26.姉のカレーと弟の提案
「では。いただきます」
「いただきまぁーす!」
「いただきます」
少しぶかぶかのポロシャツの袖を気にしながら、玲治は手を合わせてスプーンを手に取った。
大きめに切られた野菜と肉がごろごろと入ったカレーライスを一掬いして、口の中へと運んでいく。
「……ん! 美味い!」
「おいしー! 流石お姉ちゃん!」
レトルトのカレーとは比べ物にならないその味に、玲治となぎさはそろって瞳をきらきらさせながら食べ進めていく。
スパイスが効いていて舌先にびりびりと辛さを感じるが、同時に奥深いコクと甘さもあり、スプーンが止まらない美味しさだ。
「すごいな姉さん。どうやって作ってるんだ?」
「ルーは市販の物を三つ合わせて使っている。それ以外は隠し味をいくつか入れているだけだぞ?」
「隠し味……」
カレーライスに入れる隠し味とは何だろうか。
今までレトルトカレーにチーズをまぶしたり、卵黄を落としたりする程度しかやったことがない玲治には想像もつかなかった。
何が入っているのか確かめようとしっかり味わって咀嚼してみるが、玲治の舌はそこまで敏感ではない。ただただ美味しいとしか思えなかった。
あきらはくすくすと微笑みながら、皿の中をスプーンで軽くかき混ぜる。
「そうだな……一つだけこだわっているのだが、カレーを作るときに水を入れていないんだ」
「水を入れてないって……え、じゃあ何で作ってるんだ?」
「スープストックと言ってな、野菜からとった煮汁だ。それを水の代わりに使っている。そうすると奥深い甘みが出るんだ」
「へぇ……手間かけてるんだな」
なぎさが黙々と食べ進める横で、玲治は先ほど飲むことが出来なかった美味なる牛乳を一気にコップ一杯飲み干した。
そして唇についた牛乳をティッシュで拭いながら、あきら特製カレーの秘密に迫ろうとする。
「隠し味ってのは何を入れてるんだ?」
「ビターチョコレートに、ウスターソース、刺身醤油を少しと、インスタントのコーヒーだな」
「……なんか、カレーの中に入れるもんとは到底思えないな」
「ふふ。それと玲治が飲んでいる牛乳も、この中に入っているぞ」
「ホントに? 全然わかんないな……」
「隠し味というのはそういうものだ。隠れているが、たしかに味を良くしてくれる」
料理というのは奥が深く終わりが見えないと言うが、まさにその通りなのだと玲治は身を持って理解した。
チャーハンに胡椒をかけたり、冷奴に鰹節をまぶすのとはわけが違う。ほんの少しの味の変化をそこまで追い求めるのは自分には到底不可能だろうと思う。
玲治は手間をかけてくれたあきらに感謝するように、あらためて味わいだすのだった。
「ボクおかわりっ!」
なぎさがカレーを追加しようと皿を持ってキッチンの方へ向かって行く。
「あまり食べすぎないようにするんだぞなぎさ」
「はーいっ」
既にカレーを二杯、ご飯を三杯おかわりしているあきらが言っても説得力に欠けるが、玲治はあまり気にしないようにした。
というか、食べ始めてからまだ十分と経っていないのにどうやって食べているのか不思議でならない。少し目を離すとごっそり皿の中身が減っているのは、もはや手品の類に思えるほどだ。
「……そうだ玲治。明日からの部活のこと、何か思いついているのか?」
「あぁーいや……言い出しっぺは俺なんだけど、いまいち思いついてなくて」
あきらが切り出したのは金曜日の放課後の話だ。
きょうだい揃って入部したフリーティングメモリー部、またの名を思い出づくり同好会。その活動について各々考えてくることになっていたはずだった。
ばつが悪そうに玲治は、何も考えついていないことを白状する。
「活動方針自体は思い出に残ることをする……ってことで、色々考えてたんだけどさ。いざ何をすればいいかって中々思いつかなくて」
「普段は部室に集まり、紅茶を飲みながら過ごすのもいいだろうが……問題は土日の活動、だな?」
「うん。流石に土日まで部室でだらだらするわけにはいかないもんな」
どうやらあきらの方もこれといった案は無いらしく、二人は眉間に皺を寄せながら黙々とカレーを口に運んでいく。
そこへ戻ってきたなぎさが、眉尻をつり上げた自信ありげな表情で口を開いた。
「ボクちゃんと考えたよっ!」
「お、じゃあ聞かせてもらうか」
「んふふ~……この間、テレビ見てて思いついたんだ~」
「テレビで? なぎさがいつも見ている番組は……まさか」
スプーンを動かす手を止めて、あきらは何かに感づいたように顔色を淀ませた。
一体何に気付いたというのか。そして、そこまで不安そうな反応を見せる理由は何なのか。
「今度、みんなで一緒に――――」
玲治はなぎさの『提案』を聞いて、合点がいくとともに、その魅力的かつ突拍子もない話に苦笑いを浮かべるのだった。
◆
夜も更け始めた頃。
晩ご飯を済ませた玲治は帰る準備を整え、玄関で靴を履く。
それを見送るのは、心なしか憂いを帯びた表情を浮かべるあきらだ。
「それじゃあ姉さん、貸してくれた父さんの服だけど明日洗って返すよ」
「……あ、ああ。玲治の服も、明日学校で渡すとしよう」
伏し目がちにあきらは玲治と目を合わせようとしない。というよりかは、考えてこんでずっとどこか遠くを見ている様子だ。
彼女がそんなふうになってしまっているのは、なぎさの提案のせいだった。
「姉さん……大丈夫?」
「わ、私は……なぎさには悪いが、あの提案には断固反対させてもらうつもりだ。決して賛同できるものではない……」
自分の腕を抱くようにしながらあきらは身体を震えさせている。
よほど嫌なのだろうあきらの様子を見て、思わず玲治は苦笑いを浮かべてしまう。
(まぁ……俺は平気だけど、苦手な人はとことん苦手だもんなぁ)
結局のところ、なぎさの提案が受け入れられるかどうかは明日になってからだ。
多気がよしと言って受理されるのか、それとも多数決になるのか。それはわからないが、少なくとも玲治はなぎさの提案に乗っかるつもりであった。
玲治が玄関の鍵を捻ると、少し肌寒い外の空気が家の中へ入りこんでいく。
「それじゃ、帰るよ。今日は楽しかったし、色々ありがとう」
「む……あ、ああ。気をつけて帰るのだぞ? 忘れ物もないか?」
「うん、大丈夫。また明日」
そう言って扉を閉める。
嬉野家から玲治の住むマンションまでは徒歩で十五分程度しかかからないため、いくらでも行き来できる距離だ。
玲治はまた近いうちに三人一緒に夕飯を食べたいと思いながら、月明りの綺麗な空を眺めた。
物思いに耽るとまではいかないが、しばらくぼんやりとそうしたあと、ポケットに両手を突っ込んで帰路につくのだった。




