第十三話
十二度鳴らされた鐘がその度に教会を振動させ、計算されたステンドグラスを透過した光がキラキラと聖堂の中を彩り、訪れた信者や観光客を幻想的な世界へと誘っていた。
すぐ裏で起こっていたことなど露も知らない人々は笑顔で話し、祈りを捧げていた。
グゥゥゥ
金が鳴り終え残響も遠くに消えていった静寂にどこからともなく地鳴りが聞こえた。
雑音のない部屋の中は音が反響するよう設計されていたこともあり、その音は全員の耳に届いた。
「おいおい誰だよ?こんな時に腹ァ鳴らしてる奴はよぉ?」
「……私じゃないからこっちを見るのを止めなさい」
光を反射する程に鮮やかな金色の前髪の隙間から鉄屑を睨みつける。
「つまんねぇなぁ女王様よぉ。あんたが腹の虫を鳴らしたってんなら最高に笑ってやったのによ」
「あなた本当にいい性格してるわよね。顔はいいのに。それがなかったら私が貰ってあげるのに」
「そりゃゴメンだね。女王様なんて夜だけで充分だぜ」
「……あなたそんな趣味あったのね」
自らの下の趣味嗜好をぶちまけたことすら気に留めず、鉄屑は静かに笑った。
女王様。
彼女の姿、雰囲気までがその一言で周りを納得させるだけのものを持っていた。
コートの合間から見え隠れするタイトスカートから伸びる生足は男を惹きつけ、甲にキスを迫られれば止む無しと口をつけてしまうだろう。
一方鉄屑のそんな姿に良嗣の袖にくっ付いているアオイはかつてないほどに精神的に距離を取ろうとしていた。
確かにどれだけ顔が整っていても性格がこれでは誰も相手は見つからないだろう。
「まぁお前じゃないってのは分かってたけどよ?誰があんなベストタイミングで鳴らしたんだ?」
「アオイよ?」
小さな手が一つ、上へと登っていく。
この中で一番小さな手はしかし、震えなどは一切なくしなやかに伸びた。
アオイはどんな子供でも萎縮してしまうであろうこの場面で恐る恐るでもなく、スッと自白した。
それだけ鉄屑にも、こんな空間にも慣れていることの証左でもあった。
「んだよアオイちゃんか。おい拳、世話になってんだからちゃんとメシ食わせてやれよ」
「ちゃんと食わせてるよ。丁度昼時だし仕方ねぇだろ」
「まぁこれ以上話すこともねぇし、どっか食いに行こうぜ。今なら俺が奢ってやるぜアオイちゃん?」
「何でも?」
「釣られるなよお前」
何度か良嗣の仕事に追従したことで嫌な繋がりまで出来ていたらしく、鉄屑は気に入られようと機嫌を取ろうとする親戚の叔父さんのように手を招いていた。
鉄屑の一言を皮切りに各々帰り支度を始める。しかしそれを見計らったかのようにジェスト=バードンが口を開き、発せられた言葉に一同は固まった。
「それでは皆様。細やかながら昼食をご用意しておりますので此方へどうぞ」
扉を開き先を示す。
ユーリア=デントリーグは立ち上がり、自室へと戻るべく部下による自動ドアへと向かう。
誰一人動こうとしない魔術師達にユーリア=デントリーグはやれやれと席を勧めた。
「遠慮はいらん。これくらいホストとして当然のことだからな」
「それが俺達のような魔術師相手でもか?」
「仕事に感情は持ち込まん主義でな。お前達が依頼を受けると決まった以上最低限の事はする」
そう言い残し、奥へと去っていった。
「あの態度は俺達が受ける前だったからノーカンってか?随分極端な線引きだなおい」
「それだけ割り切ってるってことだな。それよりどうする?」
良嗣は食べていくのかどうか周りに確かめる。
ああも言い切ったのだ。毒の類は仕込まれていないだろうが教会という場所柄皆居心地の良い所ではない。
聞くまでもなく皆答えは決まっているようだ。
しかしまたもこの男が遮った。彼等の考えなど意に介さないとばかりに次の手を打つ。
「犯人の逃走予測範囲なども用意しております。食事をなさりながら今後を話し合われるのがよろしいかと」
逃走予測範囲。
