第十話
「行くぞお前ら!」
「はーい」
七時三十分、山地特有の朝靄が満遍なく景色を隠していた。
無事顔を守ることができた二人はコートを羽織り、外から急かす良嗣の元へと急ぐ。
陽気に足を弾ませるアオイは遠足にでも行くようだ。
ファーのもこもこで着飾ったアオイは可愛らしいが、良嗣が白いもこもこのコートを買いに行ったのかと思うと冬弥は少し可笑しく感じた。
「こっちだ冬弥」
勝手知ったるアオイと違い山を駆け下りるのかと足元を整えていた冬弥を呼ぶ。
「んじゃ解いてくれ」
「オッケー」
拍手一つ。
氷が溶けるように景色がぐにゃりと混ざり下へ下へと消えていく。
何もなかった家の裏手にガレージと麓へと続く小径が忽然と姿を現した。雪がわずかに凹凸を作っており、普段から使用しているとわかる。しかし冬弥がここに来てから一度も車を使う素ぶりすら見なかったためにてっきり買い出しなども徒歩で行っていると思っていた。
シャッターを開けると細かな部品が少なくはない数置いてあり、中央には黒塗りの大型のSUVが鎮座していた。
「なんですこれ」
「いいだろ?」
ジープに似たフロントに角張ったデザインの車体は頑健なイメージを具現化したように重厚感を纏っていた。
レコンキスタ社製ノーチェMk.Ⅱ。
SUV専門のレコンキスタ社により製造され、防弾・防爆性能を追求された、悪路走破性能が戦車にも勝ると噂されているSUVであり、日本ではほぼ実物を見かけることはないVIP御用達の護送車だった。
専用席なのだろう。後部座席のドアを開けるとメルヘンチックな空間が広がっていた。
外装とのギャップから後部座席だけ別の空間に繋がっていても不思議ではなく、むしろその方がストンッと落ちて納得できるくらいだった。
中から手を振る熊の人形に冬弥は心ここに在らずで手を振り返した。
「塗装を変えないのが情けなんだとよ」
ピンクとイエローのビビッドカラーになる寸前で何とか説得したらしい。
中は好きにさせてやるからせめて外は止めてくれと。アオイはそれでも不服だったそうだが必死な良嗣に押されて仲良く半分こに落ち着いた。
「んじゃ横乗れよ」
「はい」
促されるまま助手席に乗り、ゆったり広々としたシートに驚く。
「な、いいだろ?」
将来こんな車を買ってもいいかな、と冬弥が思う程には魅力を刷り込まれた。
ガチャ
キーが回されエンジンが回転を始める。
重く低い排気音がガレージに反響し車内にまで何重にも音が重なるが、不思議と騒々しくは感じない。
夜中の耳障りなバイク音とは異なり腹の底に響くその音は例えるならばそう、太鼓のようなものだった。
積もった雪を物ともせずノーチェMK.Ⅱは山を下って行く。
サスペンションが振動を殺し、乗り手にはほとんど感じさせない。アオイなど横になり快適にテレビを見ているくらいだ。
十五分もすれば森を抜け整えられた県道に出る。良嗣はアクセルを踏み徐々に飛ばしていく。
「そう言えばどこ向かってるんです?」
「東京だぞ?」
良嗣の仕事だということ以外何一つ知らされておらず、詳しく聞こうとしたが着いてからのお楽しみだと昨夜ははぐらかされた。
相変わらず詳しくは教えないが事も無げに行き先を吐いた。
「車で?」
「そっちの方が都合が良いからな。…まだ先は長いんだ、出番まで寝てていいぞ」
朝が早かったこともあり、良嗣が勧めたこともあり申し訳なさも消え流れる景色を見ているうちに飲み込まれるように眠った。
ガガッ
インパクトのような音に横殴りにされ、安眠を貪っていた冬弥は跳ね起きた。
「よう、良いタイミングだぜ冬弥」
幻聴だったのか、良嗣は変わらぬ様子で運転を続けている。振り向けばアオイは我関せずと眠りこけていた。
起き上がった背筋を肩の力を抜き背もたれに密着させる。
外を見やればほぼ黒に近い迷彩柄の四駆が並走している。
ガガッ
「ッ!?」
衝撃音が二度連続し、外を眺めていた冬弥の視線に合わせるように窓ガラスに細かな罅が入った。
丸く形を取った罅は映画の世界の産物であり生まれてこのかた、実物を見るのは初めてだった。
「大丈夫だ冬弥。四四マグナムでも破れない仕様だからな」
ニカッとサムズアップでそう言った。
何の心配もいらないと良嗣は笑うが、銃の知識がない冬弥はそんな説明をされても何の安心感も得られない。
「って言うか何で!?ここって日本だよね?」
「来るぞ冬弥!」
大きく車体が左へと揺れる。
拳銃で出せるような威力はとうに超えており、ガンガンとボディが凹んでいく音に良嗣が涙を流しているように見えた。
「あの野郎……!もうキレたぜおい。冬弥、出番だ!」
「出番!?」
何の事だかさっぱり頭がついていかない急かされるままにシートベルトを外す。
二台の車は速度そのままにカーブへと突っ込んでいく。
良嗣が忙しなくギアを動かし、並んで円弧を描いていく。
後部座席からアオイの悲鳴と不満が聞こえて来るが良嗣の耳には届いていない。
ガンッ!
