第二十五話
打って変わって曇天。
茶室の破壊でJCが怒り、非常識に付き合わされ鉄屑が徒労し、ローが再会に喜んだその翌日。
冬弥とアオイを除いて、彼等はユーリア=デントリーグに呼び出され、教会の一室に初日と同じように座っていた。
「話は概ね聞いた。答えもわかっている。その上で聞こう。貴様らはどうするつもりだ?」
その問いに答える者はいない。答えたところで無意味だと知っているからだ。
教会と事を構える気は誰一人として毛頭ない。であれば後々どうなるかは置いておき、この一時は共に戦線を張るという結論にならざるをえなかった。
だがこの場にそんなことで頭を悩ませる人間は一人もいなかった。一人はいかにして茶室の再建費を毟り取るかを考え、一人はこの後どこに遊びに行こうかを考え、一人はそもそも寝不足なのか船を漕いでいた。
「……まぁ良い。昨夜私の元にも奴が来た。どうやら我々との全面戦争がお望みらしい。一人で全面戦争とは舐められたものだがな」
「そこに俺達も含まれる、と」
「無論だ。業腹だが我等教会だけでは確実性に欠けるという結論が出た。それに奴の中では貴様らの参加は既に決定事項のようでな。貴様らにも立ってもらわねば困る」
ユーリア=デントリーグは片肘をつき、心底面白くなさそうに口を曲げている。
こんなはずではなかった。アイスランド教会の総力を挙げた展示会を盗まれたことで潰され、その犯人の見当すらついていないなかで用意した二つ目の至宝も今こうして手元から消え去っている。
全てが後手後手に回る中で訪れた奪還の機会を見逃すわけにはいかなかった。それが例え犬猿である魔術師に借りを作ることになろうとも。
そっと目を閉じ、ユーリア=デントリーグは昨夜の侵入者を思い出した。
▽
夕食をすませた後、残った仕事を片付けるため教会の最奥にある執務室の扉を開けようと手をかけ、その手を止めた。扉は糸に繰られるように独りでに彼を迎えた。部屋にかけられた魔術が破られた形跡はない。だが中からは自らの存在を示すように、プレッシャーが波となってユーリア=デントリーグを打った。
「……何者だ」
「酷いな。一度は顔を合わせた仲じゃないですか」
サンはアンティークのウッドチェアに腰掛けていた。背後のステンドグラスから差し込む光は蒼く、水面のように揺らめいていた。
ユーリア=デントリーグはブルッと肩を震わせた。幾重にも張られた結界は全て無傷にも関わらず侵入された事実にだけではない。空調をつけて出たはずの室内は、息が純白になるほどに以前の温もりを奪われていた。息をするたびに肺が凍り付くような痛みを感じた。
法術師としてそこそこに優秀であるがために、自身では絶対に敵わないという事実だけが理解できてしまい、彼我の差を測ることさえ烏滸がましい、そう感じるほどにユーリア=デントリーグは法術師としては尊敬を禁じえなかった。
睨み合ったまま、もっともサンはニコニコとしているだけだが、時間だけが流れていく。
これが魔術師でもない、金とコネでのし上がった御飾りのトップであったならば、失禁の上に気絶を重ねてしまう対面であっても、腐っても教会という組織の一幹部、その胆力に裏社会を渡り歩いてきた一端が垣間見える。
「……目的は何だ。貴様ほどの魔術師ならば逃げおおすことも容易であっただろう。何故そうしない」
迂闊に魔術を使うわけにもいかない。サンの人となりを知らない以上軽率な行動は命取りになりかねない。だがこのまま無為に向かい合っていれば、氷像となる未来が待っていることは間違いなかった。徐々に、しかし体感で分かるほどに明確に温度が下がっていくのを足先から、痺れを危険信号として感じ、口を開くしかなかった。
そう誘導されているとわかっているために、ユーリア=デントリーグは憎々しげに言葉を紡いだ。
「それは間違いない。でもそれじゃあいけない。あなたにも目的があるように私にも目的があるんですよ。まぁ、それを話すことはありませんが」
「実に魔術師らしいことだ。独善的なエゴイズム。世界の中心が自分だと勘違いしている愚か者めが」
「世界の中心、ね。あながち間違いでもないが……でも君だってそう思っているのではありませんか?地球は私達を中心に回っているのだと」
「そんなことなど―――」
「でなければ私は今ここにはいませんよ。盗まれなければ取り戻す必要もないのだから」
口籠らざるをえない返答だった。
教会の至宝と銘打ってはいても元を正せば島から盗み出したもの。口振りからサンが所有者であったことは明白であり、であればなおもって権利を主張するのは厚顔無恥というものだ。
仮に教会に一片でも関係していたものであれば建前上であっても奪還の名目ができていたが、そうでないことを島からの奪取を命じたユーリア=デントリーグはよく知っていた。
ポーカーフェイスの裏で頭の中を掻き回す。ここで黙してしまえば後がない。サンに大義があると認めるようなものだからだ。
教会は常に正道でなければならない。それは教会が教会であるための原則であり、その道がたとえ欺瞞であっても曇り陰りを作ることは断じてあってはならなかった。
表情筋一つ動かさなかったユーリア=デントリーグしかし予期しなかったことで崩される。焦る彼を助けたのは他でもないサンであったからだ。
「まぁそんなことは今更どうでもいいんですけどね。責任の所在だとかどっちが善悪かなんて事ここに至っては意味を持ちませんし。……全く、未来に勝る過去なんてありはしないのに、どうして人間っていうのは過去に重きを置くんだろうね」
終始笑顔で、ある種ユーリア=デントリーグ以上に感情を読むことはできず、本意からの言葉であるのか判断がつけられなかったが、話の流れを断ち切ったという事実は彼に一寸の安堵を与えた。
「まぁ、そんな実にも種にもならない話は置いておいて。本題に入ろうか」
「本題?」
「ああ。まずはこれを見てもらおうかな」
サンは懐に手を入れ、何かを取り出し、机の上に置く。しかしどうにも安定に欠けるようでゴロゴロと転がりだしたところで、仕方なし、と手に持ち直した。
「それはッ」
「君が喉から手が出るほどに欲しているものですよ。確か……至宝、と呼んでいましたっけ」
どこから取り出しただとか、そんなことを気にする余裕を今のユーリア=デントリーグは持つことができずにいた。目が奪われる。目の前の渦を内包する蒼の球に全神経が割かれていた。
一度は手中に収めた物が、エノコログサに翻弄される猫さながらに、彼の心を揺らした。秘められた魔力のためなのか、吸い寄せられるように伸ばされる手を遮り、サンはそれを手の中で弄んだ。
「これ、欲しくないですか?」
「……欲しいと言っったらくれるのか?」
「心にもないことを。金持ちの子供でもあるまいし、望むだけで手に入るわけもない」
最も子供であってもあげられるものではないけど、と笑いながらも次の言葉を待つサンに対し、ユーリア=デントリーグの口から声が引きずり出された。
「私にどうしろと?」
考えるより先に口が動く。まるで操られているような感覚に陥り、サンの満足そうな顔がさらに助長させた。呼吸の感覚でさえサンの思うがままなのではないかと負の思考へと染まっていった。
「―――なに、難しいことはないですよ。一つ、私とゲームといこうじゃないですか」
▽
ゆっくりと瞼を上げる。
「既に賽は投げられた。最早後戻りはできんぞ」
苛立ちや焦燥などではない、ただ純粋な義務感と責任感が言葉を重くする。依頼時に見せた高圧的なものとは異なるプレッシャーが、これから挑む難敵の強大さに比例しているかのようだった。




