18.ゲームオーバー
「……よし、可哀想だからパンツの上から制服を被せといてやるか」
「ぅ、ううん……?」
ぼんやりしていた多気の意識が徐々に鮮明になっていく。
仰向けで倒れていた彼の目に映ったのは、三人きょうだいの姿。
玲治は相変わらずの目つきの悪さで睨みつけており、なぎさは幼げな哀れみの表情を浮かべている。そしてあきらは頬を少し赤く染めて顔を背けていた。
「背中が痛いね……あれ、一体僕は何を……?」
むくりと身体を起き上がらせた多気は、自分が裸に剥かれていることに気が付く。
恥じらう乙女のように胸元を両腕で隠すと、哀切この上ない表情を浮かべて、彼は眉の先を指で撫でた。
「ふふ、ふふふふ……なんて、ひどい友人なんだ君は……」
「仕方ねぇだろ。こうでもしなきゃ、ゲームに負けちまうんだからよ」
「もう、いいさ……僕の中の何かはもう、音を立てて崩れてしまったよ……」
純潔を散らした乙女のような台詞を吐く多気。
その様子を見ていた笠良城は口の中でこみあげる笑い声を抑えながら、カチリと外れの穴にナイフを刺した。
「うくく……にしてもたまんないわね。負けた奴に好き放題するこの感じ」
「お前、相当性格悪いな……」
「何とでも言えばいいわよ。ほら、二回目のチャンスよ。これを外したら次は誰が脱ぐのかしら?」
「……決まってる。俺だ」
覚悟を決めた顔でソファに座る玲治。
多気はいいとして、なぎさやあきらに被害を及ぼすわけにはいかない。そもそもゲームをしているのは玲治だ。
ペナルティを受けるべきは本来自分なのだと、腹をくくっている様子だった。
もしも玲治が再び外れを引けば、自ら服を脱がなければならない。
姉と弟が見ている前で、負け犬のように脱がなければならないのだ。
彼が普段からきょうだいと暮らしていれば、裸を見られることに抵抗などなかっただろう。風呂上がりにパンツだけの姿でリビングを平然と歩いていたりしていたら、今さらそこに羞恥心なんて生まれなかっただろう。
しかし玲治はきょうだいと再会して一週間と経っていない。
裸を見られるどころか、お互いのこともよくわかっていない仲なのだ。
「玲治……もういい。私たちの前で服を脱ぐなんて、お前も恥ずかしいだろう?」
「いいんだあきら姉さん。下着まで脱ぐわけじゃあるまいし、男はそんなに恥ずかしがるモンじゃないだろ?」
「しかし……すまない。私は姉として、弟の玲治を守るべきなのにな……敗北したいま、何もしてやれない」
伏し目がちになりながらあきらは謝る。
姉として、弟がむごたらしい仕打ちを受けるのがつらいのだろう。
豊かな胸を押さえながら、苦しそうに表情を綺麗なままに歪ませている。
「大丈夫さ……俺がここで終わらせれば」
「終わらせられるかしら? あたしはアンタも脱ぐことになると思うけどぉ?」
相変わらず厭らしい笑みを浮かべる笠良城。
同好会の存続を賭けた緊迫のゲーム第三回戦はこうして進行していった。
そして時を冒頭に戻そう。
自らの脱衣がかかった運命の二回目。
きょうだいとパンツ一丁の友人に見守られながら、玲治はナイフを振り翳した。
戦略や考えなど何もない。黒ひげ危機一髪は俗に言う運ゲーなのだから。
当たって全て解決するか、はずれて衣服とチャンスを失うか。
「――俺が救い出してやるぜッ! 黒ひげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
玲治が振り翳した小さなナイフは、テーブルの上を目掛けて――。
黒ひげ人形が捕えられている、小さなタルに空いた無数の穴の一つに突き立てられた。
◆
「あははははは! あーっははははは!! いいザマねぇ嬉野玲治っ!」
ソファの上で身を縮こまらせて座る、パンツ一枚の姿の玲治。
この狭い部室の中で男子二人が裸というのはなんとも滑稽な光景であるが、それを笑い飛ばすのは笠良城一人だけだった。
