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16.運否天賦

 ジェンガというのは、お互いの首がじわりと絞まっていくゲームだ。

 危険を冒してブロックを一つ引き抜けば、両者ともに切羽詰まっていく。いかに集中力を尖らせたまま指先の震えを抑えられるかが肝要だ。

 ゲーム開始序盤は比較的安全な上段からブロックを引き抜き重ねていく。あきらも笠良城かさらぎも淀みない手つきでそれを繰り返していった。


 そして上段に抜けるブロックが無くなり、お互いの指先はタワーの下へ下へと下がっていく。

 何度目かのあきらの番が回ってきたとき、笠良城はにやりと笑いながら口を開いた。


「気を付けた方がいいわよぉ。取れると思ったブロックが、思うように動かない事って多いんだから」

「……ああ。しっかりと見極めなければな」


 今回のジェンガゲームには一つ特殊ルールが定められていた。

 それは、『一度触れたブロックは必ず抜かなければならない』というもの。

 ジェンガをプレイしたことがある人にはわかるだろうが、ブロックを抜くときは慎重に確かめるのが常套手段だ。ここはどうだろう、こっちはどうだろうと複数のブロックを触ってみて、最終的にどこが安全かを見極めて抜く。


 今回はそれが許されていない。

 あくまで一度ブロックに触れてしまえば、そこがどれほど危険な場所であっても変更は許されないのだ。

 こうすることによって、勝負に絶妙な緊迫感が生まれる。

 あきらはじっくりとタワーを眺めたあと、側面のブロックにゆっくり手を伸ばした。


「あ~、そこで大丈夫かしら。上手く抜けたとしてもバランスが悪くなって崩れるかもしれないわよ」

「……」

「あ、ほら、指が震えてない? 息が止まってると危ないわよ、肩の方から震え始めちゃうわよ」

「……」


 あきらの指先は全く震えていないのだが、笠良城は執拗に繰り返す。

 様々なゲームにおいて共通する戦法の一つがこの『揺さぶり』だ。

 相手を動揺させ、ミスを誘う。わかってはいても人の心とは単純で、言葉で失敗の場面を想像させられてしまう。心の奥底に芽生えたそのビジョンは振り払うことが困難で、無意識的な動揺が生まれてしまう。

 特にジェンガのようなゲームでは揺さぶりは有効な戦法。そうとわかっているからこそ、笠良城は仕掛けてきたのだ。


「崩れちゃいそうねぇ。本当にそこでいいのかしら? 触ったら変えられないのよ、慎重に選ばなきゃ」

「……おいお前、卑怯じゃねぇか。姉さんの集中が途切れちまうだろ」

「卑怯? 何言ってんのよ、これも立派な戦い方なのよ」

「だからってなぁ……もっと正々堂々と戦うべきじゃねぇか?」

「アンタねぇ、何勘違いしてんのよ。正々堂々と戦うってのはルールに従うこと。卑怯って言うのはそのルールを破ることよ。あたしはルールに従ってるんだから、正々堂々だし卑怯でもないわ。ジェンガの勝敗は集中力、すなわち精神力で決まるものよ。そこに仕掛けにいくのは当たり前でしょ」

