25.弟とお風呂
広い、綺麗、すごい。
風呂場に入った玲治の感想はその三つに集約されていた。
玄正と暮らしていた家の風呂場もなかなかなものだったが、こちらは見るからに建築家が力を入れていたのだとわかる。
しかも壁や天井に黴一つ見当たらないことから、毎日丁寧に掃除しているのだと玲治は感心していた。
「風呂掃除なんて浴槽くらいでいいもんだと思ってたけど……ちゃんとしてんなぁ」
全身が映るくらいの大きな鏡の前まで行って、玲治はピカピカの取っ手を捻って熱いシャワーを浴びる。
牛乳とコーラが混じった液体の嫌な臭いとぬめりがみるみるうちに落ちていった。
「にしても……ボトルが色々置いてあるな。どれ使っていいのかわからん」
網棚の上には所狭しと色鮮やかなボトルが置かれており、玲治の手が迷う。
そう言えば以前どこかで、シャンプーとボティーソープのボトルは目の不自由な人の為に蓋の部分に違いがあるというのを思い出した。
ギザギザのある方がシャンプーだったはずと、手探っていく玲治。
「おっ、これシャンプーだ。……見たことないやつだけど、まぁいいか」
中身もたっぷり入っているし、少し使うくらいなら問題ないだろう。
玲治が蓋を押して手のひらに出したのは、薄黄金色のいかにも髪によさそうなシャンプー。
男の自分がこんないいものを使うのも何だか気持ち悪いと思いながらも、立ったまま頭を洗い始めた。
「おぉ……何だこれめちゃめちゃいい匂いするな……やっぱりあきら姉さんが使ってるやつなのかな」
目を瞑っていたせいで、ぼんやりと風呂場で髪を洗っているあきらの姿を脳内で想像してしまったが、何を考えているんだとすぐに振り払った。
どうも玲治は、あきらに対して異性としての視線を向けてしまうようだ。
変なことを考えるのはよそうと、玲治はさっさと身体も洗っていった。
壁に飛んでしまった泡なんかも一応シャワーでしっかり洗い流し、緑色のお湯で満たされた浴槽へ足を浸けていく。
「あぁ……あったけぇ」
ざばぁ。と溢れた湯が流れていく。玲治はその音を心地よく感じた。
前の家に住んでいた時はよく玄正に、「溢れさせたらもったいないじゃろう」と叱られていたことを思い出す。確かにその通りなのだが、この溢れる湯というのも醍醐味だと玲治は譲れなかった。
伸び伸びと脚を伸ばしながら、ゆっくりと深いため息を吐く。
入浴中限定の、愉悦のため息だ。
「風呂まで入れて、このあとは夕飯もご馳走になるんだよなぁ……なんか、すごい幸せな気がしてきた」
今ごろあきらはキッチンでカレーの支度をしているのだろうか。
「そういやチラッとだけど、寸胴鍋が置いてあった気がする……まさかあの量で作るのかな」
尋常ではない量を食べるあきらならやりかねない。
今日の昼、フードコートに行ったときも驚いたものだ。玲治たちは別々に注文しに行ったあと席に集まったのだが、テーブルの上がすごいことになっていた。
見たことない量の呼び出しリモコンが、家電量販店の展示みたいに並べられていたのだ。
あのリモコンの大合唱は今思い出しても笑えてくる。
そんなふうに今日一日のことを思い出しながら湯に浸かっていた玲治だったが、突然風呂場の扉がバンッと開かれた。
「お兄ちゃーん! 一緒にはいろー!!」
「な!? なぎさっ!?」
驚いた玲治は反射的に扉の方を向いたが、即座に逆方向に首を捻る。
「あれ? どうしたのお兄ちゃん、そっぽ向いて」
「ななな、何で入ってくるんだ!」
「なんでって……一緒に入りたかったから」
ぽんやりとしながら首をかしげるなぎさ。
そう、この状況はなんらおかしくない。弟が兄と一緒に風呂に入ろうとしているだけの変哲ない場面だ。
ただ一つ。なぎさは見た目が女の子にしか見えないというただその一点が、玲治の迅速な目逸らしの理由だった。
玲治は恐る恐る首を戻していく。なぎさは男なのだから問題は無いはずだと自分に言い聞かせながら。
しかしなぎさは顔つきもさることながら、その身体つきまでもが女の子のそれであった。
丸く狭い肩に、細い首と柔らかそうな腕。平坦な胸は男の物だとわかっていても目のやり場に困る。
「お前……ホントに女の子みたいだな」
「よく言われる~♪」
玲治は視線を徐々に下に向けていく。
するとそこには、ちゃんとあった。可愛い顔に似合わない中々のモノがちゃんとあったのだ。
わかってはいたことだが、モノの確認が出来れば何となく安心できる。自分の血統でも見抜けない嘘でなくてよかったと玲治は胸をなで下ろした。
「……にしても」
それにしても大きい。可愛らしい顔とアンバランスすぎるほどに。
もしかすると自分のと同じくらいあるんじゃないかと、玲治は目つきを悪くしながらじっとなぎさのそれを観察していた。
「お、お兄ちゃん……そんなに見られたら、なんか恥ずかしいよ」
なぎさは赤くなりながら、手で前を隠そうとする。
「あ……いやすまん、つい」
「もうっ、お兄ちゃんのスケベ」
「スケベは無いだろ。同じ男なんだし」
「むぅ……じゃあボクにもお兄ちゃんの見せてよっ!」
「わっ、おい!」
飛び込むような勢いで浴槽に入るなぎさ。水しぶきが玲治の顔に飛ぶ。
二人が入っても十分にスペースのある浴槽内で、なぎさはまんじりともせずに玲治の股間を凝視していた。
「わぁ……大人だ」
「なんだよ。大きさはそんな変わんないだろ」
「でも違うよぉ。ボクのと違って、お兄ちゃんのはちゃんと剥――」
「それ以上いけない! お前の口から言うな!」
きょうだい仲睦まじく入浴している微笑ましい光景だが、お互いが股間をじっと眺めているのはいかがなものだろうか。
もちろん、なぎさの視線は好奇心であり、玲治の視線には別のちゃんとした理由があるのだが。
「さっきからお兄ちゃん、なんでボクの顔見てくれないの?」
「いや。男の部分だけ見とかないと、錯覚がな……」
「錯覚? ……ね、ねぇお兄ちゃんっ、お兄ちゃんの、ちょっと触ってみていい?」
「はぁ!?」
するりとお湯の中で、玲治のモノに向かって伸ばされるなぎさの小さな手。
それはいくらなんでもきょうだいのスキンシップを越えていると、玲治は大急ぎで立ち上がって風呂を出た。
「男同士でも触りあったりするもんじゃないだろ! もう出るからな!」
「そんなぁっ。ちょっとくらいいいでしょ!」
「ダメだ!」
「むぅ……わかったよ。お姉ちゃんが用意してくれた服、すぐそこのカゴの中に入ってるからね」
玲治が出ていってから、なぎさは一人浴槽内で脚を伸ばす。
扉一枚隔てた向こう側からごそごそと身体を拭いている玲治の影に、物欲しそうな視線を送りながら、なぎさは小さく呟いた。
「……お兄ちゃん」
細い自分の身体を抱きながら、寂しそうな声で、そう一言。