カーブを抜ける寸前で良嗣がハンドルを右にきった。弾かれるようにして四駆は側壁に衝突するが壁に沿うようにして走り続ける。
「行け冬弥!」
「はぁ!?」
僅かに間が空いたこれを好機とばかりに良嗣は冬弥側のドアを開け放つ。
「本気かよ!?」
「当たり前だろ?」
「どうなっても知らないですよ!」
一蹴りで冬弥は身を投げ出す。空気の塊が殴るように冬弥の体を押し留め、推進力となって後方の四駆との距離を縮めていく。
素の体を襲った圧迫感に肺が押され息が詰まる。
「三倍……!」
息を吐き出す。
相対速度二百キロに近い速度で迫り来る四駆の姿が見える。直撃コースはもう修正が効かないところまできていた。
冬弥は深く酸素を吸い込み拳を握りしめた。
「何か知らないけど恨むなよ、知らない誰かさんッ!」
振りかぶり衝突の瞬間に合わせ上から殴りつけた。
バキッと嫌な音がしたが冬弥は構う事なく力を上乗せした。
フロントを沈まされた四駆は反対に尻が浮き上がり、持っていた運動量がそのまま移行した。
四駆は跳ね上がり冬弥の頭上を回転しながら通り過ぎていった。
飛んでくるガラスの破片を身体を捻り避けつつ着地に向け体勢を整える。
地を蹴り勢いを殺し、正面に四駆を捉えつつ滑り止まる。靴底が磨り減りゴムの焼けた匂いが鼻を突いた。
四駆は天地をひっくり返し出火こそしていないが至る所から煙を上げていた。
激しく伸縮を繰り返す心臓が落ち着くのを待ち、冬弥は四駆へと近づいていく。
「誰もいない?」
死んだのだろうかとガラスが窓を覗き込むが中には人の姿はない。しかし辺りに人影はなく、どこに消えたのか血痕すら見当たらなかった。
「おう、無事か?」
終わりを見計らってか、良嗣が車を戻してきた。
ドライブスルーを通過でもしているように窓に腕をかけている。
言いたい事はあったが悪びれない良嗣にそんな気すら失せていく。
冬弥の真後ろが爆発する。
爆心地間近の肌をチリチリと焼き、爆風に黒のコートが靡く。
「早く乗れ」
道を塞がれ車が溜まっていく。田舎道だったことが幸いして数台に留まっているがこの様子ではすでに警察も呼ばれているだろう。
目撃者はいないだろうが今捕まって時間を取られるわけにはいなかいらしい。良嗣はドアを開け冬弥に乗るよう急かす。
「よかったんですか?知り合いみたいでしたけど」
「いいんだよあんな野郎」
苦い思い出か因縁か、どちらにしろ良い覚えではなさそうだった。
「余分に時間とっといて良かったぜ」
こうなることが予測できていた口振りだ。実際良嗣にはわかっていたのだろう。冬弥に対する「出番」という呼び掛けだったり、襲撃時も余り驚きがなかったことからも頷ける。
しかしわかっていながら教えないあたり良嗣の性格が遺憾なく発揮されている。
仕事と言えども平常運転には変わりないらしい。
「んじゃ、さっさと退散するとしようぜ」
立ち往生する人々を尻目にノーチェMk.Ⅱはエンジンを回した。