「そ、そりゃあそうかもしれないけどよ……」


 笠良城の言う事にも一理あると、玲治は口ごもってしまう。

 たしかにプレイ中に喋ってはいけないというルールは存在していない。ルール違反でない以上、笠良城を咎めることは出来ないのだ。


 あきらは抜くブロックを決め、指先でそれを抓む。

 そして目線を笠良城の方へと向けて口を開いた。


「玲治、私のことを気遣ってくれてありがとう。だが彼女の言う通り、どれだけ相手を揺さぶろうが自由だ」

「そ、あたしの自由なの。ところでブロックを触ったまま喋って大丈夫なの? 口の動きが伝わってタワーが崩れちゃうかもしれないわよ」

「心配無用。いくら当意即妙な言葉を並べ立てたところで、私の心は波立たないからな」


 真っ直ぐに笠良城の目を見つめながら、あきらは素早く腕を引く。

 ジェンガのタワーを全く揺らすことなくブロックを引き抜いてみせたあきらに、玲治もなぎさも感嘆のため息を吐いた。

 あれだけ揺さぶりをかけられていたのにも関わらず、あきらの集中力は研ぎ澄まされており不動。凛とした彼女の表情に、笠良城も思わず息を呑み込んでしまっていた。


「このゲームで私に、精神的動揺による失敗ミスは決してない。と思ってもらおう」

「っ……面白いじゃない」


 精神的強さを見せつけられてもなお、笠良城は白い八重歯を見せて笑った。

 あきらに対して揺さぶりは無意味とわかると場は一気に静まり返る。

 笠良城はよく回していた舌を引っ込め、真剣な表情でゲームを続けていく。短い時間のあいだにブロックを見極め、そして抜く。

 タワーの上に抜かれたブロックが積まれていくたびに、見学者の玲治は肩を上下させていた。


「二人ともスゴイ集中力だな……見てるこっちの気が持たねぇ」

「何も喋らずにゲームやるなんて、なんだか面白く無さそう。……むぅー! 見ててもつまんないよお兄ちゃん!」

「少しは我慢しろなぎさ。俺たちが全員ゲームに負けると、同好会はあいつに乗っ取られちまうんだ。……姉さんは俺たちの場所を守るために、本気なんだよ」

「んぅ~……」


 どうやらなぎさも、この緊迫した空気に耐えきれないらしい。ソファの背もたれに手をかけてしゃがみこんでしまっている。

 玲治はあきらの後ろ姿に、静かに燃える炎のような印象を持った。ずっと無言でゲームに挑んでいるにも関わらず、大きな気迫のようなものが伝わってきたのだ。


 そうして時計の分針はカチリ、カチリと刻まれていく。この時ほど時間の流れを肌に感じた経験は無いと、玲治はたびたび壁時計に目をやっていた。

 ジェンガゲームが開始されてから既にかなりの時間が経過している。

 タワーもかなり不安定になり始め、上へ上へと積まれたブロックもかなり歪んでいる。恐らく並の人間が遊んでいればとっくの昔に崩れてしまっているだろう。

 この状態でも続けられている二人の集中力と流れるような手さばきに、甚だ感心させられる。


「……ねぇ、嬉野あきら」

「何だ? 今はそちらの手番だぞ」

「ジェンガでここまで粘ったのはアンタが初めてだわ。らしくないけど、褒めてあげる」

「それは光栄だな。だが勝負の行方はまだわからんぞ」

「いいえ。あたしにはわかってるのよ。アンタに今話しかけたのは、もうゲームが終わってしまうから。だから最後に、敗者であるアンタの健闘を称えてあげるのよ」

「何だと……?」


 笠良城はそんなことを言ってから、タワーの最下段に手を伸ばす。

 テーブルと接している底のブロックを抜くことなどほぼ不可能なことだ。いくら指でつつこうがびくともしないはず。ましてや今回のルールでは、一度触れたブロックは変更することが出来ない。


