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プロローグ

本日二話目です。

※こちらから読んでも問題はありません。

 科学技術が発達したこの世の中にして、未だ信仰の概念は深く根付いている。

 譬へ信徒でなくても自らが困窮し、不運に見舞われると縋ろうとする。


 だがこの世界に、いや平行世界や別次元も存在しているとして、そこに神はいるのだろうか?

 果たして存在しているものなのだろうか?


 人類の生きるこの世界には様々な神が遍在している。

 空の神、海の神、雷の神、歌の神、多種多様な神話の住人が太古の、あるいは空想の世界に描かれている。

 しかしそれを本物の『神』と言えるだろうか。人々が思い描くゼウスやポセイドンなどをそう言えるだろうか。

 存在している、と言えるだろうか。


 古今東西ありとあらゆる国や地域にそれぞれの神話や伝説が根付いている。

 それらは遥か昔の人々により創作された、いわば一つの「物語」だ。創作物の一種と言えよう。

 人々は火を畏れ、雷を畏れ、水を畏れ。あらゆる自らの知恵が及ばないものを、自らよりも遥かに高位の御し得ない存在、即ち「神」として定義し、認識することで自分達の枠組みに無理矢理押し込めた。

 それこそが神話の神々であり、その力の源の発生源なのだろう。


 だが神を語る上で感じる疑問は多々ある。

 その最たる一つが各神話の類似性だ。

 世界中の神話、伝説はそれぞれ違う場所、時間、人々に書かれている。

 だがそれは全く別の物と言えるだろうか。

 少し目を通せばその類似性に気づくことができるだろう。

 それは「ノアの大洪水」と「マヤのフラカンの大洪水」、「プラーナの大洪水」。

 それは「最後の審判」と「末法思想」、「ラグナロク」。

 それぞれが異なる物でありながら、その実内容は似かよった部分が多く見られる。いや、最早それは同質のものと言っていい。


 それは果たして偶然だったのだろうか。

 偶々似通った作品に仕上がったのか。

 普通ならたいして興味も抱かれず、こう一蹴されるだろう。

 「馬鹿らしい」、と。

 だがあえてこう言おう。


 「これは必然である」、と。


 そう、これは必然なのだ。

 昔からどこにいようと、いつの時代だろうと、どんな人種だろうと、変わらない人間にとっての根幹が存在するのだ。

 それこそが創られた「神」であり、「伝説」であり、「天使」であり、はたまた「悪魔」なのだ。

 それらは人間の根幹を表すのに欠かすことの出来ないものであり、それ自体が言わば人間にとって一つの集束点なのだ。


 人間は神に祈り、畏れ、敬い、時に憎み。長い時を掛け己たちの思うがままに創り上げてきた。

 そうまでして出来上がったそれらは言わば人間の「願い」そのもの、そう言っても過言ではないのではないだろうか。


 いつの世だろうと人間である以上取り除くことの出来ない願望は存在した。そこに大小はあれど本質的には何も変わっていないのだ。


 なればこそ、彼等は何を望むのか。

 何を己が大望とするのか。

 人の先に何を見るのか。



 これは無為で無価値で、それでもなお先に見える幻想を追う、止めることのできない願望の物語。

面白いと感じた方はお付き合いいただけると嬉しいです。

次から本編が始まります。

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