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29.ようこそ、桜声館へ

『間もなく、目的地周辺です』


 カーナビの無機質な機械音声がそう伝える頃、香良洲からすの運転する車は舗装もろくにされていない山道に入り込んでいた。

 目的地が近づいているとカーナビは言うが、周りは見渡す限りの背の高い林ばかりで建築物など一向に見えてこない。


「目的地の設定を間違えた……なんてことはありませんよね先生?」


 助手席に座っていた多気が懐疑的な声色で言いつつ、カーナビに表示されている地図に指を滑らせる。


「そんなはずはないわ。ちゃんと調べた住所を登録したのよ」

「ふむ……とりあえずこのまま道なりに進むみたいですね」


 しばらくすると道の荒れ方が一段とひどくなり、凹凸の上をタイヤが通ると車体ががたがたと大きく揺れる。

 その揺れで、後部座席に座って居眠りしていた玲治が目を覚ました。


 目頭を指でこそぎながらゆっくりと瞼を開けると、窓の外の景色が目に入る。

 見渡す限り見事な山奥だ。たしか眠りに落ちる前はちゃんと街中の景色が流れていたと、随分眠っていたことを自覚する。


「あっ、お兄ちゃんおはよう」

「ん……どこだここ?」

「もう寝ぼけてるの? もうすぐ桜声館おうせいかんに着くんだよ」


 夢から抜け出してすぐの頭で、玲治はぼんやりと思い出していく。

 そうだ。今日は思い出づくり同好会の活動として、心霊スポットと名高い廃墟、桜声館に出かける日だ。

 土曜日だと言うのに朝早くから起きて準備して、いつもながら体力を根こそぎ奪うような坂道を上って学校に行った。そこには既に香良洲からすが車のエンジンをかけて待機しており、同行するメンバーも全員揃っていたのだった。

 とはいえ集合時間にはぴったりだった。特に悪びれる気も無かったし、みんなも気にしていない様子だった。

 ただ一人、あきらだけが憂鬱そうにしていたのを思い出して、玲治は自分より更に後ろの座席を肩越しに覗き込む。


「よ、よし……数珠は持ったし、魔よけの腕輪もしっかり嵌めてきた……これできっと大丈夫だ……」


 震える手で数珠を握りしめながら、ぶつぶつと自分に言い聞かせているあきらの姿を見て、玲治は無性に心配になった。

 あれではまるでオカルトに傾倒した危ないマニアだ。一週間で完璧に暗記したお経を口遊むあきらの姿は、普段の凛としたものとはかけ離れている。


「あきらも怖がりやなぁ。いまは昼間やしあたしらもおるんやから、そんなビクビクせんでええやろ」

「む……わ、私の怖がる姿見たさでついてきた一身かずみに、そんなこと言われたくないぞ」


 少しむくれながらあきらは寺内てらうちにじっとりした視線を送る。

 図星であったのだがその視線もどこ吹く風と、寺内はわざとらしく口笛を吹いてみせた。音程が完璧に取れていたのが余計にわざとらしく見える。


 本来ならばこの小旅行(?)は思い出づくり同好会の活動であるのだが、部員ではない寺内も同行していた。その理由はシンプルに二つ、面白そうだということと、あきらの怯える姿を見たいから。

 後者はなんとも下衆な理由だが、何にせよ親友である寺内がついてきてくれるというのは結果的にあきらの後押しになった。

 赤信号みんなで渡れば怖くない理論で、なぎさと寺内があきらにごり押した結果、なんとかこうして全員で来ることが出来たのだ。


「まぁまぁそう言わんと。玲治くんもなぎさちゃんも、あきらの為を思ってんのやから」

「それはわかっている……少しでも、私の苦手なものを克服させようとしてくれているのはな……」

「えはははっ、みんな一緒なんやから大丈夫やって。……それよかなぎさちゃん、ビデオちゃんと持ってきてくれたか?」

「うんっ! ちゃんと充電もして持ってきたよみーちゃん(・・・・・)!」


 なぎさは自分の鞄の中からビデオカメラを取り出した。コンパクトなサイズだが、なぎさの小さな手のひらに乗っていると、いくらか大きいように見える。

 どうやらそのビデオカメラの存在を知っていたのはみーちゃんこと寺内一身となぎさの二人だけだったらしく、運転手の香良洲がバックミラー越しにそれを見て不思議そうに尋ねた。


「ビデオカメラ? 心霊動画でも撮るつもりなの?」

「し、心霊っ……!?」

「むぅ。違うよぉ、これでみんなを撮るの!」

「せやせや。怖がるあきらを動画でバッチリ……じゃなくて、みんなの活動記録としてやな」

「なるほど……確かに動画や写真は、一時一瞬の思い出をずっと保存しておける。フリーティングメモリーの活動は、これから記録として残すといいかもしれないね。流石はあきらさんのご友人の寺内さんだ」

「そない褒めんといてや燕くん! あたし恥ずかしなってまうわ!」


 そう言いながら全く恥ずかしがる素振りを見せない寺内は、むしろもっと褒めろと言わんばかりに胸を張って嬉しそうに笑う。


「それ、なぎさの物なのか?」

「ううん。お母さんのだよ。うちには他にも一眼レフとかいっぱいあってね、全部お母さんの趣味なんだ」

「へぇ……母さんは写真が趣味か」

「そうだ! 今度お兄ちゃんにボクたちのビデオ見せてあげるよっ」


 ボクたちのビデオ、という響きになんだかいやらしいものを感じたが、そんなアホらしい考えはすぐに取っ払った。

 昔から子供の成長記録というのはどこの家でも取るものだ。それは写真であったり動画であったり、日記なんかもあるだろう。本来は家族がそれを観返して懐かしむものだが、友人や知人に見せても面白く映る。

 ましてや本当のきょうだいだった玲治からすれば、なぎさやあきらの小さい頃というのはとても気がかりだ。


「ああ。また今度遊びにいったときに頼むな」

「うんっ!」


 小さい頃の二人はどんなふうだったのだろうか。あきらは今みたいに整った顔立ちで、なぎさも小さい頃から女の子と間違えられる可愛さだったのだろうか。

 玲治が色々と想像を膨らませていると、乗っていた車がゆっくりとブレーキをかけて止まった。


「なんや! ガス欠か!」

「違いますよ寺内さん」

「みんな見えるかしら? あっちの方」


 香良洲が指差す方向に視線を向けると、林の隙間から開けた場所が見えていた。

 そこには全体は窺えないものの明らかに建造物らしきものがある。目指していた心霊スポットがようやく、目の前まで近づいていたのだ。


「うわぁ……あれが」

桜声館おうせいかん、か……」


 香良洲はブレーキペダルから足を離し、ハンドルを切って桜声館に車を向かわせる。

 背の高い木々の葉から漏れ出す陽の光が幻想的な雰囲気を醸し出しているが、あきらだけは数珠を握りしめながら、背中に生温い嫌な感覚を覚えていた。

 数十年前に廃墟と化した旅館、桜声館。

 そこに出没するという、自殺した経営者の幽霊。

 季節外れの日中肝試し。果たしてここでの体験は、いい思い出になるか。それとも、悪い思い出になるのだろうか。

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