第二十八話
「”厄介なことになった”、と」
怜が発ってから毎日ではないが定期的に連絡を取り合ってる。二十一日以降必ず返信があったが、ここ何日か音信不通になっているために少し心配していた冬弥だったが、自身がそれどころではないので、「まあ大丈夫だろう」と心配をどこかへ放り投げ、とりあえず出来事の報告をするに止めていた。止めると言っても八千キロ先では訪ね用もないのだが。
「アオイも使ってたけどそれってなんなのよ?」
「お前携帯知らないのか?」
「知らないのよ。そんな板みたいなので何ができるのよ?」
ローがイルカのデフォルメが描かれたマグカップ片手に冬弥の後ろから覗き込んでいる。
不思議そうに見様見真似で指先で触ろうと手を伸ばす。
「アオイがこれで写真撮ってたりしてたのよ」
横に座る。そしてピースやハグ、それにいくつかよくわからないポーズをとって見せる。アオイと写真を撮った時に覚えたのだろうか。レンズを向けられているかのように表情も作っている。
「持ってたらアオイとも連絡取れるのにな」
「そうなの?」
大層興味を惹かれたようで、冬弥のスマートフォンを奪い取る。送信済みだったのでよかったが、そうでなければ変な部分を押していたかもしれないくらいに激しめに掻っ攫っていった。
甥っ子のような行動に、普段であれば笑って対応するのだろうが、怜への連絡にもあったように厄介なことで冬弥の頭の中は溢れていた。
「今度サンに買ってもらえよ。今はそれより話すことがあるだろ?」
弄るローの手から取り返す。
ローからすれば最重要なのかもしれないが、携帯電話どうこう以前に話すことがあるはずだと冬弥はローの熱い視線を受けつつもポケットにしまい込んだ。もちろんそれだけが理由じゃなく、壊されたらたまったもんじゃないと内心ヒヤヒヤだった。ある朝のことだ。使い方を見ていたのか、電気ケトルでお湯を沸かしていた少女はどう間違えたのか。お湯は沸かず、湯気の代わりに煙が立ち上っていたのは忘れられない。ボタン一つをどうやったらああなるのか。機械音痴の空気をひしひしと感じていた。
「なあ。サンの目的って一体何なんだ?俺達を殺すことが目的じゃないんだろう?」
殺す気なら最初からゲームなんて遠回しなことはしないだろう。そうまでして達成したい目的とは何なのか。目的次第では会話で解決できるかもしれない。戦闘に持ち込むことなくサンを退かせることが可能ならばそれに越したことはなく、勝ち取れるか否かは戦闘力が最も低いであろう冬弥には死活問題だった。
「さぁ?知らないのよ。そもそもサンはまどろっこしいのは嫌いなのよ。サンが決めたってことはもうどうしようもないってことなのよ」
ガックリと肩を落とす。
惚けているのではなく本当に知らないようだ。興味の対象が少年のスマートフォンに固定されており、よく考えずに返事をしている。振り返ってみてもローが深慮で謀を巡らしたことなど一度もない。思考回路は見た目相応だという認識だ。
ゆえに冬弥の望みは潰えたことになる。もっとも教会の第二騎士団が介入してくることなどこの時は知る由もなく、たとえ理由を知ることができたとしても引き返せないところまで一直線なことに変わりはなかった。
「サンって秘密主義なところがあるけど、別に気にしたこともないのよ」
「そうなのか?」
「たまに一人でどこか出かけたり、いつも食料庫がいっぱいだったりーーー」
サンの話を振ったのは間違いだった。先日も探すのはそっちのけで横から話し続けるローに辟易してことを冬弥は思い出した。
「わかったから、いったんストップ!それじゃあ得意な魔術って何なんだ?」
「それも知らないのよ。そうね……強いて言えば氷像を作るのが得意だったわ。私も教えてもらったのよ」
あぁ、そういえば上手いものだった。
ローと自宅の前で出会った日に冬弥が見た氷像は見事なものであり、その先生であれば確かに得意に違いない。しかしそうではなく、基となった逸話だったり術式に関することを聞けると思っていた冬弥はまたも肩を落とした。
良嗣や他の魔術師、ユーリア=デントリーグ等教会の騎士がいることを考えれば自身が相手になる可能性は低いと少年は見積もっていたが、情報は無駄にはならない。アイテムには所持上限があるのが普通で、物質でなくても上限がないのなら持っておきたいのが人の常。野菜の詰め放題で無理矢理にでも隙間に詰め込むのと一緒だ。数ヶ月前に弁当片手に見た一袋何百円に群がる主婦は本能的に避けざるを得ないくらい恐ろしかった。真っ直ぐ行けばレジなのに遠回りしたくらいだ。
「なるほど。つまりはサンは主婦ってわけか」
「頭大丈夫?」
いったい何を口走っているのか。
突然家族を女にされた上、全てを納得して解放された顔をされては思考回路が適当に切って繋げられたと考えて当たり前だ。
「仮にだけどさ、もし俺とサンが戦うことになったらどうする?」
仮じゃない。もしでもない。
そうなることは確実だ。冬弥達が戦闘になることは目に見えている。そこのところいまいち理解していない様子のこの白金髪民族少女はどう思うのか。
「イヤだけど?」
「やだシンプルぅ」
おっとついオネェ口調になっていた。あっけらかんとした答えに気持ちが追いつかない。
「気持ち悪いのよ?だいたいそんなこと気にしてどうするのよ。起こってもないのに。雲一つないのに雪が降るわけないでしょ?そんな日に傘なんて無駄なもの持たないでしょ?そういうことなのよ」
