第四話
雪の降る中を歩くこと五分、十分な距離を取ったと判断した良嗣は特別開けた場所でもない木々の最中で振り返る。
「よし、始めるか」
いきなり始めると言われても何をすればいいのか、魔術を含めた戦い方を見たいことは伝わっているが始め方もルールも何も決まっていない。目があったら敵みたいな世紀末的バーリトゥードでもしろと言うのか。
適当すぎるスタートの合図は冬弥を困惑させた。
そう感じているのは自分だけではないはずだとヒョコヒョコと最後尾を歩いていたアオイを振り返ると既に姿はなかった。
二人分の足跡を刻んだ雪道がとうにアオイがいなくなっていたことを示している。
「具体的に何をしろとは言わねぇ。それだと動きが縛られるからな。ただそうだな、制限時間は付けるか。三十分。三十分経ったら終わりだ」
明確な勝敗の基準すら設けない。練習前のウォーミングアップをしろとでも言うように軽い。
アオイが消えた驚きも束の間に良嗣へと顔を向ければ誰もおらず、夢だったかのように一人取り残された。
あまりの寒さに眠って夢でも見ていたのだろうかとぼんやりと考える。感覚を強化され寒さをほとんど感じない冬弥には荒唐無稽な話だが。
急ピッチで進みイベントシーンが欠落したことで即戦闘に突入とは現実では起こって欲しくないものだ。
三十分という制限時間の中で何をするにもアオイを見つけないことには始まらない。
手がかりを掴むためにも冬弥は一度来た道を引き返した。
一分ほど遡った場所でようやくアオイの足跡を見つけることができた。
不自然なことに左右に歩向は逸れてはいない。不意に途切れていた。
「空にでも飛んでったか?」
見上げる先には枝などがなく、雪雲が所狭しと敷き詰められていた。木に飛び移るとしても大木が多く、乗るのに適した太い枝までは些か距離がある。しかしアオイの手の内がわからない以上どの可能性も捨てるわけにはいかなかった。
試しに最も近い木の枝へと跳び上がる。枝にも雪が積もっており、誰も触れていなかったことが見て取れた。
「これじゃないか」
木を伝っての移動ではない。そうであるならばわざわざ遠くを選ぶ必要は微塵もない。そう思わせるためのブラフの可能性もないではないが。
アオイを見失って少なくとも二分と少しは経っている。付近には気配を感じられず様子を窺う視線もない。逃げているのか隠れているのか。どちらにしろアオイには正面きって戦う意思はないのだろう。
闇雲に探し回っても無駄に時間を消費するだけだ。しかし怜のように探知の魔術は使えない。
「五分経ったよお兄さん」
脊髄反射の如く首を捻る。視界に捉えるより早く捻りを肩、腰へと伝え蹴りを見舞うため足を回す。しかし感触がなく、空を切ったことを悟る。
もし当たっていれば身長差を考えれると女の子の顔面を蹴り抜くショッキングな映像がお送りされたかもしれない。反射的に蹴りだしたあたり冬弥も完全にスイッチが入っている。
「残念だったね。ちゃんとよく見ないとダメだよ?」
アオイは本当に心配しているトーンで言う。
エコーがかった音は木々の騒めきのように風が吹く四方八方から聞こえてくる。最も今は騒めくような葉は一枚もないのだが。
出だしの遅れ、探し出す鬼の立場、全てが後手後手に回っている状況に冬弥は焦りを禁じ得ない。アオイの余裕を感じさせる快活とした声音が拍車をかける。
掌で踊らされている感覚が強くなる。
「そういえばお兄さんって名前なんていうの?」
暇でも持て余しているのか。それともアオイにとっては気を張るようなことではないのか。
いずれにしろこれでは釣られて冬弥の気持ちも緩むというものだ。
相手が相手なので冬弥も素直に答えてしまう。
