03.どうやら俺の妹は弟で、俺の兄は姉らしい。
四時限目までの授業は滞りなく過ぎていった。
玲治が以前通っていた高校と授業のレベルもそう変わらず、そこそこ地頭が良かったのも幸いしてノートを取る手もスムーズだった。
一つだけ玲治が気がかりだったのは、授業の合間の休み時間もやはり多気以外の生徒が話しかけてこなかったことだけだ。
「嫌われちゃってるねぇ玲治」
「俺のこの目つきのせいで人は寄ってこないからな。前の学校で慣れてる」
「人を見た目で判断するなんて滑稽だねぇ。まぁ僕は見た目で判断されてしまうほどカッコいいわけだけど」
玲治は休み時間のあいだに多気と何度か会話して、一つわかったことがあった。
それは多気が典型的なナルシストというやつであることだ。
芝居がかった口調に、自信過剰な台詞、何かとタメを作る仕種、余裕をありありと示した表情。そのどれもが気障ったらしいものである。
とはいえ、玲治はそんな多気と話していても嫌な気分はしていなかった。
これほどまでに自分のことを自信満々に語れる奴も面白いと思っていたし、何よりも多気の言葉の一つ一つが全て本心で言っていることだとわかっていたからだ。
虚勢を嘘の言葉で繕うのではなく、本心を心で語るその姿勢。ある意味では真っ直ぐとも取れる多気の性格を玲治は気に入っていた。
「ってか、休み時間のあいだ俺だけじゃなくてお前も話しかけられなかったろ。そっちこそ嫌われてるんじゃねぇのか」
「失礼な! みんな僕を嫌っているわけじゃあなく、僕の魅力が怖いのさ。僕に近づけば自分が自分で無くなりそうだと思ってしまい、おっかなびっくり距離を保とうとしているだけだよ」
「それも本心なのが感心するよ、ホント」
友達同士の他愛ない会話もそこそこに、一区切りついたところで玲治は自分のきょうだいについての話題を持ち掛けようかと思った。
玲治がわざわざ県外の高校に転校した理由は、ここに通っている自分の妹と兄に会うためだ。
引っ越しをする前に玄正から二人の名前は聞いてきてある。玲治はその名前を訊ねて、心当たりがないかどうかを確かめようとした。
「なぁ多気。この学校に、俺の妹と兄さんが通ってるらしいんだけどさ」
「なに? 離れて暮らしていたのか?」
「まぁそんなとこだ。それで、会ってみたいんだけど心当たりあるか? 嬉野って苗字で、名前は『なぎさ』と『あきら』って言うんだが」
それを聞いた多気は、何度か嬉野、なぎさ、あきら、と口に出しながら考えた。
そしてすぐに合点がいったようで右手の人差し指をぴんと立てる。
「嬉野あきらと言えば、あれだろうね。『学食泥棒』の嬉野さん」
「学食泥棒ぉ?」
「うちの高校は学食があるんだけど……よかったら今から案内するよ、嬉野さんも食堂にいるだろうからね」
そう言って多気は席を立ち、玲治もそれに続いて教室を出た。
食堂へ向かいながら多気は学校の学食について話し始める。
「うちの学食は結構評判が良くてね。毎日食べにくる生徒のために月間パスっていうのが販売されてるんだ」
「月間パスってのは、食べ放題券みたいなものか?」
「その通りさ。一万円で買えるんだけど、まぁ普通に毎日食べていたら元は取れるくらいの金額だね。だけどさっき言った嬉野さんはその数倍、いや数十倍の値段分は食べるのさ」
「……だから学食泥棒ってか」
もしもその学食泥棒が自分の兄だとしたら、と歩きながら想像する玲治。
みょうちくりんなあだ名まで付けられるほどなら、ひょっとするとかなり太っているのだろうか。あまりにも規格外な太さだったらどうしよう。その人に対して親しみを持ち、兄さんと呼びかけられるだろうか。
今まで思い描いていた兄の理想像は決してそんな体格をしていない。玲治はショックを受けないように、今のうちから理想と現実の差を出来るだけ縮めておこうと考えた。
