大浴場を目指そうね!」
「モチのロンや! 目玉は最後まで取っとくもんやからな!」
意気揚々と風を切りながら二人は桜声館の中へと入っていく。どうしてあんなに楽しめるのかあきらは不思議で仕方なく、弱々しい足取りで玲治の傍まで寄っていった。
「れ、玲治……本当に、あの中は楽しい場所なのだろうか……そう思い込んだ方がいいのか……?」
「わからん……けど、思ってたより怖く無さそうなのは事実だよ。俺たちの番になったらちゃっちゃと回って帰ってこよう」
「……ああ」
割り箸など無視してしまってもペナルティなどは無いのだが、玲治は割り箸を回収するつもりであきらに言った。
一応、今回の肝試しはあきらの苦手克服のチャンスでもあるのだ。せっかく香良洲に車まで出してもらって来たのだから、ある程度の収穫は欲しい。あきらのお化け嫌いが少しでも良くなれば御の字だ。
と、加えて玲治には思う所があった。
あきらと二人きり。
人目を気にする必要なし。
あわよくば吊り橋効果云々。
下心、といくほどではないが、少々のやましい気持ちは持っている。
もしかすると香良洲と多気が旅館内を回るように、時間がかかるように仕組んだのは玲治とあきらの二人きりな時間を増やそうと思ってのことかもしれない。そんなふうに思うのは玲治の思い込みだろうか。
ふと多気と香良洲の顔を見比べるように視線を送るが、どちらも感情が読み取れない微笑を浮かべているだけ。何もわかったものじゃなかった。
「にしても香良洲先生、貴女も憎めませんね」
「あらそう? 多気くんも人のこと言えないわよ」
「フフッ」
「ウフフ」
何の通じ合いなんだか。
あの二人はどこか似た部分があると思えた。聞けば多気は思い出づくり同好会に入ってからしばらく、ずっと香良洲と二人きりで活動を行ってきたという。その長年の付き合いが二人の性格を近づけたのか、それとも性格が似ていたから二人きりでずっと活動してこれたのか。答えは本人たちしか知り得ない。
と、その時。
なぎさ達が中に入ってからまだ五分と経っていないのだが、二階の辺りから何ともけったいな悲鳴にも似た叫びが外に漏れだした。
「うぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!! なんやこれえぇぇぇぇっ!?」
その声にびくりと肩を震わす玲治とあきら。声は明らかに寺内のものだったが、ただ事ではない声量だ。
不安と疑問が一気に頭の中で混ざり始め、玲治の額に冷たい汗を滲ませた。
「……お、おい多気。なんだ今の」
「さぁ? 床でも抜けたんじゃないかな?」
多気の口ぶりは絶対に何かを知っているものだ。何があったかを分かった上でとぼけているのだと、玲治の眼にはお見通しだった。
しかし玲治の血統は嘘を見抜くだけであり、真実を知ることなど出来はしない。あくまで彼がそこで知れるのは、床が抜けたのではないという情報だけだ。実際何があったのかは依然わからないままである。
そろりと首を動かしあきらの方を見てみると思った通り、先ほどとは比べ物にならないほど怯えてしまっており、数珠を握った手が震えてじゃらじゃらと音を立てていた。
これでは先が思いやられる。探索中にあきらが失神してしまわないよう、もしくは発狂してしまわないよう、どうすれば不安を和らげることが出来るだろうかと、玲治は責めるような視線を多気に送りながら頭を悩ませ始めるのだった。




