第二十三話
天井が砕け、散っている。
舞うは粉塵ではなく、どこまでも透き通った氷粒だった。
微小のダイヤモンドが冬弥の頬で溶け伝う。
家屋全てが氷へ下げ変わり、周囲の様相は極域と大差ない。
むしろ太陽光が透過と反射を繰り返し、プリズムのように色を撒き散らすその様は、極域よりも幻想的で、見る者に神々しさすら感じさせた。
再現不可能な天然のステンドグラスは硬く澄んだ幻音すら振り撒いた。
「ゲーム?悪りィがお子様のお遊びに付き合うような暇人はここにはいねェよ」
「お遊びか。まぁ、それも悪くないね」
鉄屑の挑発も全く意に介さない。楽しんでいる節さえある。
どこまでも自然体で浮かぶ襲撃者がそこにはいた。
圧倒的なまでのプレッシャー。
唯そこにいるだけで引力となって人を引きつけ、押し付ける。
この場の誰にも手が出せない存在力は動くことを阻害し、現実からその空間だけをもぎ取った。
かつて出会ったイニアリテール=ネクロと同等か、下手をすればそれを超える力の流動が冬弥の肌を舐めるように流れていった。
纏まってかかっても五分に持ち込めるか。
何も情報がない中、最悪の状況を考えるからこそ誰も動くことはできなかった。
それが理解できていながら逃亡しないのは無暗に動けないというだけでなく、論理じゃない希望的観測が彼等の心に巣くっているからだろう。
そのなかでも一人。
ローだけは何も変わらず、冬弥が出会ってからで最も落ち着いた顔で声を上げる。
「サン!やっと見つけたのよ!」
声に宿る安堵。
それに応えるようにこの場の支配者は、空から地へ緩やかに足をつく。
「久しぶり、なのかな。流石に毎日一緒だったからニ週間足らずでも長く感じるね」
時間の感覚は積み重ねた経験と感情に左右されるらしい。
ローは衝動的にサンへと抱き着いた。
これが普段であれば感動的な再開ですんだものだが、今これを感動的だと思っているのは当人と傍観者だけだ。
巻き込まれた人達は時に被害者へと名前を変える。今回がそれだ。
理論的にも感情的にもどうすべきか迷っているが、露になった逆光の天使の顔に、冬弥はローが作り出した芸術レベルの氷像を思い出した。
「あの人がローの……」
「知ってるのか?」
「さっき言った交換条件の…」
「あぁ、あの子の探し人か」
事前に良嗣には話していたが、知っているからといって場の解決にはならない。
ローの知り合いだと分かっただけで、そもそもローを一番知っている冬弥でさえその情報量は零に近しい。会って数日でわかることなど、貼り付けた上っ面と好き嫌いの僅かな差だけだ。
「早く帰るのよ」
「帰っていいのかい?友達もできたんだろう?」
良嗣を盾にするアオイのチラッと見、そして冬弥へとスライドさせる。
帰りたい、でも名残惜しい。
相反する感情でローは顎に手をやり、どうしたものかとムムムと唸る。
「悩むことはないよ。少しここでやることができたからね。終わるまでは彼等と一緒にいるといい」
「そうなのよ?」
「ああ、そうだとも」
やっと訪れた休日の門限を延ばしてもらえた子供のように、ローは張った肩の力を抜く。
普遍的な親子のようなワンシーンを見た冬弥達だったが、そこにホッコリと和む要素があれど、腕を広げて受け入れるキャパシティはなかった。
「感動の再会に水を差して悪いが、まさかその子に会いに来ただけではあるまい?」
有無を言わせぬ重さで語りかける。
間違いなくこの中で一番の被害者はJCだろう。こだわりの茶室を木っ端微塵にされ、夏の燦々とした熱射でその木っ端さえ溶けて水へと還っている。すでに茶室があった事実が文字通り溶けて消えようとしているのだ。
これでローに会いに来ただけなどと言われた日には確実にブチ切れる姿が見られる。
では果たしてその答えは、
「まぁ、間違いではないね」
「キサッ―――」
「ああ待って下さい」
まさに飛び掛かろうと、いや実際には魔術がなのだが、した矢先、サンがそれを制止する。
特別何かをしたわけではない。
ただ声をかけただけで十二分の成果を得ていた。
両者共にこの場で斬った結んだ、殺し殺されを演じる気がなかったがために、容易に止め、そして容易に止められた。
いくらその気がなかったとはいえ、一声で動きを止められたJCは不快感を表しながらも、分が悪いと感じ取ったのかそれ以上は何もしない。既に頭の中はどうやって建て直すかが五割を占めている。
「初めはそのつもりだったのだけれどね。さっきも言った通りだよ。ゲームを始めるって」
「だから俺達はテメェの遊びに―――」
「遊びが嫌なんでしょう?なら本気で、死合おうじゃないですか」
手元にアイスボックスが形成され、砕け散るとともに、中からどこかで見たような木箱が現れる。
