28.姉が恐がるもの
開け放たれた部室の窓から、春の爽やかな風が流れ込んだ。
だと言うのに、爽やかさの欠片も無い話が思い出づくり同好会の部室内では、現在進行形で行われているのだった。
「そう! 心霊スポットに行こうよっ!」
瞳を輝かせながらそう言ったなぎさには、妙な点が二つあった。
まず一つ。普通、肝試しをしようと持ち掛けるのは桜散り始める季節ではなく、八月頃の涼を求める夏だということ。
そして二つ。げに恐ろしき場所に行こうとするとき、ここまで笑顔で楽し気に話すものではないということ。
突拍子もない話に多気も香良洲も目を丸くしている。
ただ一人、あきらだけが目を強く瞑りながらふるふると肩を震わせ、大の苦手である心霊話から気を逸らそうと一生懸命になっていた。
「なぎさくん。どうして心霊スポットなんだい? まだ四月だ、春にやるものとは思えないけど」
「タッキーは知らないの? 桜が散る頃に幽霊が出るっていう、桜声館の話」
「桜声館……うん、聞いたことがないね」
「山の中に建ってるんだけどね――」
なぎさの言っている桜声館というのは、五十年ほど前に建てられた旅館のことだ。
温泉の湧き出る場所に建てられ、当時はその温泉を目当てに多くの客が訪れ宿泊していたというが、二十年前に何故か温泉が突然枯れてしまった。
それからというものの客足はぱたりと絶え、桜声館も経営不振に陥り廃業。建物自体は取り壊されることなく、廃墟として残っている。
この桜声館、実は奇妙な噂の絶えない心霊スポットとして有名であった。
廃墟と化した建物というのは実は愛好家が多い。廃墟の独特な雰囲気や空気感を肌身で感じて楽しんだり、その寂れたある種幻想的な風景を撮影したりと、物好きな人たちが一定数いるのだ。
そんな廃墟マニアたちも、もちろんこの鶴山市にある桜声館を訪れている。そしてみな口を揃えてこう言う。
「――自殺した経営者の、お化けが出るんだって」
そう、桜声館の経営者は、旅館の一室で自殺しているのだ。
経営不振、破滅が近づくことによるストレス、家族関係……一体何が引き金となってそれに至ったかを知る者はいないが、事実は事実だ。
そして自殺した彼の亡霊は今も廃墟と化した桜声館に現れ、出会った人間に対していつもこう言ってくるという。
「『御客様、何名様ですか?』……って」
「ひぃぃぃっ!!」
恐怖に耐えかねたあきらが、両耳を押さえながら腰を折った。
その端正な顔立ちからはかけ離れた、女々しい悲鳴を上げて丸くなってしまっている。
この場にいる他の部員たちは正直言って、幽霊やら心霊現象やらを怖がっていない。
多気は最初から信じていないし、香良洲は超常現象を面白そうなどと考えるタイプだ。なぎさも香良洲と似たところがあり、怖がりこそすれ、そのスリルを楽しめる人間だ。
玲治は幽霊がいるかもしれないと思っているが、それを怖がりはしない。もし幽霊と出会ってしまっても、実害を及ぼさないなら問題は無いだろうと考える。
「あらあら。あきらちゃんは苦手かしら、こういう話」
「怖がるあきらさんなんて、滅多に見れるものじゃあありませんよ」
「むぅ、お姉ちゃんっていっつもこうなんだよねぇ。ボクがいつも見てる心霊番組も、絶対一緒に観てくれないし」
「そそそ、そんな番組っ、私が観るわけないだろうっ……!」
震えた声で反論するあきら。
玲治だけが姉の気持ちを察して可哀想というか哀れみを持ったが、その他はあきらを放置してどんどん話を進めていこうとしていた。
「桜声館ってどこにあるんだい?」
「んっとね、鶴山駅から車で一時間くらいって見たよ」
「それじゃあ、私の車で行きましょうか」
「あれ。香良洲先生も僕たちと一緒に来るんですか?」
「当たり前じゃない。生徒だけでそんな場所に行かせられないわよ」
「まぁ、万が一ということもありますからねぇ。なぎさくん、心霊スポットというくらいだからやはり行くのは夜かい?」