「……!? おい、馬鹿な真似はよせ!」

「馬鹿ァ? アンタあたしに馬鹿って言った? ……なめんじゃないわよ、馬鹿を見るのはそっちなんだから」

「破れかぶれならやめろ! そんな決着を私は望んでいないぞ!」

「ふふ……負け犬の遠吠えは、よく通るわね」


 右頬に冷たい笑みをつり上げながら、勢いよく腕が引き抜かれる。

 その瞬間、まるで時間が止まってしまったように、全ての音が止む。

 驚嘆で顔を染めたまま髪の毛一本も動かさないあきら。玲治もなぎさも、止まった時間の中でただ唖然と見つめるしかなかった。


 ジェンガのタワーは凍り付いた時間の中で一切揺らがない。

 振りぬかれた笠良城の指先には確かに、タワーの底から抜いたブロックが掴まれていた。


「な……、っ……」

「……さぁ。アンタの番よ」


 有り得ないことだと、あきらは目を剥いて掠れた声を出した。

 底からブロックを抜いただけでも驚きだと言うのに、タワーに一切の揺らぎが無いことが何よりも信じられなかったのだ。

 しかしまじまじと見つめていてもやはりタワーは何事も無かったかのようにそそり立ったまま。

 笠良城の神業を目の当たりにしたなぎさは表情を一転させて、ただ感嘆のため息を吐くしかできなかった。


「うぁ……すっごい……」

「あんな事ジェンガで出来るか、普通……?」

「ううん、ボクだってあんなの出来っこないよ……」


 今まで以上に目尻を垂れさせて微笑む笠良城は、今の状況が楽しくて仕方が無いように見える。

 圧倒的に見せつけた実力。流石のあきらも、額に冷たい汗の雫を滲ませている。しかしいつまでも驚いている場合ではないと、指先をテーブルの上へ向けた。

 タワーは一見安定しているように見える。だがしかし、支えとなる底のブロックが一つ欠けたいま、実際は吹けば倒れるほどに不安定だった。


「……っ!」


 中段あたりの安全そうなブロックにあきらの指先が触れる。ほんの少し、そう、指の皮が紙一重というほどにほんの少しだけ。

 たったそれだけの刺激で、タワーはぐらりと傾いた。


「あっ……!?」

「あぁっ、崩れちまう……!」


 玲治がそう言ったときにはもう、ジェンガは大きな音を立ててテーブルに散らばってしまっていた。

 ブロックを抓もうと伸ばされた手が、より虚しく見える。

 あきらの表情は弱々しく、まるで何かに怯えているように唇を震わせていた。


「うくく……ふふ、ふふふ……! あーっはっはははは!! あたしの勝ちよっ!!」

「くっ……! 私の、負け、だな……」

「残念だったわね。でも仕方が無いわよ、このあたしが相手だったんだから」

「……敗者に言葉は無い。私は、負けた。負けたのだ」


 すっ、と立ち上がりあきらは玲治たちの方を振り向いた。

 先ほどまでの弱々しい表情はどこへ行ったのか、いまは儚げに微笑んでいる。

 あきらが一体どんな気持ちで微笑んでいるのか、玲治にもなぎさにも分かりかねる。悔しさなのか、情けなさなのか、不甲斐なさなのか、悲しさなのか。そのどれでもないようで、どれでもあるような。

 ソファを回り、あきらも多気と同じように床に座り込んだ。敗者に言葉は無い。それは言い訳や恨み言などを一切、態度にすら出さないというあきらの信念だった。

 潔く勝負の場を退いた姉の姿に、玲治は胸の奥で何かが燃え上がる音を聞いた。


「さぁーて。もう半分も負かしちゃったわね。次はどっちが相手?」

「……俺がやる」


 すこぶる目つきを悪くしながら玲治がソファの前へ出た。彼の気迫をその身に感じたのか、なぎさは文句も言わずに兄の背中を見つめる。

 多気とあきらがゲームに敗れ、残るは二人。

 もしも二人が立て続けに負けてしまうと、思い出づくり同好会は笠良城に乗っ取られて別の同好会になってしまう。


 つまりそれは、玲治にとってきょうだいとの時間が、友人との時間が奪われるという事。

 ゲームが始まった時はずっと、それだけを考えていた。居心地のいいこの場所を、時間を奪われてなるものかと。

 だが今の玲治には、それ以外にも思う所があった。


「ガン飛ばしが次の相手ね。いいわ、好きなゲームを選びなさい」

「俺は玲治だ。嬉野玲治。対戦相手の名前くらいちゃんと知っとけ」

「嬉野玲治ね、はいはい覚えておくわよ。お姉ちゃんの敵討ち、取れるといいわねぇ?」

「っ……!」


 嬉野という苗字と学年を見分けるスリッパの色を見れば、玲治とあきらがきょうだい関係にあるのは明白だろう。

 笠良城はそこに注目して、またも相手を煽る言葉を連ねていく。

 だがそれが、玲治の心の火にくべる薪となる。静かな怒りが、徐々に大きく燃え上がっていった。


「一つだけ、聞きたいことがある。……てめぇ、血統は持ってるのか」

「持ってないわよ。それに持っていたとしても絶対に使わないわ、ゲームは実力で勝負するもんなんだから」


 嘘は言っていない。玲治はその確認をしっかりと取った。

 もしかすると血統を使ってゲームを有利に進めていたのかもしれないと勘ぐっていた。そして出来れば、そうであってほしいとも思っていた。


 多気との神経衰弱では相手が弱かったとはいえ殆どのカードを揃えた。そしてあきらとのジェンガでは一番底のブロックを引き抜くという荒業をやって見せた。

 それらが全て血統の力抜きで、本当の実力だと言うのなら。

 実力がモノを言うゲームで笠良城に勝つことなどほぼ不可能である。


「ほら、はやくしなさいよ。何がお好みかしら?」

「……これだッ!」


 実力勝負ならば玲治に勝ち目は無い。はっきり言ってしまうと玲治に得意なゲームなど一つもなく、どのゲームを選んでも結果は目に見えている。

 だからこそ、玲治は実力の関係ないたった一つのゲームを選択した。


 色とりどりのナイフに、プラスチック製のタル、そして可愛らしい海賊の人形。

 運否天賦のこのゲームならば、勝機はある。


「なるほどね……運勝負に持ち込むってわけ」

「まさか断ったりしねぇだろ。これだって立派なゲームだぜ」

「勿論受けるわよその勝負。運でさえ、アンタはあたしに勝てっこないわ」


 火花を散らす両者の視線。

 黒ひげは静かに、タルの中へ捕えられた。

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