頭に血が上り色々と忘れていたが、まだ依頼を受けることが決まっただけで犯人の特徴や映像など何の情報も得ていなかった。これでは誰とも分からない犯人を地球のどこかから見つけ出さなくてはならない。それはどんな名探偵でも不可能というものだ。
平時は敵対しているとは言えビジネスパートナーになった上はもてなしをするのが彼等の考え方であり、それを蹴られては主人の顔を汚すことを意味する。
ジェスト=バードンは何としてでも良嗣達を席に着かせなければならなかった。
執事としての譲れないポリシーが皆を見据えた。
「中々強かなおじ様じゃないの」
「此方も不覚」
「やむを得まい」
若干一名渋々といった感じの男がいたが、大人しく座った。
ロングテーブルに九つのセットが用意されていたが、どうやら一つ余ったらしく、侍女が速やかに回収していった。
「他にも来る予定だったのか?」
「ええ、本書様をお呼びしていたのですがいらっしゃらなかったようでして」
「書庫か。それは仕方ないな。あいつは滅多な事じゃ外に出ないからな」
どうせ今頃自宅に篭っているのだろう、良嗣達知っている者には姿がありありと想像できた。
「どんな人なんですか?」
須らく変人しかいないことを考えれば知るのが少し怖い気もしていた冬弥だが一度出してしまった言葉は戻すことはできない。引きこもりの魔術師というフレーズが興味を引いたのもまた事実であり、訂正することなく耳を傾けた。
「一言で言うなら、ゲーマー、だな」
「……ゲーマー?」
「ああ」
「面倒くさがり」や「人と関わりたくない」など在り来たりな想像の斜め上をいかれた冬弥は何度かに嚼み分けて飲み込んだ。
「あいつは平気で一日三十時間ゲームをし続けるような筋金入りだからな」
文字通りの意味で、良嗣はそう付け加えた。つまりはゲームのためだけに魔術を使って時間を作っているということだった。
何とも言えない使い方に、やはり変人だった、とそこは予想通りの答えであったことに冬弥は何故か少しホッとしていた。
「それではどうぞお召し上がりください。本日はフレーフナステイクとキョツパを用意させていただきました」
聞いたこともない料理がテーブルに並べられていく。
ステーキとコンソメスープ、見た目だけならファミレスでお馴染みの物だった。
「これらは私達の郷土料理でございまして、こちらは鯨を、こちらには羊を使用しております」
「……へぇ。てことは北欧辺りの出身かな」
「……失言でした。お忘れください」
表面上は忘れておけと釘を刺す。
執事としての丁寧な説明が仇となったが、それでも執事としての矜持からかポピュラーではないことを考えジェスト=バードンは一皿づつ丁寧に説明をしていく。
「こちらもお配りしておきましょう。それではお楽しみください」
資料を配布し、出て行く。
「んじゃ、いただくとしますかね」
鉄屑はナイフとフォークを握りステーキを切り分けていく。
「何してるんだ?」
良嗣は分類分けされていく鉄屑の皿を見て首をひねる。付け合わせの野菜が山を三つ作っていた。
「こいつがどうしてもダメなんだよなぁ。こんなマズイもんよく食えるぜ」
ひょいひょいとグリーンピースを端へと追いやる。
しかしいつまで経ってもその動きは止まらない。
「いつまでやったんだお前」
「いや何か俺のだけやけに多くねぇか?」
鉄屑がステーキから目を離し、他の皿を見渡す。明らかに多いグリーンピースに顔を顰める。
ピョン
その隙に横の皿から何かが飛び出し鉄屑の皿へと転がり込んだ。
二度三度と続き、パッと顔を下ろした鉄屑はその瞬間を目撃した。
ハローッと手を振るようにコロコロ揺れる彼等を摘み上げ、全力で真横へと投げつけた。
「テメェかこの野郎!」
顔面直撃コースの緑の弾丸はしかし当たる寸前にフォークに絡め取られ、鉄屑の皿へとトンボ帰りしていった。
「奇遇ね。私も嫌いなのそれ」
