第二十話
「起きるのよ」
「……後……」
「後?」
「五ふ、ッンん!」
冷気が針となって冬弥の肌を刺す。
昨日の刷り直しが一室で行われる。
うんざりするような覚えのある気配に冬弥は体を起こそうと踏ん張るが、昨日思いがけず使ってしまった魔術の反動で筋肉が動きたくないと鈍痛を発した。
体育祭の後程度の心地良いくらいのものだったが、全く意識していなかったために冬弥はボフッっと再びベッドに沈み込む形となった。
「……学習能力が足りないのよ?反復練習が必要ならそう言ってくれればいいのよ」
「ま、待った待った!起きてるから!」
「そう?なら早く行くのよ。そう急かしたのはトーヤなのよ?」
ローの後に続き寝室を出る。
リビングで壁掛けの時計を見れば短針が指しているのは「6」という、普段なら見ることのない数字だった。窓から入る光もどこか青みを帯びている。
こんな時間に起きたのはいつぶりだろうかと冬弥は寝ぼけた頭で何気なしに考える。
そして大きな欠伸を一つし、固まった筋を伸ばした後、ソファーでくつろぐローを横目にキッチンへと入っていった。
「……そういえばさ」
「?」
寝起きで小さくなった声も静まった朝方における室内ではよく通った。
「何だかんだ家にいるけど帰んなくていいのか?親だって心配するだろ」
ローが魔術師であり、且つ濃密な一日を過ごしたことでマヒしていたが、考えてみれば年頃の女の子が単身見知らぬ男の家に泊まっているというのは外聞を抜きにしても色々マズい、と冬弥は今更ながらに考えていた。
明らかに日本人ではない、が言葉は流暢だ。日本在住でも不思議はない。
ここで帰られても困るが、後々面倒を持ち込まれても困ったものだ、と冬弥はどう説明したものかと適当な理由を頭の中ででっち上げ始めた。
「そんなこと?問題ないのよ。パパもママもずっと前に死んでしまったのよ」
「ッ。悪い」
「謝ることないのよ。もう顔も覚えていないもの」
その言葉に嘘はないのだろう。
ローの動きに感情の澱みはなく、テレビを点け、あははと笑っている。
死んだ家族を語るにはあまりにあっけらかんとし過ぎていた。
当人は何とも思ってないのかもしれないが、それ以上冬弥は話を進められなかった。
フライパンの上のウインナーの皮がパチッと弾ける。
「ん。いい匂いなのよ。今朝は期待できそうな感じなのよ」
「何だかんだ昨日は夜食べ損ねたからな。結構食べれそうか?」
「ドンとくるのよ」
嵐のような昨日一日の中でまともな食事は朝の萎びた野菜のサンドイッチだけだった。
良嗣との電話の後、ベッドに倒れこんだ冬弥はそのまま睡魔に誘われるままに眠りについた。
結果として昼も夜も食べることなく今日を迎えたわけだ。
であればローの容赦のない目覚ましも空腹からきた一秒でも早くという催促だったのか。
「まあまあなのよ。サンに比べたら少し劣るのだけれど」
「そういうのは本人の前では隠すもんだぞ」
とは言いつつフォークはロスなく食べ物をローの口へと運んでいく。
顔だけ見れば美味しいと思っていることは明白だ。ならばサンとやらの料理はどれ程美味しく、ローにどんな顔をさせるのか、冬弥の好奇心をかき立てた。
成長期の男子学生さながらの旺盛な食欲はものの十分足らずで皿を空にした。
「まんっぞくなのよ」
「そりゃ良かったよ」
簡単にできるものしか作っていなかったが、それでもここまで幸せそうな顔をしてくれるなら作り手冥利に尽きるというものだ。