「ううん。昼でも幽霊が出たって話があるくらいだから……夜は逆に暗すぎて危ないみたい」
「ふむ……ならば昼間に行っても問題は無し、か。となると、実際に行ってから何をするかだね」
「そうねぇ、折角の心霊スポットなんだからこんなのはどうかしら?」
「それならボクもやりたいことあるよっ! えーっとねぇ……」
ホワイトボードの前に集まり、三人は額を突き合わせてあーだこーだと心霊スポットでの計画を話し合っている。そう、もう彼らは行く気でいたのだ。
玲治は一人あきらへそっと近づき、手でふさがれた耳元へ口を近づけた。
「姉さん……なんか、行く方向で話しが進んでるけど」
「っ……! どうしてだなぎさ……私がお化けを怖がっていると知っていて、何故こんなこと……姉を怖がらせて楽しいのか……」
「でもまぁ、昼間に行くらしいから、まだマシ――」
「――マシとかそういう話ではないっ!!」
声を荒げて、とは言っても怒気は孕まずあきらが立ち上がった。
ホワイトボード前で繰り広げられていた相談もぱたりと止まり、全員の視線が泣きだしてしまいそうなあきらの顔に集中する。
「……わ、私は、その桜声館とやらには。行きたくはない、のだが」
「姉さん……」
絞るような声はよほどの感情があるのだろうとうかがえた。
しかし、なぎさ達三人はもう行く気になってしまっている。今更話を最初から無かったことにしようという気にはなれず、そこからどうやってあきらを納得させるかという相談に切り替わった。
声をひそめて、多気が切り出す。
「あきらさん、随分と怖がっているようだね」
「そうねぇ……あんなに嫌そうなら、無理に連れていくのは可哀想かしら」
「……ううん。ボク、桜声館に行くのはお姉ちゃんの為になると思うよ。みんなで思い出づくりも出来るし、一石二鳥ってやつだよっ」
「どういうことだいなぎさくん?」
なぎさは何も、自分の好奇心だけで桜声館への肝試しに行こうと考えていたわけではないと打ち明け始めた。
この提案の真意は、姉であるあきらを思ってのものだったのだと。
「お姉ちゃんのお化け嫌いって、ホント、モノスゴイの」
「物凄い? どんなふうに」
「うんとね、怖い話を聞いた日は一日中眠れないのが当たり前だし、集中力が無くなって料理は失敗するし、何もないところで転ぶし、他にもいろいろ、とにかくひどいんだ」
「あのあきらちゃんがねぇ……想像できないわ」
嬉野あきらと言えば、容姿端麗、才色兼備、鯨飲馬食が玉に瑕。そんな評価を学校の誰からも与えられている。
いつもクールで優しく、男顔負けにカッコいい。そんなあきらがお化けを怖がり怯え、一少女のように振舞う光景を誰が想像できるだろうか。いやできない。
いまも自分の腕を抱くようにして震えているあきらだが、普段と比べると本当に驚くほどその顔つきも雰囲気も違った。
いつもの余裕ある表情はどこへやら。溢れ出ていた大人びた落ち着きはどこへやら。
「なんとかして、ちょっとでもお姉ちゃんのお化け嫌いを治してあげたいなぁって思ってね」
「ふむ……ショック療法という訳か。効果があるかもしれないな」
「話は理解したけれど、あの怯えてるあきらちゃんをどうやって連れて行けばいいのかしら? てこでも動かなそうよ?」
「うーん……みんなと一緒ならお姉ちゃんも平気かと思ったんだけどね。お姉ちゃんの友達とかでもいればいいのかなぁ……」
どうすればあきらを連れていくことができるだろうか、三人がため息に似た唸り声を上げる。
するとそのとき、開け放たれていた部室の窓から突然、亜麻色の髪をなびかせながら女子生徒が強引に侵入してきた。
「なんや、面白そうな話しとるやん。……あたしも混ぜてや!」
「……寺内先輩!?」
「これは……」
「あらあら。グッドタイミングってやつかしら」
三階の窓から入ってきたのは、あきらの親友である寺内一身。
あきらを連れていくための決定打が丁度現れてくれたことに、なぎさたちはにんまりと微笑みを浮かべるのだった。