「御防冬弥だ!冬弥で構わないぞ」
「うーん、なんか違うかな?お兄さんは「お兄さん」って感じだしお兄さんって呼ぶよ」
鼻歌交じりの「お兄さん」に冬弥は親戚に子供がいればこんな感じなのだろうと想像する。
「お兄さんって普段は何してるの?」
「何が好き?」
「何か面白い話して」
アオイは矢継ぎ早に質問を投げかける。まるで好奇心旺盛な原住民が入植者と初めて出会ったかのようだ。
性格なのか一つ一つ返そうとする冬弥には御構い無しに喋り続け変哲のない答えにも面白そうに食いつく。
興味を持たれるというのは人間にとって少なからず嬉々とするものだ。人間とは総じて自己顕示欲の強い生物なのだろう。
冬弥もまた人として例外ではなく、相手が可愛らしい女の子ということもあり気分が良くないと言ったら嘘になる。
このまま会話に興じるのもいいかもしれないがそうは問屋がおろさなかった。
「お前らマジメにやれよマジメに」
様子を見ていた良嗣が呆れた顔で冬弥の元に歩いてくる。
このままでは態々寒空の下に出てきた意味がない。何より教えを請うてきた本人が本気でやらないでどうするのか。自然とゾンビ取りがゾンビになるようにアオイが手薬煉を引いているのがまた何ともし難い。
良嗣の咥えているタバコから行き場を失った灰が重力に引かれ雪の中へと落ち紛れる。
「何のためにやってると思ってんだよ。これじゃ意味ねぇじゃねぇか」
寒そうにネックウォーマーで顎まで隠した良嗣がコートのポケットに突っ込んだ片手を出しアオイの頭をコツンとノックする。
拳骨でもくらったかのように頭を抑え、良嗣を潤んだ上目遣いで見上げる。
「な、何だよ、俺が悪いみたいな目ェすんなよ」
「殴ったじゃん」
「いや殴ってねぇじゃん」
殴った殴ってないの言い合いで無駄に時間が流れる。
二人の距離感からして一緒に暮らし始めてそれなりに経つのだろう。互いにかける言葉に遠慮がない。
一人蚊帳の外の冬弥は口を挟むこともできずただ見守ることしかできない。
「わかった買ってやるから!」
降る雪が少なくなってきた空を見て段々と晴れてきたなぁ、なんて考えていると話がついたのか冬弥の元へ二人が近づく。
「悪いなちょっと時間くっちまった」
また少しやつれた気がする。
毎日こんな生活をしているのだろうか。心労がたたってそのうち倒れでもするんじゃなかろうか。
に対しアオイはご機嫌を鼻歌と笑顔で余すことなく表現している。
生気を吸われている感がどことなく否めない。
南無三。
冥福を祈るように冬弥は手を合わせる。
「いや死んでねぇって」
ツッコム気力すら尽きているらしい。
そしてこの約二分間の出来事をなかったことにするべく咳払いをする。だが咳払い程度で打ち消すことなどできないだろう。話の区切りとしての咳払いは効果的かもしれないが「忘れろ」の意味合いでは当事者に委ねるしかないわけであり。
忘れて欲しいことなど人からすれば面白いに該当すること八割を占めるだろう。
しかし見たこともない程に疲労している良嗣を見て、素直に見なかったことにしよう、と冬弥は決めた。
「それじゃ再開だ。あと十五分ぐらいマジメにやれよ」
またも冬弥が視線を横にズラすとアオイは見る影もなく、その隙に良嗣は霞の如く消えてしまう。
あの様子ではアオイも先程のように話を振ることもなくなるだろう。
解決の取っ掛かりすら得られないまま再開を余儀なくされた冬弥は何から手をつけるかわからず棒立ちになる。
それも束の間、鬱蒼とした静寂が冬弥に冷静さを取り戻させ呼吸のリズムを一定に整える。
「いくか」
心機一転、糸口を手繰りに元来た道を戻って行った。