現に冬弥も柔らかく笑っている。
「それじゃ、早く行くのよ」
「もうか?食べたばっかなんだから動きにくいだろ?少し休んでからにしないか」
「これくらい何ともないのよ。それより早くサンを見つけてあげなきゃ。こんなに離れたの初めてなのよ。サンが泣いてるかもしれないのよ」
「いや、子供かよ」
ローの話の限りでは少なくともローよりは年上であることは間違いなく、推測される人物像からも迷子になったからと泣き喚くような性格ではないはずだった。
「とにかく準備できたなら行くのよ」
「分かった分かった。……と、ちょっと待て。ほら、これ着てけ」
「コート?」
「今日は寒くなるらしいからな。そんな薄着じゃ風邪引くぞ」
「風邪なんて引いたことないのだけれど……ありがたく借りておくのよ」
白く統一されたローが黒のチェスターコートに袖を通す。
冬弥より一回り小さいローが着たことで、かなりのビックシルエットになってしまっていた。
「……あったかい」
「ほら行くぞ!」
「ちょ、待つのよ!」
ボーっとしたローを置いて、一人先に行く冬弥を追いかけるロー。
響く足音は軽快で、溜まった冷気を蹴散らしていった。
▽
昨日と違い当てもなく街を歩く。
ローの野性的勘によれば近くにそれっぽい反応はないらしく、勘が働くまで二人はただぶらぶらと街ブラに勤しんでいた。
薄く黒ずんだ曇天が光を遮り、朝だというのに日が沈んだ後のような暗さだ。
確かにこれでは気温も下がるだろう、と冬弥は思った以上の肌寒さにコートを着直す。
「雪でも降りそうだな」
「……あまり雪は好きじゃないのよ」
「そうなのか?」
「始めは綺麗かもしれないけど簡単に汚れてしまうのよ……」
ローは雪と氷で覆われたような場所だと肯定していた。ならば滅多に雪の降らない東京では親近感を感じられる機会だと考えた冬弥の思惑は外れたようだ。
空を見るローの顔は憂と悲が混じった―――泣き顔に近いものが秘められていた。
「ロー?」
「何?どうかしたのよ?」
「…いや、何でもない」
声をかけた瞬間、間違えて差し込まれたアニメの一コマのようにニコニコとした顔に飲み込まれていった。
だが、たとえ表情が戻っていなかったとしても、冬弥は同じように躊躇っただろう。
果たして踏み込んでしまっていいものか、と。
「そういえばサンってどんな人なんだ?」
露骨に会話の流れの舵を切った冬弥に、しかしローは気にする様子もなく嬉々として乗っかった。
ガラッと変化した雰囲気に、少し気になっただけだった冬弥だが、予想以上の感触に正解を引いたのだとホッとした。
「サン?……そうね、私のとっては親友で、パートナーで……唯一人の家族なのよ」
「なんとも言えない関係性だな」
「そう?単純なことよ?要するに大切な人、ってことよ」
恋人に向けるような単純な感情ではない。ローの言葉の端々、表情、声、その全てから伝わるのはとても柔らかな空気だ。
熟年の夫婦が縁側で醸し出す空気感に当てられた冬弥は自ずと笑いがこぼれた。
「大事な人なんだな。懸命に探すわけだよ」
「当たり前なのよ。このまま一人で帰るわけにはいかないのよ」
「いや、それはそうだろ」
荷物も、果てはお金さえ持っていない様子のローでは空港にすらたどり着けないだろう。
だがローが言いたいのはそういうことではなかったようで、
「サンがいなかったら私はどうやって生きていけばいいのよ?」
掃除も洗濯も料理も誰がやってくれるのよ!