「そうかもしれないけど。でも一応嫌なんだな」
「当たり前なのよ。トーヤだって友達が戦うなんてイヤでしょ?喧嘩ならしょうがないかもしれないけど、戦うなんてナンセンスなのよ」
ぐうの音も出ない正論だ。友達同士が戦っているところが見たいなんてスポーツをやっているかサイコパスの二択しかない。最近以前の普通とは程遠い生活をしているせいで感覚が狂い始めているのかもしれない。だんだん思考がバイオレンスに寄っていることを自覚した。
ローはホットココアをすすり、熱かったのか舌を少し出した。
「って、そんなことはどうでもいいのよ。ほらケータイっていうのを出すのよ!」
「はあ!?嫌だよこの機械オンチ!」
「前も言ってたけどそれ何なのよ!私歌は上手いんだから!その音痴っていうの取り消すのよ!」
「誰も歌の話なんてしてねえよ!前から思ってたけどその常識知らずなんとかなんないのかよ!」
ああ全く。この少女ほどシリアスという言葉が似合わない人はいないのではないだろうか。ご飯に観光に携帯に。心の赴くままに行動する彼女はいつも楽しそうだ。特に食べている時。
やあぁっ、と両手を広げ冬弥へと飛びつく。
ポケットをまさぐろうと乗り出した体が冬弥の膝の上に寝そべる形になり、同時に突き出された腕が偶然ボディに入り、「おうっ」と呻き声が漏れた。小さい手が不幸なことに隙間を縫って急所に刺さったらしい。気を抜いていた柔らかい体には手痛い一撃だ。その隙にスマートフォンを手にした少女は意気揚々とソファへと座った。
「なんなのよ、ずっと同じところじゃない!トーヤどうなってるのよ!」
何度も冬弥が触っていたように指先で画面上をタップし、スライドさせる。その度に鳴る警告音のようなものが冬弥に痛みを忘れさせ、壊れた電気ケトルが注ぎ口から煙を吐きガタガタ痙攣していた最後の様を思い出す。現代学生の命ーーー冬弥はなくてもそこまで困りはしないがーーーとも呼べる相棒を救うため体に鞭打ち立ち上がる。
「待てこの、大人しくそれを置け!」
「ヤダ!」
「ちょ、おい逃げるな!壊れるだろうが!」
「何その私が持ってるだけで壊れるみたいな言いかた!もし壊れたらそんな柔な作りのこのケータイが悪いのよ!もう絶対返さないのよ!」
「逃げてる時点で返す気なんてさらさらないだろ!」
ソファの周りをぐるりと回り、テーブルから廊下へ、これではもう鬼ごっこだ。スマホより先に他の物が壊れそうだ。その兆候が冬弥の伸ばした手の中だ。走り回ったローがぶつかったテーブルから落ちた空のマグカップが強めに握られていた。
「ほら見たことか!」
「それはトーヤのせいでしょ!私を追いかけてくるから!いい加減諦めて止まるのよ!」
パリーンッ
マグカップが割れる。完全に無意識のうちに身体強化を使っていた。イルカのイラストが粉々に砕け散る。床に転がる可愛らしかった顔はどこか悲しげだ。南無三。成仏してくれ。
「いやあああああーっっっ!?」
断末魔みたいな声が廊下からリビングまで響いてくる。
飛び出していったローは開け放った扉から見てしまったのだ。お気に入りのコップが割れる様を。しかもそれが他ならぬ冬弥の手によって砕かれる様を。
「なんっって事するのよ!いくらなんでもそれは酷すぎるのよ!」
「ああいや、すまん」
「謝ってすむならポリスメンもシェリフも緑のパトロールのおじさんもいらないのよおーーーっ!」
「ちょおおおおい!家が壊れるだろうが!いや悪いのは俺だけどもさ、ついうっかり思いが拳に溢れたみたいな男の子にはしょうがないこともあるんだ!」
「へぇそう私への思いで壊れるってへぇぇぇそうわかったのよ」
部屋の中で荒れ狂っていた到底密室にあっていいレベルでない雪嵐がピタリと止んだ。
「わかってくれたか」
「もちろんわかったのよ」
ああいい笑顔だ。でも目が笑ってない。これはわかってない。意思の疎通ができていない、もしくは意図的に疎通することを拒否している者特有のアレだ。
「ねえホントにわかってr
言い終わることはなく、前髪の先端が凍った。摘んで見ればパキリと乾いた音を立てて砕けてしまう。髪の毛って凍ったら折れるんだ、と思ってしまうのは現実逃避だろうか。前髪を数センチ失った冬弥は静かに扉を閉めた。
想像以上に大事になりそうな空気がひしひしと扉越しに伝わってくる。下部の隙間からドライアイスに水をかけたような白煙が床伝いに部屋を満たし、足元の冷えは暖房をつけているはずなのに外気に晒されているのと変わらない。逃げればいいのにも関わらず彼がそうしないのは偏に理解しているからだろう。このまま家を出れば帰る頃には家すら無事に残っているか疑わしいことを。
オイルが切れた摩擦音に似た音が目の前のドアから重く鳴る。冬弥は不安と緊張で生唾を吞み込んだ。
「どうしたのトーヤ?まだいるなんて、もう出た方がいいんじゃない?」
「い、いやあ昨日は色々あったし今日は休もっかな、なんて」
「そんなぬるいこと言ってるからサンにいいようにやられるのよ」
どの立場で言っているのか。
挑発に乗って外に出るわけにはいかない。なんとか活路を見出そうと横を向けば何かが目の前を通り過ぎる。そのまま首を背後に向ければ氷柱が壁に突き立っていた。
「こんちくしょうッ!」
リビングを飛び出し、廊下を駆け抜け、冬弥は家から逃げ去った。