気にする様子もなく女王は食事を続ける。その手元には肉とジャガイモとカリフラワーのみでグリーンピースは綺麗さっぱり消えていた。
鉄屑はかためておいたグリーンピースをガッと鷲掴みにし、女王の背後へと回り込む。
「ちょ、何するの!?」
「テメェの分はテメェで食いやがれ!」
「あんた馬鹿じゃないの!?そんなぐちゃぐちゃになったの食べられるわけないじゃない!」
「オラ口開けろ!」
脇下から左腕を回し片腕で羽交い締めの形をとり、顔を掴み口をこじ開けようと唇へと指を掛けた。
「どこ触ってんのよ!早く手を退かしなさい!」
「どけて欲しいならさっさとこれを食べるんだな」
手を広げるとニチャァとペーストになったグリーンピースが顔を出す。
「ムリムリムリ!あんた達見てないで早く助けなさいよ!」
「オラァ!」
「ちょっと付いちゃったじゃない!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる二人を和服は冷ややかな目でサラリと流した。
「全く、子供か。よくも食事でこうも騒げるものだ」
役者はただ黙々とステーキを頬張っている。
あの仮面でどうやって食べているのだろうか。
「てか爆弾。今日一回もお前の声を聞いてないんだが。少しは話したらどうだ?」
役者と同じく静かにナイフを動かしていた爆弾の手が止まる。
良嗣をチラリと見るとステーキを口へと運んだ。
「いや今のは何か言う流れだったろ」
「ふぇふふぁんぉう」
「すまん食い終わってからでいい」
もぐもぐとゆっくりと咀嚼を重ねる。十分に健康的な回数噛み終え、爆弾はゆっくりと飲み込んだ。
「そういうものかい?」
「いや何がだ」
「何でもないよ。少し考え事をしていてね」
「ずっとか?」
「うん、朝からね」
眼鏡を押し上げ位置を直す。
少しだらしなかった姿勢から深く椅子に座りなおした。
カランッ
「おっと失礼」
握りやすく窪みのできた大きめのプラムのようなものが裾からこぼれ落ちた。
「あ、相変わらずだな」
良嗣が咄嗟に身構えてしまったのも自然なことだろう。爆弾が落とした物は正真正銘手榴弾だった。身体のいたるところに仕込んでいるせいか時折ぽろっと転がってきて味方でさえ気を抜けない存在となっていた。
教会側もよく持ち込ませたものだ。
ころころ転がっていった手榴弾を拾い上げコートの内側へとしまった。
「この時期はいいよね、コートを着ていて丁度いいあったかさになるから」
「……夏場は脱ぎゃいいじゃねぇか」
「それはダメだよ。コートが一番面積を持ってるんだから。……それよりどうするの?この面子じゃ協力なんてあのグリーンピースみたいなものでしょ?」
原型の見る影もなくなり、哀しそうに飛び散っている様を指差して爆弾は「大丈夫だよ」と自分の皿のグリーンピースを口に入れた。
確かに協力しようにも誰にもその気がないのでは邪魔にしかなり得ない。しかし各々で動くにしても範囲が広すぎた。
良嗣は資料へと目を落とす。教会を中心に凡そ半径六十キロメートルの赤い正円が描かれていた。
一人で探していては見つけは逃げられの堂々巡りになりかねない。
「ならばこうしましょう」
爆弾は四回紙を指でなぞった。紙には教会から八本の焦げた線が延び、円を正確に八等分していた。
「成る程。探す範囲に於いては協力し、探す実動の際にはそれぞれに動くと。まぁ妥当ではあろうな」
「和服か。報酬はキッチリ分けられるみたいだしな。これなら態々競い合う意味もないし俺は異論ないぞ」
「同上」
「儂も構わん。……だがそのジェーシーとかいうのは止めい。ムズ痒っくってならん」
「それは書庫に言ってくれ。まあ定着しちまった以上どうしようもないと思うけどな」
「だが其奴らはどうするのだ?本来呼ばれていたのは儂等六人のみ。報酬にもそう明記されておるが」