そうしているうちに、食堂はもう目前。
多気は少し訝し気に眉をひそめながら、玲治に問いかける。
「しかし玲治、この学校に通っているのは君のお兄さんと妹さんなのだろう?」
「ああ、そう聞いてる」
「嬉野あきら、って名前の人が君のお兄さん?」
「そう聞いてる」
「おかしいなぁ、そんなはずは無いんだけど」
「ん? どうしてだよ」
「だって、ほら――」
食堂の入り口で多気はわかりやすいように指をさす。その丁寧に磨かれた爪の先には、大量の食器が重ねて置かれているテーブルがあった。
一目見ただけで明らかに、十人前くらいはあろうかという食器の山。そしてその隙間から見え隠れする、幸せそうな表情を浮かべた生徒が一人。
見たことも無い綺麗な白銀色の髪に、鼻筋の通った端正な顔立ち。
「――三年生の嬉野あきらさんは、女性なんだから」
「……はぁ!?」
学食泥棒の異名を持つ、嬉野あきら。この学校に通う三年生で、正真正銘の女子生徒である。
そう、どこからどう見ても女子生徒なのだ。玲治がどれだけ眉間に皺を寄せても、目つきを鋭くしても、現実は変わらない。
顔だけ見れば男女どちらとも取れるような中性的な顔立ちだが、あきらが履いているのは学校指定のスラックスではなくスカートだった。
「しかしあきらさんには流石の僕も一目置くよ。僕ほどじゃあないがかなりの顔立ちで、男女問わず大人気だからね。むしろ女子人気の方が高いくらいで……」
「ちょちょ、ちょっと待て。え、いや、同姓同名の人とかじゃないのか」
「いいや? この学校に嬉野あきらって人は彼女しかいないよ」
「え、じゃあ、え?」
ギャップ云々どころの話では無かった。
兄だと聞かされていた人物が、実際会ってみれば女。つまり姉だったのだ。玲治の頭の中は軽くパニックを起こしていた。
そして玲治には更なる混乱がもたらされることになる。
「ん? そう言えばあきらさんの隣に誰か座っているね。あのスリッパの色は、今年入学してきた一年生か」
「え……? あぁ、あの子か……?」
先ほどまで山積みにされた食器に隠れていて見えなかったが、確かにあきらの隣にはもう一人の生徒が座っているようだった。目線をテーブルの下に落とせば、一年生の履く緑色の上履きスリッパが見える。
その生徒は立ち上がり、食器の乗ったトレーを手に持つ。どうやら厨房の方へ返却しに行こうとしているようだ。
問題は、その生徒とあきらの会話内容にあった。思わず玲治が耳を疑ってしまう程に。
「じゃあお姉ちゃん、食器はボクが返してくるね」
「ああ、すまないな。なぎさ」
立ち上がった生徒はなぎさと呼ばれていた。はっきり、なぎさと呼ばれたのだ。
玲治は自分に、なぎさという名の妹がいると聞かされていた。
なるほど確かに、なぎさは抜群に可愛らしい顔立ちをしている。あきらと同じくらいに、男子の目をくぎ付けにしてしまいそうな可憐さだ。あきらが月のような麗しさだとすると、なぎさは太陽のような煌めきがある。
だがなぎさが履いていたのはスカートではなくスラックスである。
そう、つまり。なぎさは男子生徒なのだ。
「なぎさ……? 玲治、彼が君の言っていた『妹』なのかい?」
「……すまん。いま俺は何も考えられそうにない」
「ふーむ。僕の目がおかしくなったのか、それとも君の記憶がおかしいのか。どっちだろうねぇ」
「俺が知りてぇよ!」
玲治の頭は完全にショートしてしまった。
妹、弟、兄、姉。四つが頭の中でごちゃまぜになって何も考えられない。
怪訝な表情を浮かべる多気を横目に、玲治はとりあえず見たままの現実を受け止めることしかできなかった。
「どうなってるんだい玲治?」
「……どうやら俺の妹は弟で、俺の兄は姉らしい」