あられもない姿の玲治を直視できず、あきらは必死に目を逸らしている。そして何故か、同性であるはずのなぎさは顔を赤くして玲治を見つめていた。
「お、お兄ちゃんって……スゴクたくましいね……」
「見るななぎさ。頼むからまじまじと観察するのはやめてくれ」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ触ってみていい?」
「やめてくれ……」
威勢よく二回目のチャンスに挑んだ玲治だったが、またしてもはずれを引いてしまった。
玲治は必死に恥ずかしくないように平静を保とうとしているが、目つきはより一層悪くなり身体はガチガチに固まってしまっている。
誰がどう見ても恥ずかしがっているようにしか見えなかった。当然と言えば当然なのだが。
「玲治……君の覚悟はしっかりと見届けたよ。そして同時に、君も僕の恥ずかしさが理解できただろう」
「あぁ……悪いことはするもんじゃねぇな。全部自分に返ってきやがる」
「同じ男として君に言っておこう。何かを犠牲にしなければならない時には必ず守らなければならないことが一つだけあるよ。……自分自身や、親しい友人なら見捨てても構わない。だけれど、愛する家族だけは見捨てちゃいけないってね」
「……いい言葉じゃねぇか」
裸の男同士がおかしな友情で繋がる。
冷静に見れば滑稽以外の何物でもないが、どうか今は裸について目を瞑っていてほしい。
多気の言うことに玲治は強く共感していた。
友達というものはある程度の信頼関係がなければそう呼べない。そして友達と呼べる相手になら、何をしても後で笑い話に変えられるものだ。
だが家族だけは大切にしなければならない。血のつながりがある以上、トラブルがもつれれば面倒なことになりがちだ。それだけでなく、やはり肉親は大事にしなければならない。
玲治に残されたチャンスは残り一回。
この一回を外せば、同好会の存続が危うくなるだけでなく、なぎさまでもが裸になってしまう。
それだけは何としても、何としても避けなければならないと、玲治は強く思っていた。
「ほぉら、次を外せばゲームはあたしの勝ち。それにアンタの可愛い弟が裸になっちゃうわよ~」
「いいや……追いつめられた俺は、そう簡単に負けやしねぇよ」
「はぁ……?」
玲治は下手なりにも、ゲームというものが好きだった。
友達とワイワイ楽しく遊べることは素晴らしい。楽しく遊べるゲームは素晴らしいと。
だからこそ、この同好会に入部してから今日にいたるまで、なぎさや多気と遊んでいたゲームは楽しくて仕方なかった。
そんな楽しいゲームに、イカサマなんて必要ない。
むしろイカサマなんかしたら、楽しくなくなってしまう。
だから玲治はずっと使ってこなかった。ほとんどのゲームで勝ててしまうイカサマを。
負けるのも楽しいと思っていたからだ。だけどいまは、いまだけは、負けるわけにはいかない。
玲治は鋭い視線を笠良城に向けた。
手に取ったナイフをそっとタルの穴に近づけて、彼女に尋ねる。
「笠良城……当たりの穴はここか?」
「……へぇ。心理戦に持ち込もうっての。面白いじゃない」
言葉巧みに心理戦でも出し抜けると考えていた笠良城は、その問いかけにまんまと乗り始めた。
こうなった以上、玲治は確実に勝つということを知る由もなく。
「中々勘が冴えてるじゃない。そうよ、そこが当たりの穴だわ」
「……そうか」
これは嘘。
「じゃあここはどうだ……?」
「なんかやらしい訊き方ねぇ。でもごめんなさぁい、あたし間違えちゃってたわ。その穴が当たりよ、当たり」
これも嘘。
「……こっちか?」
「どうだったかしら。当たりかもしれないわねぇ」
これも嘘。
「……ここか?」
「言っておくけど、あたしの言葉を見抜こうなんて百年早いわよ? そこも当たり。ぜーんぶ当たりなのよ」
