料理人
昼食を終えた後、自室へと戻った成蓮を見送り、蒼信と二人で今日の毒見についてと、先程あった出来事を話していた。
「柳邦殿下、ですか……」
蒼信もどこか気難しそうな表情で腕を組んでいる。
「柳邦殿下の物言いに腹が立ったとは言え、思いっきり拒否してしまいまして。今後、殿下達に何かご迷惑をおかけしてしまいそうで……」
「ああ、そこは大丈夫ですよ。こちらもしっかりと殿下の周りを警備していますし、それに影武者もいますから」
「そうなんですか」
「むしろ、あなたの方が心配です、夕明様」
「私、ですか?」
夕明は首を傾げるが、思っているよりも深刻なのか蒼信は真面目な顔で頷いた。
「柳邦殿下の性格はお分かりだと思いますが、とても我儘で、思い通りにならないとすぐに癇癪を起こす短気な方です。先程のことで、夕明様の御命も危うくなる可能性も……。私の知り合いの者で良ければ、護衛を付けますが」
彼の言う通り、柳邦は歯向かった相手に剣を斬りつけたと雨鈴の話から聞いたことがある。
「……私はまだ、大丈夫です。それよりも、殿下の周りの警護を増やして下さい」
「ですが……」
「強くはないですが、少しだけ護身術は知っています。それよりも、毒のことについて話しましょう。先程、申し上げた通り、私は柳邦殿下が成蓮殿下に毒を盛っていると思っています」
流れるような会話に蒼信はそれ以上、何も言えないと思ったのだろう。諦めた表情をしつつ頷いた。
「私共もそのように思っています。理桂太子のお人柄として、そのような事はなさりませんが、周りの人間が行っている可能性も捨てきれませんでしたが……。夕明様の話の通りならば、的を絞りやすいです」
「あとはどうやって、料理に毒を入れているか、ですよね」
今日の昼食の中にも毒は入っていた。それは韮と豚肉の炒め物だった。見た目は韮に似ているが、その正体は水仙の葉だった。
韮は青々しく強い匂いがするが、水仙は無臭で、毒は葉と根にあり、それを食してしまうと嘔吐や吐き気などを起こし、最悪の場合は死に至る。
味付けに胡麻油と唐辛子を粉末状にしたもので炒めてあったので、水仙だと気付かれないように工夫されているのが分かる。
昨日の夕食は野菜の甘辛炒めで、調べてみたところ同じ水仙の葉が使われていた。やり方も同じだ。
「料理人ならば、韮と水仙の葉くらいの違いは分かるでしょう。分からなければ料理人失格です」
「では、料理人にも加担している人物がいる、と?」
「その可能性は高いです。韮は匂いがありますからね。匂いと味のきつい唐辛子を混ぜることで、その匂いをある程度、打ち消します。ですが、そこを敢えて、無臭の水仙の葉を入れても素人が見ただけでは、それが水仙だと分からないでしょう」
「……私はてっきり、料理を作ったあとに、毒物を混ぜているのだと思って、侍女を怪しんでいましたが……。なるほど、それなら、犯人も捜しやすい」
蒼信の瞳に小さな炎が見えた気がした。彼もやはり、毒を仕込んでくる相手に対して、怒る感情を持っているのだ。
「……良ければ、私が作った料理人を探してきましょうか?」
「え? ですが、そういうことは我々、監察御史の仕事で……」
「蒼信さんの顔は知られているでしょう? 私なら、あまり人に顔を知られていないし、厨房によく私が作った薬を貰いに来る下女の方がいるんです。その方に会うふりをしつつ、見てきます」
以前、作った薬を厨房で働いている下女に届けたことがあるので、厨房までの道のりは知っている。
「……分かりました。ですが、少しでも危うく感じたら逃げて下さい。すぐ傍に控えていますので」
「ありがとうございます。では、行ってきますね」
部屋から出て、堂々とした振る舞いで廊下を歩く。見た目は侍女の服装なので、怪しむ者は誰もいないはずだ。
皇族の住居であり、後宮も置かれている月華殿には皇族と後宮に住む者達の食事が作られている厨房がある。そこでは官吏や侍女、兵士などが食べるものではなく、帝やその近親者が食べるものだけが作られているのだ。
ふっと、鼻先に美味しそうな匂いがかすめる。昼食の時間は終わっているが、料理の匂いが染みついているようだ。
厨房の中をそっと覗くと、竈や鍋がいくつもあり、夕食の分に使われる野菜、肉、魚が綺麗に並べられていた。今は片付けの最中なのか、残っているのは女ばかりだ。
「あ、こんにちは、湖琴さん」
すぐ近くに知り合いの下女を見つけ、夕明は軽く手を振る。
「あらまぁ、夕明ちゃん。こんな所まで来てどうしたの?」
皿を洗っていた中年の下女は手を止めて、前掛けで軽く手を拭いてから夕明のもとへとやってくる。
「最近、腰痛の薬、貰いに来ないから近くに来たついでに様子を見に来たんです」
背が高く、朗らかな湖琴はすぐ傍にあった腰掛けに座り、夕明を手招きする。
