01.どうやら俺は本当の息子じゃないらしい。
「お前は、儂の息子ではないんじゃ」
目の前で父親からそう言われたとき、人は何を思い、どんなリアクションを取るだろうか。
信じられない気持ちでいっぱいになるか、それとも混乱して何も考えられなくなるか。はたまた冗談だと思って笑い飛ばすか。
カミングアウトを受けた嬉野玲治はそのどれでもなく、すこぶる悪い目つきを更に悪くしながら至極短い返事を返した。
「そんな気はしてた」
勘違いすること無かれ。目つきは悪いが玲治は怒っているのではない。むしろ驚きも怒りもしておらず、ほとんど無表情である。
生まれつきの目つきの悪さから、いつも不満げに怒っているのではないかと思われがちだが、これが彼の無表情なのだ。
玲治の短い返事を聞くやいなや、目の前であぐらをかいていた爺さんがカッと目をひん剥いた。
「なんじゃいその反応はァ! もうちっと驚いたりせんか!」
「いや、だからそんな気はしてたって言っただろ。驚くも何もないって」
「そんな気はしてたってお前、儂のことをずっと偽物の父親だと疑って十六年間生活しておったのか……なんという親不孝モンじゃあ……」
わざとらしく、よよと泣くフリをする爺さん。その一見いたわし気な姿を小さな黒目で睨みつけながら玲治は呆れていた。
爺さんの年齢は今年で七十九歳、既に他界している奥さんも生きていれば今年で八十歳だ。その年齢から玲治の歳を引いてみたら明らかに疑惑が浮き上がってくるだろうに。
「六十歳過ぎて子供産むなんて、普通に考えて難しいだろ」
「なぁにを言うか! この嬉野玄正、今でも中学生の如く節操無しに勃起するわい!」
「そんなこと聞いてねぇって! アンタは良くても素羽さんが無理だろ!」
「うぐ……その通りじゃ玲治。六十を過ぎて子を産むのは負担が重く、だから素羽はお前を産んだあとに逝ってしもうたっ……!」
「アンタらの子供じゃないんだろ俺は!? その作り話する必要あるのか!?」
ここでようやく玲治は苛立ち始めていた。ツッコミ際にバンッと畳を叩くと、玄正もようやくつまらない演技をやめる。
冗談の通じない性格じゃのぉ、と言いたげに玄正は顎をしゃくれさせるが、玲治は一つ小さなため息を吐いた。
「そもそも……俺に嘘はつけないって、よく知ってるはずだろ」
「まぁの。今から話すことが全部本当のことだと言うのも、わざわざ言う必要あるまいて」
顎にたくわえた長い白鬚を指でいじりながら、玄正は本題に入ろうとする。
玲治は生まれてから今日まで十六年間、この奥ゆかしくも大きな日本家屋で過ごしてきていた。もちろん、嬉野玄正が父、嬉野素羽が母としてだ。
物心ついた頃は二人が両親だと何の疑いも持っていなかった。
しかし玲治が小学生になると、徐々に違和感を覚えるようになった。その違和感とは、授業参観や運動会で目にする周りの保護者が明らかに、自分のそれよりも若かったこと。
それからというものの、玄正と素羽は本当の両親ではないのではと玲治は思い始めた。
今日に至るまで常日頃そう心の隅で思っていたからこそ、玄正にカミングアウトされても冷静でいられたのだった。
「お前の本当の父親はな、儂の弟じゃ」
「弟……? じゃあ、アンタは俺にとって正しくは叔父ってことかよ」
「そうじゃのォ。これからは玄正おじさんと気軽に呼んでもいいんじゃぞ?」
「……いいから。続きを話してくれよ」
玲治はこれ以上、冗談話に付き合う気が無かった。
それもそのはず。自分の本当の親について話をされているのだから、真剣極まりない心持ちなのだ。ふざけている場合ではない。
今まで玲治は親についての話をいっさい玄正に訊いたことがなかったが、その理由は単純だ。
玄正が本当の親でないとしても何の問題も無い。それが理由。
物心ついたときには玄正が親と認識していたし、本当の両親なんて顔すら知らないどころか、その存在すら考えたこともなかった。
会いたいなんて感情はそもそも生まれない。ドラマみたいに生き別れた両親を探している少年ではないのだ。玲治は。
だが今になって本当の両親についての話を玄正から持ち掛けられた。
一応玲治にも、話に耳を傾けるくらいに興味はあった。
「お前も春になれば高校二年生に進級じゃろ。将来のことについて考え始める時期でもある。ちゃんと自分のことについて知っておくべきじゃと、儂は思っての」
「じゃあ訊くけど、どうして俺は今までアンタの息子として育てられてきたんだよ?」
「儂の弟……つまりお前の父親がな、お前をとある理由で捨てようとしたからじゃ。そこを儂が引き取る形になった」
愛情を持って育てるべき自分の子供を捨てるとは、なんという親だろうか。
どんな理由があれば捨てるなどという選択肢を選ぶことになるのか、まだ子供の玲治には想像もできない。
きっと本当の父親に対して俺は怒るべきなんだろう。と玲治は思った。
しかしそう思っただけだ。実際、憤りは感じていなかった。父親に捨てられたとは言え、それで今までの生活が苦しかったわけでは無かったからだ。
玲治は玄正に今まで何不自由なく育てられてきた。家事全般も小学生の頃から一通り教わって出来るようになったし、日々の生活に不満を抱いたことは無かった。
自分を捨てた両親を憎むほど、辛い人生を送ってきたわけではない。
いまいち玲治は本当の両親に対して、現実感らしいものが覚えられず、何の感情も持てないでいた。
「さて、ここまで話したわけじゃが……お前はどうしたい玲治?」
「どうしたいって言われてもな。本当の親父が俺を捨てたって言うなら、別にこっちから戻ろうとも思えないけど……」
「会いたくは無いのか? 父親だけでなく、お前の妹と兄に」
「え……? 俺に、きょうだいがいるのか」
小学生の頃、子供心に思ったことはあった。
一人っ子というのは案外寂しいもので、きょうだいでもいれば少しはそれが紛れただろうなと。
父親に会いたいとは思わないが、自分のきょうだいには会ってみたい。会って話をしてみたいと、玲治の心に好奇心のような何かが芽生えた。
「お前のきょうだいは年子での。兄の方は既に県外の高校に通っておって、妹の方も今年その高校に入学するはずじゃ……お前が望むのなら、転校手続きと一人暮らしの手配をしてやらんでもないが」
「……そりゃ、会ってみたい、けどさ」
「儂に気を遣う必要などないぞ玲治。まぁ転校となれば今通っておる高校とはおさらばするわけじゃが……どうせお前、友達なんぞ全然おらんじゃろ!」
大口を開けて笑い飛ばす玄生に、玲治は正直なにも言い返せなかった。そう、図星である。
いまの高校生活は可もなく不可もなし。毎日が単調に過ぎていくばかり。
きょうだいが通っている高校に転校すれば、何か変化が訪れるかもしれない。
普通ならば決断するに多くの時間を費やす必要がある選択だったが、玲治は玄生が笑いつかれる頃にはもう決めていた。
「妹と、兄さんに……会ってみたい。俺、転校するよ」
「よく言った! 男子たるもの決断・素早く・潔く、じゃからの!」
早速引っ越しの準備のため、自分の部屋に戻って私物の整理を始める玲治。
ひそかに欲しいと思っていたきょうだいがいると知って、自分でも気づかずにうっすらと微笑む玲治。
期待に胸を膨らませていると時間は光のように過ぎ去っていき、新しい春がすぐそこまでやってきていた。