また嘘。
「……こっちは?」
「だからぁ、当たりだって言ってるでしょ? 無駄なことやめてさっさと刺しなさいよ」
これは、嘘。
「――じゃないッ」
「えっ……!?」
躊躇なく玲治はナイフを突き立てた。
バネ仕掛けに押し出されて、宙を舞う黒ひげ人形。狭いタルの中から黒ひげが脱出したように、玲治の胸の内では緊張が一気に解放されていく。
ころころとテーブルの上に落ちて転がる黒ひげの表情は、助けてくれた玲治に感謝するかの如く、笑っていた。
「そ、そんな……どうして……!?」
今までと違う表情を始めて見せた笠良城。
わなわなと唇を震えさせて、まるで動揺を隠しきれていなかった。
彼女は自分の嘘に絶対の自信があった。同じような台詞を並び立てつつ、その口調に出来るだけ変化を無くすようにして、どれが真実かを紛れさせる自信が。
確かにその技量は見事。勘の鋭いあきらでさえ、笠良城の言葉のどれが真実かは判断できなかっただろう。
だが、彼女の言葉を借りるとするならば、相手が悪かったのだ。
血統『骸見』。人の嘘を嘘と見抜くことができる玲治に、ブラフで勝てるわけがないのだから。
「わぁっ! お兄ちゃんが勝った! お兄ちゃんが勝ったよぉっ!」
「冷たっ! おいなぎさ、抱きつくなって! 手が冷たいだろ!」
「驚いたな……玲治。ここぞという時に出来る弟を、私は誇りに思うぞ」
「コングラチュレーション玲治。やるじゃあないか」
思い思いに玲治を祝福し労う面々。
そんな喜びの渦の中で、笠良城はひとりテーブルの上に視線を落としていた。
「ぁ……あ、あたしが、負けた……? あたし、負けた……」
目を丸くして黒ひげ人形の微笑みを見つめる笠良城。
彼女の瞳は見る見るうちに濡れていき、やがて大粒の涙がこぼれ落ち始めた。
負けたことがよほど悔しいのか、歯を噛み締めて眉をひそめている。
「う……うぅぅっ……!」
「さぁ菰野くん。ゲームは僕たちの勝ちだ。悪いがフリーティングメモリー部は渡せないよ」
「っ……! うぅ~っ!!」
笠良城はぽろぽろと涙を流しながら、傍らに置いてあった自分の鞄を手に取った。
テーブルの上やソファの上に出しっぱなしだった数々のゲームを置いたまま、彼女は逃げるように扉へ向かって行く。
去り際に彼女は振り返り、子供みたいな泣き顔を浮かべながらうわずった声で言い放った。
「おっ、おぼえてなさいよぉっ!! うぅっ……! うわぁぁぁん!!」
扉を開け放したまま、彼女は廊下を走り去っていった。
残された玲治たちはぽかんと口を開けながら、彼女が一体なんだったのかと改めて不思議に思う。
「泣くほど悔しかったみたいだねぇ彼女」
「あぁ……っていうか、覚えとけって。ものの見事に小物っぽい捨て台詞だったな……ん?」
「――いま女子生徒が泣きながら走っていったけど、何かあったのかしら……って」
笠良城が出ていった直後、開け放されたままの扉からひょこりと顧問の香良洲が顔をのぞかせた。
時計はすでに午後の八時を回ろうとしている。恐らく香良洲はそろそろ帰宅するようにと様子を見に来たのだろう。
だが、タイミングが悪かった。
「あ、あら……どうして嬉野くんと多気くんが裸なの……?」
「え。あッ! い、いやこれはっ……!」
「もしかして、お邪魔だったかしら……。ごめんなさいね、とにかく遅くなるまでには済ませて帰るのよ?」
「ちょ、ちょっと待った香良洲先生! 誤解! 誤解ですってッ!!」
かくして、同好会存続の危機は何とか回避した玲治たち。
笠良城菰野のリベンジマッチがいずれ起こるのだが、それはまだ先の話。
とにかく今の玲治たちは香良洲の誤解を解くのに必死だった。
裸の男子二人と、その内一人のきょうだいと、泣きながら走り去っていた女子。
誤解を解くのに、かなりの時間がかかったのは言うまでもあるまい。