良嗣に連れられて来た冬弥とアオイはそもそも頭数に入っていなかった。報酬がないのに働かせるのは如何なものかと和服は問いた。
「構わないさ。元々こいつら、いや、冬弥を連れて来たのは社会勉強の意味が強いからな。寧ろ働かせてやってくれ」
「お主はそれで良いのか?」
冬弥は一つ頷いた。
「そのために来たので」
「ならば良い」
和服は冬弥から目を離し、口をナプキンで拭った。
「しかし一週間前でこの範囲では狭かろう。とうに高飛びされておるやもしれんな」
「だな。まぁそこは俺達の知ったことじゃねえしな。向こうも無策で絞りこんだわけじゃねえだろうさ。寧ろこんだけでラッキーじゃないか」
「ハハッ、そうだな。では儂はここを貰っていくぞ。この辺りは比較的よく行くのでな」
焦げたことで脆くなった紙が千切られる。
「なら僕はここを引き受けるよ。街中だとどうにも迷惑をかけるらしいからね」
爆弾が以前商売敵と対峙した時には街一つが半壊し、都市機能が停止した。相手は言わずもがな死の淵を数週間彷徨い、果てには精神に重い失陥を抱えた。
協会が間に入り何とか隠蔽には成功したが、以降本物の爆弾同様の「取扱注意」の札を貼られている。
「本当常識人で助かる」
後にも先にもその一件だけであり、物腰柔らかく穏健な爆弾が何故半壊なんて真似を犯したのか、誰の追求もはぐらかすのみで、加えて相手は壊れてしまったことで真相は爆弾の内に仕舞われたままだ。
「じゃあまたね」
爆弾はばいばいと手を振り帰っていった。
「では儂も疾く帰るとしよう」
パタパタと扇いでいた扇子をパチンと閉じると一対の襖が床から迫り上がる。
襖の先は闇で閉ざされており冬弥達の目にはただ黒く塗りつぶされているようにしか見えなかった。和服は自宅のように自然体で通り抜けていった。彼には繋がった先が見えているのかもしれない。
「ではな。また見つかった後会うとしよう」
パタンと襖が閉じ露幻の如く揺らぎ、消えていった。
「ごちそうさまでした」
「お、終わったか。冬弥ももう大丈夫か?」
「あぁ、はい」
冬弥はいとも簡単に魔術が使われたことに驚き、少し呆けていた。あれだけ使えないものだと思っていたために今は妨害などないのではないかと思い軽く腕を強化してみるもすぐに魔力が霧散していき確かに妨害されていた。
一体どれだけ手を抜いていたというのか。
冬弥は二人に恐ろしさすら感じた。
「んじゃこことここでいいか。お前はどうする?」
「南東を。無問題?」
「オーケー。頼むぜ役者」
「了解」
爆弾と同じように役者もその場を後にした。
「んじゃ俺達も一旦帰るか。……お二人さん、ここ置いとくからな」
「おい待―――」
「さぁいくぞアオイ、冬弥!」
鉄屑が言い終わるより早く良嗣は二人の背中を押して部屋を出ていく。冬弥が背中越しに見れば二つの紙を取り合う鉄屑と女王が飽きもせずに騒いでいた。
「いいんです?」
「ほっとけ。いつものことだ」
外に出るとアオイが小走りで前に出て振り向いた。
「ねぇねぇリョージ。帰る前に寄りたいとこがあるのよ」
「寄りたいとこ?まぁいいけどどこに行きたいんだ?」
「いつもの所よ」
「あぁ、また増やすのか」
「この前何でも買ってくれるって言ったよね?」
良嗣は段々と弱くなってきた記憶力で過去へと遡ってみた。
『暇だろ?こいつの相手してくれ』
『アオイが?うぇー面倒だよ』
『今度好きなもん買ってやるから』
『何でも?』
『あぁ』
『おっけー』
「……あぁ言ったな」
「前から欲しかった子がいるのよ」
アオイは手に入れた未来を想像して嬉しそうにクルリと一回転する。
「さぁ行くよ!」
アオイは良嗣の手を引いて全速力で駆け出した。
娘に強請られる父親。そんな普通の日常に戻ったような光景に冬弥の心が綻んだ。
「冬弥も早く来ないと置いてくのよ!」
「すぐ行く!」
満開の笑顔のアオイと苦笑いの良嗣の元へ冬弥も駆けていった。