そう言い奮起するローに、苦労してるんだな、と面倒を見始めて二日経たない冬弥でさえ摩耗が激しいのに、それを毎日こなしているまだ見ぬ保護者に共感と同情を禁じえなかった。
「哀れな……労わってやれよ?」
「どうして?」
「鬼かよ!?お前みたいなお転婆だとサンって人も苦労が絶えないだろって話だよ」
こんなローに合わせた生活を送っていたら過労死が現実味を帯びて肩を叩いてきそうだ。
「でもサンが疲れてるところなんて見たことないのよ。いつもニコニコしてるし、手伝おっか、って聞いた時も何もしなくていいって言ってくれたのよ」
それは本音との裏返しだ。冬弥は内心でツッこんだ。
それに、とローは続ける。
「サンは凄いシャーマンなのよ?家事なんて全部一瞬で終わってるんだから」
料理をしているところは見たことがあるが、掃除洗濯の姿を一度も見たことがないと、ローはいかに凄いのかと語る口が止まらない。
「今住んでるお家だってサンがパパっと建てたのよ?トーヤのところよりずっと綺麗なんだから」
「やっぱりサンも魔術師なのか?」
話を聞く限りとても人間とは思えない。漫画の世界の某執事でさえ普通に家事をしているのだ。
それにローの相手は普通の人間では勤まりそうにもなさそうだ。
「そうよ?サンは世界一のシャーマンなのよ」
「なら向こうが探しに来るんじゃないのか?世界一なんだろ?」
「確かにいつもならサンが探しに来るのよ?でも今はちょっと調子が悪いかもしれないのよ。それに勝手にいなくなったのはサンなのよ?だから私が探してあげないといけないのよ!」
「さいですか」
背伸びしたい年頃なのだろうか。
よくある「迷子になったのは自分ではなく母親だ」と言う子供を見ている、といのが冬弥の正直な感想だった。
魔術師としてミステリアスな一面の中でもこんな見た目相応の面を見たことで、冬弥にもローに対する余裕が少し生まれたのかもしれない。
何の繋がりもなく訪れた魔術師という怪しさから警戒していたが、悪意も奸策も感じられない。何なら怜と付き合っていくよりも気は楽かもしれない、そう思ってすらいた。
「なら尚更早く見つけないとな」
「勿論なのよ!多分トーヤもすぐ会えるのよ。私の勘がそう言ってるのよ」
「お得意の“勘”か」
「トーヤも分かったでしょ?私の勘は当たるのよ」
一時間後か今日中か明日か。
すぐというのがいつかは分からず、何の証拠もない言葉だったがそれを聞いた冬弥の中では事実のように思えてくることが不思議でならなかった。
一連を経て、冬弥は最早ローの勘を疑ってなどいなかった。
「じゃあ続けるのよ?サンはね―――」
「ハイハイ。探しながらな」
▽
明くる朝。
冬弥は寝ぼけ眼で洗面台に立っていた。
整髪料を手に取り、左右にはねた髪を整える。
「何も見つからず、か」
にゃぁ
「……お前は悩み何てなさそうで羨ましいよ」
一日中歩き回り見つけたのは、「そこなのよ!」と自信満々にローが見つけたこの野良猫一匹のみだった。
魔力を感じたと駆け出した後を追えば猫を抱きかかえたローがゴロゴロと喉を鳴らし合っていた。だがそれも再び調べてみればただの野良猫だと判明した。
そんなことはない!、とローは言ったが、そう結論付けたのもまたローだった。
しょうもない勘違いに意気消沈で帰宅すれば、どこに隠していたのかソファで猫とじゃれ合い始めたローと飼う飼わないで一悶着あり、疲労感三割増しの冬弥は泥のように眠った。
そんなこんなで成果なしの冬弥は若干気を重くしながら、昨夜届いたメールを思い出す。
「九時に集合って早すぎる……てか臨川庭園ってどこだよ」
シャカシャカ、歯を磨く。
「わらひへいへんっへはひへへなのほ」
口を濯ぎ、タオルを手に取る。
「いや連れてかないからな」
「なんふぇなふぉよ!?」
「確実に面倒な未来が見えるからだよ」
隣で腰に手を当て、ちゃっかり身だしなみを整えるローをしかし突き放す。
キャラが被りそうな女の子が一人いるし、と二日ぶりに会うであろうアオイの姿が若干ローに重なった。
……似てはいないか。身長以外は。
「お前ももう少し見習って家事をしろ家事を。せめて散らかしたもんくらい片付けてくれよ」
冬弥からタオルを受け取る。
「私は散らかしてなんていないのよ」
口を拭き、タオルを洗面台に放る。
「ほら。そういうところだって」
「ともかく私も行くのよ。一人置いてかれても暇なだけなのよ」
「ちょ、待てって!」
こうなればもう決まったようなものだろう。
右から左に話を聞くことなく出掛けの準備を進めるローに折れたのはそれから五分後のことだった。