「あらぁ、そうだったのね。でも、大丈夫よ。夕明ちゃんの薬がよく効いたのか、今は全然痛くないの」
「それは良かったです。でも、たまには顔を見せに来てくださいね。お茶菓子を用意して待っていますから」
湖琴と会話しつつ、夕明の視線は山のように置かれている野菜へと目が向いていた。置いてあるのは人参、大根、葱、芋、そして韮だ。
だが、その韮は水仙の葉ではなく、本物の韮のようだ。ここに、証拠となる水仙の葉は置いていないようだ。置いていれば料理人の誰かがすぐに気付くだろう。
「心配してくれてありがとうねぇ。今度、遊びに行くわ。あ、そうそう福さんっているでしょう? あの人が風邪気味だから、手が空いたら薬を代わりに貰いに行ってもいいかい?」
「それなら、作ってから私がお届けしますよ」
話しつつも、周りを見渡し、不審な動きをしている人がいないか確認した。だが、昼休憩を取りに行っているのか、その場に残っているのは四人だけだ。
「そういえば、今日、ここで作られた料理を食べる機会があったのですが、宮殿で出される料理って凄く美味しいんですね」
「夕明ちゃんは自炊しているんだっけ。まぁ、皇族にお出しするものだからねぇ」
「ええ。特に韮と豚肉を炒めた料理が美味しくって。何か秘密の調味料とか使っているんですか?」
「ああ、あれね。確か唐辛子と胡麻油と醤油も入れているんだよ」
「あ、それなら私も作れそうですね。でも、やっぱり宮殿で出す料理の方が材料も良い物を使っているから、凄く美味しく感じたのかも」
「ははは……。そんなに美味しかったのかい。夕明ちゃんの舌が唸る程なら、孝文さんも嬉しいだろうよ」
ぽろり、と湖琴が零した名前を夕明は見逃さなかった。
「孝文さん?」
「そうそう。夕明ちゃんが褒めていた料理を作った料理人だよ。ひと月くらい前からここで働いているんだ。どこかで料理修行していたのか、中々の腕でねぇ。もう、殿下達にお出しする料理を任されているんだから、大したものだよ」
湖琴の言葉に同調するように頷きつつ、頭の中で整理し始める。この「孝文」という男が、どうやら今日の料理を作ったらしい。
「殿下達にお出しするものを? それは凄いですね」
「最近は成蓮殿下にお出しする料理を作っていたよ。何でも、殿下は偏食家らしいからね。工夫しながら少しでも食べてもらえるように作っているってさ」
この孝文という男が毒となる植物を成蓮に食べさせようとしているのではないかと何となく思った夕明はもっと、詳しい事が聞けるように話を続けてみる。
「成蓮殿下、そんなに好き嫌いが多いんですね」
「元々、食が細いらしいねぇ。でも、今は帝位争いで気が揉んで、食欲が湧かないだけかもね。まぁ、それでも孝文さんは生真面目で仕事熱心な人だから、どうしても成蓮殿下に美味しいものを食べさせるんだって、むしろ気合が入っていたよ」
湖琴の話に相槌を打ちながら、ふと考える。
料理を出されて、それに毒が入っていると分かっているのに、成蓮は大事にはしないようにしていたのだ。その配慮に密かに救われている者は大勢いるはずだ。
親王という高い身分ならば、毒が入っている料理を作った料理人達をすぐに辞めさせるか、処罰することが出来るはずだ。
だが、それでも成蓮はそうしない。ただ、粛々と受け止めて、誰も犠牲にならないように我慢しているのだ。小さな発言が、この厨房にいる人間の首が飛ぶことだってあるのだから。
……優しい人だなぁ。
静かに耐えている姿が目に浮かび、夕明はきゅっと唇を結ぶ。
「それじゃあ、早速、薬を作ってきます。届けるのは後になりますけど、良いですか?」
「ありがとうねぇ。福さんも喜ぶよ」
湖琴は仕事がまだ残っているからと持ち場へと戻る。夕明は静かに立ち上がり、水蓮宮の方へ帰ろうと歩き始める。
「……どうやら、孝文という男が怪しいらしいですね」
いつの間に真後ろに来ていたのか、話をこっそりと聞いていた蒼信が夕明に聞こえる程の小声で話しかけてくる。
「夕食時に毒が入っていたならもう一度、聞いてみます」
「やはり、私などよりも夕明様の方が怪しまれずに聞けるでしょう。間者のようなことをさせてしまい、申し訳ないですが、宜しくお願いします」
蒼信の言葉に夕明は手を横に振って答える。
「成蓮殿下に仕える身として、当然のことですから。ただ、この孝文という方が自らの意志で毒を混ぜているのか、もしくは他の人の差し金かどうかは調べていく必要がありますね」
「そこは我々でやりましょう。この孝文という男がどのような者かを調べておきます」
やはり、身元を調べるのは監察御史である蒼信にとっては造作もないことなのだろう。
「それでは、私は水蓮宮に戻りますので」
「はい。では後ほど、夕食の際に……」
廊下の角を曲がり、お互いに頭を下げながら別々の方へと進む。
「……」
だが今、この場にいた蒼信以外の視線を感じた気がしたのは、何故だろうか。