02.どうやら俺に友達ができたらしい。
新品の上履きスリッパがリノリウムの床を擦って音を立てる。
丁寧にワックス掛けされた校内の床は照明の光を反射して、清潔感というものを見事に演出していた。
窓枠や壁、教室の扉の上に取り付けられたプレートなど、どれもこれもが新しく綺麗なものに見え、玲治は思わずため息を吐く。
以前まで通っていた、歴史だけはあった高校に比べるとまるで別物。視界に入る全てが物珍しく映り思わずきょろきょろと辺りを見回してしまう。
そんな玲治の隣で、くすくすと微笑む女性の姿があった。
「転校生って、やっぱり新しい学校が珍しいものなのね」
「あー、まぁ……そうっすね」
「はやく慣れるといいわね、嬉野くん」
彼女の名前は香良洲冴子。二十六歳独身。青みがかった黒髪を短めに切り揃え眠たげに瞼を半ば下ろしている彼女は、今日から玲治が通うことになるこの高校の教師である。
香良洲は転校生である玲治を今まさに、担当しているクラスに連れて行っているところだ。
しばらくすると香良洲は教室の扉の前で立ち止まる。扉の上に取り付けられたプレートには『2-B』と記されていた。
「それじゃあ、君はここで待っててちょうだい。ホームルームの途中で君のことを紹介するから」
「それから入っていけばいいんすよね。わかりました」
教室から見えない位置で待機する玲治を後目に、香良洲は扉をがらっと開けて教室へ入っていく。
生徒たちと香良洲の声を外で聞きながら、玲治はそわそわとネクタイの結び目に手を当てたり袖口を触ったりしていた。
新しい制服は卸したてのせいか身体に馴染まず、まるで動きを制限する拘束具にも感じられる。そのどこかぎこちない動きは玲治の緊張を目に見えて表しているようだった。
そう、緊張だ。玲治はひどく緊張していた。中学校の入学初日と同じくらいに。
県外に引っ越してきたのだから知り合いなど一人もいない。完全にアウェイの立場だ。
この学校にいる全員が初対面であり、玲治の人となりを知るはずもなく、それどころか生徒たちは既にグループを形成しているはず。果たして玲治は快く受け入れられるだろうか。
公園で仲のいい子供たちが遊んでいるところへ行き掛かりの見知らぬ子どもが、僕も混ぜて、なんて入り込んでいくようなものだ。そこには必ず微妙な空気が流れる。
「……馴染めるかなぁ」
教室の扉が再び開く。見ると香良洲が顔を覗かせ、ちょいちょいと手招きをしていた。
いよいよ玲治が、転校生としてクラスメイトと対面する時がやってきたのだ。
出来るだけ玲治は緊張を表に出さないように努め、肩の力を抜いて教室の中へと入っていく。そんな努力もむなしく、その表情は無意識のうちに一層険しいものになっていたのだが。
「はい静かに。さっきも話した転校生を紹介するわよ」
玲治は教卓の前へと立たされた。
教室内にいる生徒たちは全員、しんと静まり返っている。三十あまりの視線が玲治に集中した。
「ほら嬉野くん、みんなに挨拶して」
「あー、えーっと……嬉野玲治、です」
ここで生徒たちが感じた玲治への第一印象を簡潔に、一言で表そう。
目つきがすこぶる悪い。以上。
生徒の中の何人かは更にそこから、恐怖も感じた。ヤバそうな転校生がやってきたと感じた者もいた。出来れば深く関わりたくないなと思う者も大勢いた。
つまり第一印象は最悪だったのだ。生まれつき目つきの悪い玲治は、こういったディサドバンテージを背負う宿命にある。本人も半ば諦めていることだった。
「あの……よろしく」
「はい、みんな仲良くしてあげるのよ? 嬉野くんは窓際の一番後ろ、あそこの席に座ってね」
玲治は言われた通りに自分の席へと向かって行く。そのあいだ、通り過ぎる生徒たちは誰も目を合わそうとせず、玲治はほんの少し悲しい気持ちになった。
馴染むどころかこれじゃあ会話することも難しいのではないかと、初っ端から不安だらけの立ち上がりとなってしまったのだった。
それから少ししてホームルームが終わり、生徒たちは各々一限目が始まるまでの時間を過ごし始める。
仲の良い友達同士で集まって喋ったり、スマートフォンを弄ったり本を読んだりと思い思いに。しかし転校生という本来ならば注目の的になるであろう玲治に話しかける生徒は、全くといっていいほどいなかった。
そう、ただ一人。玲治の前の席に座っていた男子生徒を除いて。
「やぁ。転校生クン?」
艶のある茶髪をなびかせて、くるりと振り返り話しかけてきた男子生徒。
その妙に芝居がかった口調は気になるものだったが、玲治はそれよりも話しかけてくれたことに嬉しくなった。相変わらず目つきは悪いままだが。
「僕はね、友情というのはある程度お互いの距離を縮めないと育めないものだと思うんだよ」
「……? そういうものなのか?」
「そうさ! だから僕は君との距離を縮めるために、気軽に玲治と名前で呼んでもいいだろう?」
「別にいいけど……お前の名前は? こっちはなんて呼べばいいんだよ」
「僕の名前は多気。多気燕さ。僕のことは好きに呼んで構わないよ」
好きに呼んで構わない。そう言われた玲治は真っ先に頭に思い浮かんだ呼び方を口にしていた。
タキ、と来てツバメ、と来れば、もうそれしか無いだろうと言う風に。
「……タキツバ?」
「ぐっ……! す、済まないがその呼び方だけはやめてほしいな……」
「そうか、じゃあ普通に多気で」
玲治の目つきに物怖じせず話しかけてきた男子生徒、多気燕。
出会いというのはいつもシンプルで、思い出に残らないくらいに浅いものだ。
そう。玲治にとって多気はこの学校で初めて出来た友達なのだが、この出会いはすぐに忘れてしまうだろう。
俺たちどうやって友達になったんだっけ。そんな風に話をする友達に、これからなっていくのだから。