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22.お姉ちゃんのお説教

 ショッピングモールの通路、そのど真ん中はカオスなことになっていた。

 白目を剥いて気を失っている大五郎とそれに寄り添い呼びかけ続ける小次郎。そしてすぐ近くでは玲治が正座しており、あきらから説教を受けている。

 なぎさはというと、通行人に「大丈夫なの?」と声を掛けられては「大丈夫です」と答え続けている、異様な光景だ。


「玲治……姉として、お前に言っておかなければならない」

「はい……」


 組んだ腕に胸を乗せながら、あきらが静かに話し始める。彼女の目つきは鋭いのだが、先ほどの事故(・・)が尾を引いているのか、その両頬は仄かに赤いままだ。

 玲治はじっとあきらの両足を見つめている。

 どんな顔をしていいかわからず目を合わせられないのだ。偶然とはいえ胸を揉んでしまった手前、恥ずかしくてあきらの顔を見ていられない。


 生まれて初めての姉からのお説教が、こんなくだらないことだとは、運命とは残酷なものである。


「まず、お前は男の子だ。女性の身体に興味があるのも仕方がない」

「はい……」

「だからと言ってだ。無闇矢鱈と、軽々に、無思慮に。女性の胸は揉んでいいものではない」

「はい……」


 自分は一体なにを叱られているのかと、わからなくなってくる玲治。口調もいつの間にか敬語になってしまっている。

 あきらの声は玲治一人にしか聞こえないくらいの声量なのが唯一の救いだ。こんな説教の内容を他人に聞かれでもしたら、顔から火が出てしまうだろう。


 あきらは話しながら、玲治に揉まれた右胸を気にして身じろいだ。

 玲治の手のひらにまだ感触が残っているように、あきらにも胸を揉まれた感覚が残っている。

 お互いの鼓動は普段より二割増しに速くなっていた。


「それに……私はお前の姉だ。小さい頃ならまだしも、お互いに高校生だ。じゃれ合いでもしてはいけないこと、というのはわかるな?」

「はい……」

「お前がしたのは、悪いことだ。悪いことをした自覚はちゃんとあるか?」

「はい……あります」

「悪いことをしたときは、どうすればいいか。わかるか?」

「……ごめん、なさい」


 あきらの足元を見つめながら玲治は小さく謝った。

 小学生みたいなぶっきらぼうな謝り方だったが、不器用なりにも気持ちはちゃんと込めたつもりだった。

 玲治も、悪いことをしてしまったとは感じている。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 あきらは組んでいた腕を下ろし、玲治の傍まで行って膝を屈める。


「玲治。顔を上げなさい」


 先ほどとは打って変わって、優しい声が玲治の頭上からかけられた。

 少しの間を置いてから玲治が顔を上げると、すぐ近くに微笑みを浮かべたあきらの顔があって、少し驚いてしまった。

 あきらの透き通るような水色の瞳に、相変わらず目つきの悪い玲治の顔が映り込む。


「えらいぞ。ちゃんと謝れて」

「あ……」


 そっ、と玲治の頭に手を乗せるあきら。

 頭そのものではなく、髪の毛だけを優しく撫でるような手つきに、玲治は胸の中で温かい気持ちが生まれるのを感じた。


 さっきまでは叱りつけていたあきらが、今は褒めるように頭を撫でてくれている。

 玲治はそのとき、またしてもあきらに姉を感じていた。

 突き放すだけでなくちゃんと受け止めてくれる優しさ。受け止めてくれるからこその怒り。

 新鮮な気持ちが綯い交ぜになって、玲治の胸の奥に溢れていく。


「さっきも、私が危ないと思って手を出してくれたのだろう?」

「……う、うん。結果的に、変なとこ触っちゃったけど」

「それはもう謝ってくれただろう? ……私を守ろうとしてくれてありがとう。お姉ちゃん、嬉しいぞ」

「……!」


 なんて顔で笑うんだろう。玲治はそう思わずにいられなかった。

 すごく綺麗で、優しくて。それ以外を全て削ぎ落としたような笑顔だった。


 あきらの笑顔は、まさしく愛しい弟に向ける姉としてのものである。

 しかし玲治の瞳の奥に輝く光は、姉に対するものとは言いにくいだろう。

 そう、まるで。異性に対する純粋な光だ。

 玲治の心臓は今まで生きてきたなかで、一番のせわしなさを見せていた。


「ねぇっ、お姉ちゃんお兄ちゃん。はやくどっか行った方がよさそうだよ?」


 駆け寄ってきたなぎさの声によって、玲治はハッと我に返り周囲に目を向けた。

 喧嘩沙汰に背負い投げ、お説教と随分目立つことばかりしてしまったせいで、玲治たちの周りには軽い人だかりが出来てしまっていた。

 なぎさ一人で事態を収拾できるはずもなく、人が人を呼ぶ悪循環が始まっており、いずれ警備員たちも駆けつけることになるだろう。


「む……たしかにここに居てはまずそうだ」

「どうするの? お姉ちゃんが投げ飛ばしちゃったあの人」


 大の字で仰向けになりながら気を失っている大五郎をちらりと横目で見ながら、あきらは申し訳なさそうに眉を八の字にさせた。

 玲治に説教するために邪魔だったからとは言え、少々やりすぎてしまった。

 詫びの一つでも入れた方がいいのではないかとあきらは逡巡したが、玲治が立ち上がって引き留めた。


「いいってあきら姉さん。元はと言えば向こうから絡んできたんだ」

「それにお姉ちゃん、お腹空いてるでしょ? ボクもお腹ぺこぺこ。フードコート行こうよぉ」

「……そうだな。今度会うことがあれば、その時に一言謝るとしよう」

「大五郎ぉー! しっかりしてよ大五郎ぉーっ!」


 事態が一段落したことで、あきらは忘れかけていた空腹を思い出し踵を返した。

 小次郎の虚しい叫び声だけを残して玲治たちは人混みを抜けていく。もちろん、はぐれてしまわないようにしっかりと手を握り合いながら。


 人混みから完全に離れたところで、玲治が不思議そうな顔をしながらあきらに問いかけた。


「あきら姉さんも、柔道か何かやってたのか?」

「いいや。私はあまり武道を嗜んでいない。あれはなぎさに教わったものだよ」

「なぎさに?」

「そうだよっ! ボクがお姉ちゃんに教えてあげたの! って言っても、技をどうやって掛けるかってことだけなんだけどね」

「やはり実践的な練習をしていないと駄目だな。相手に不要な怪我をさせてしまう」

「……まぁ、ああいう手合いにはあれくらいが丁度いい気もするけどな」


 出来ればもう二度と会いませんように。

 心からそう思う玲治だった。

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