びっしりと描き埋められた魔法陣。教会で目にした依頼品の姿と瓜二つ、しかし決定的に異なったのは放たれる圧力だった。写真では感じられない、教会の至宝と明言するだけのことはある魔力の奔流が、封印越しにもかかわらず理解できる。
間違いなく、彼等が探し回っていたものだと、誰もが納得せざるを得なかった。
「君達の探し物でしょう?なら賞品にはうってつけだ。仕事を完遂するために必要なら私に付き合うのも悪くはないと思いますけどね」
不純物を含まない氷さながらに澄んだライトブルーの瞳が、何もかも見通すように冬弥達を見据える。確かにこれが数十分前ならば彼等にも魅力的に映っただろう。だが既に手を引くことを決めたことで、全く逆の価値観へと変貌していた。
「もう少し早く来てればな。生憎とその仕事はさっき終わったところでね」
負ければ死に、勝っても得るものは面倒が詰まった箱一つ。割りに合わないのも甚だしく、ただのは一つとしてサンの言葉に乗る理由が見当たらない。
今更箱を手に入れたところで、教会に何かしらの裏があると感じている以上「はいどうぞ」と渡すわけにもいかなくなっており、加えてどこぞの組織まで参戦してきた現状では両者の板挟みになる可能性が高い。
割りに合わない厄介ごとは御免だと、満場一致で撤退の決断を下した。
「というわけで悪いな。俺達は下りるぜ。あんたのゲームとやらからも教会からの依頼もな」
「そうですか。―――ですがもう手遅れです、本気で、避けられると思いますか?」
サンは笑う。
冬弥達に取れる選択は一つしかないと言わんばかりの黒い笑顔だ。子供が見れば悪役一択の笑い方も顔がいいだけで実に絵になる。この場ではどちらが善悪だとかはないのかもしれないが、挑発でしかない言葉にのせられたJCの方がよっぽど悪人らしい顔をしていた。
「ここで君達を殺すことは簡単だ。あぁ簡単ですとも。殺すならとっくに殺してます。でもそれじゃあ面白くない。それに私の目的にもそぐわないですしね」
「目的?」
「気にしないでいいですよ?君には関係のないことですから」
「あァ?」
表面上は紳士的な態度をとっているサンの言葉にガンを飛ばす鉄屑は一応味方であるという贔屓目で見てもチンピラにしか見えない。
だがいくら睨みをきかせようともサンの態度が一片でも変わることはなかった。鉄屑とは普段バチバチの関係なんだろうと冬弥があたりをつけている良嗣が止めに入っているのもまた、普段ならば彼等にも面白い光景だったに違いない。
サンは一拍おいて再度問う。
「私のゲームから降りる人は?」
言葉を発さず、誰一人動かない冬弥達を見て、サンは満足そうに、鷹揚に頷いた。
「では、詳しい話はまた後ほど。……ああそれと、さっきの手遅れという話、なにも私のことだけじゃなくーーー教会のこともですよ?」
サンは明後日の方向へ笑いかけた。
「気付いていたか。流石にノーマンを殺しただけのことはある」
ローの背後に西洋甲冑が三領、剣を携え退路を断つように屹立する。
二人はバイザーを下ろしているが、挟まれた一人はそもそもヘルメットをつけていない。格好で言えばサルヴァトーレ=ミレニアムのような、儀礼的、というのが近いか。
「ノーマン?……ああ、あの不法侵入者ですか」
「……その口を閉じろ」
余程腹に据えかねたのか、騎士の一人が剣を抜こうと一歩前にでた。しかしそれを中央の騎士、アレスティ=ハルウェイが制す。一見冷静な行動に見えたが、よくよく見ればそうでない。射殺さんばかりにサンをその眼に捉えて離さない。
「随分と冷静ですね。その様子だと彼は大切な人だったんじゃないですか?」
「私とて馬鹿ではない。この戦力で確実に勝てるとは言えん以上今日は手を出さん。貴様の顔を確認しに来ただけだ」
「そんなことを言われて私が君達を見逃すとでも?」
「“殺すならとっくに殺してる”、そうだろ?」
「悪趣味ですね、聞いてたんですか」
「……よく言う」
気付いていなかったはずがない。笑いながら言われても馬鹿にされているとしか思えなかったアレスティ=ハルウェイは反射的に抜剣しかけた右手を意地で抑え込んだ。
「今日はこの辺でお開きにしましょうか。君達にしろ彼等にしろ、これ以上動きはなさそうですし」
サンはローにハグとさよならを残し、霞のように消え去った。
あまりに呆気なくこの場を後にしたサンに僅かに毒気を抜かれた面々だったが、同時にホッと肺に溜まっていた空気を吐き出した。
「して、説明はあるだろうね?」
だがしかし。気を抜かない、この一点に限っては今、教会側に軍配が上がった。
全く散々な出来事は続くものだ、と冬弥は静かに良嗣の背後へと下がった。




