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滾る血脈

  

 長く話をしてしまった上に、農作業を手伝ってみたいという成蓮の願望を聞き入れていたらいつの間にか昼の時間を示す鐘の音が遠くで鳴っていた。


 昼食の時間に遅れが出てしまった二人は急ぐように小雪殿(しょうせつでん)へと向かう。小走りにならないように早足なのは、蒼信から言われる小言を少しでも減らすためだ。

 成蓮のような貴人が廊下を走るのは(とが)められる行為だと分かっているからである。


「しかし、これほどの書物を貸してもらってすまない」


 成蓮の両腕には五冊、夕明は三冊の書物を持っていた。夕明も薬学についての書物を人に貸すのは初めてである。


「いえ、知識を共有できる人がいるのは喜ばしいことです。本当は全部お貸ししても良いのですが、大量に持って行っては、蒼信さんから何か言われかねないですから」


「そうだな。……っ!」


 そこで、廊下の真ん中を早足で歩いていた成蓮が急に立ち止まる。


「どうなさいました……」


 不自然に立ち止まった成蓮が奇妙に思えて、夕明は顔を下から窺う。成蓮の表情に色がなかったのは、一目見て分かった。虚空とも言える瞳が真っすぐ見ているのは、廊下の前方だった。


 夕明はそっとそちらへと目をやると若く、着飾った男達が夕明達の方へと向かって歩いてきていた。そして、その一番先頭に立っている成蓮よりも二、三歳程年上の青年が誰なのかは聞かなくても分かった。


「……夕明殿、壁の方へ……」


 力なくもはっきりと成蓮がそう告げる。夕明はすぐに成蓮とともに、廊下の壁側へと並ぶように立った。


「──何だ。愚弟じゃないか。女連れで珍しいな」


 やけに馬鹿にするような口調で一番前に立っている男が嘲笑しながら近付いてくる。夕明は素早く頭を下げた。

 この目の前にいる男こそが成蓮の次兄である柳邦(りゅうほう)親王殿下だ。直接見たことがあるわけではないが、蒼信や雨鈴からの情報と当てはまるため、間違いはない。


「……お久しぶりでございます、柳邦兄上」


 成蓮は絞り出すように定まった挨拶の言葉を述べる。彼が小脇に抱えている書物を持つ腕が震えていた。


「いつ見てもお前はつまらぬ顔をしておるな。……何だ、書物か? まだ学が足りないのか? まぁ、お前のその薄っぺらい頭じゃ、何をしても無駄だな。はははっ……」


 柳邦の汚い笑い声に賛同するように、後ろに控えている男達も声を押し殺して笑っていた。


 ……これは一体、何が起きているの。


 頭を垂れながら、夕明の瞳は大きく見開かれていた。笑い声を浴びせてくる男は成蓮の腹違いの兄だと分かっている。

 それでも柳邦に対して抱いた、腹の底から煮え滾りそうになる程、熱くて堪らない思いは何だというのか。


「おい、そこの女」


「……何でございましょう」


 声をかけられたことに驚きそうになったが、努めて冷静に返事を返す。


「こんな男と居ても面白くとも何ともないだろう。俺と一緒に来い。今から、狩りへ行く。供をしろ」


「っ!」


 隣の成蓮の肩が大きく揺れた。だが、彼はすぐに何かを言い返しはしない。生まれた順で目上が決まってしまうのだから、兄弟というものは不便だと思う。


「付いてくるなら、褒美もやるぞ。そのような小汚い恰好で愚弟に仕えて辛いだろう。何、上手く甘えれば妃の一人として囲ってやってもいいぞ。その男よりは十分に可愛がってやろう」


 柳邦の言葉に後ろの男達はついに笑いを堪え切れなくなったのか、声を上げて笑い出す。


 ……あぁ、何て醜い人達なの。


 これが、帝の息子の一人なのだ。褒美をぶら下げれば何でも自分の言う事を聞くと思っている傲慢で愚かな人間だ。


 だが、自分の隣に立っている成蓮は違う。彼は自分よりも下の者を下と思わずに、対等のように接し、またその身を案じる。それは偽りなどではなく、彼の心根がそうさせているのだ。


 成蓮は堪えるように黙っているが、書物を抱えている腕と、横目から見る彼の額に青筋が浮かんでいるのが目に見えた。

 彼は怒っているのだ。愚弟と呼ばれて、嘲られていることに対してではなく、夕明を馬鹿にし、まるで新しく欲しくなった愛玩物(あいがんぶつ)のように扱う兄のことを。


 自分は成蓮の毒見役だ。それは彼に降りかかる毒牙から、彼を守るということ。

 本来なら、この屈辱は彼が受けるべきものではない。それならば、やることは一つだ。


「……お言葉ですが、柳邦殿下」


 細い、糸に鈴を垂らしたような声がはっきりと男達の笑い声を遮る。夕明はその場に跪く。だが、それは柳邦相手ではなく、隣に立つ成蓮に向けてだ。


「我が主はこちらにおられる成蓮殿下。この身、この心も全て殿下のもの。……この国には、他人の持つものを横取りするならば、横領罪というものに値するとの事ですが」


 自分の意志を表すように放たれた言葉の矢は真っすぐ柳邦に向けられる。静かに睨み据えた先で一瞬、柳邦の顔が引き攣ったのが見えた。


「私をこの方から引きはがす程のお覚悟が、貴殿にはおありでしょうか」


 そして、少しだけ頭を垂れた相手を見る。成蓮は目を丸くし、動けないのか固まっていた。


「なっ……! そこの娘、何と無礼なっ!」


 柳邦の後ろに控えていた男の一人が腰に下げている剣に手をかけようとしている。


「まぁ、待て」


 命令に歯向かったというのに、穏やかで、面白いものでも見つけたような明るい声が頭上から降りかかる。


「……女、名は何と申す」


「……夕明、と申します」


「ほう、夕明か。どこぞで聞いたことのある名だが……。まぁ、いい」


 その満足気な声色がどこか逆に不気味に思えた。


「覚えて置け、夕明。俺は歯向かわれることと、命令されるのが嫌いなんだ。付け加えて言うと自分の欲しい物が手に入らないと知った時は、更に欲しくなる性質(たち)でな」


 柳邦が跪いている夕明の前へとやってきて、立ち止まり夕明の顎を無理矢理に上へと上げさせる。


「その反感ぶり、気に入った。是が非でも我がもとへ……」


「お断りします」


 きっぱり断り、顎に置かれている手をそっと右手で払いのける。


「欲しいと思えば手に入るのは、身体だけです。……心まではそう行きますまい」


 いつの日だったか、この身に皇族の血は流れてなどいないのではと疑ったことがある。

 畑を耕す手は毎日黒く、身体も毒のせいで年頃の娘と同じ程ではない。それでも、自分が憧れていた母達は、いつも気丈に斉家の人間の一人として立っていた。


 だが、この瞬間、皇族の血が流れていてもおかしくはないのだと身に染みて思う。


 血が熱い。身体全体が、とてつもなく熱いのだ。これは争いを好む血族の末裔ではないと分かっているのに、それでも目の前にいる男に対して、恨みがましく思ってしまうほど、血が滾るのが分かる。


 その場にいる誰もが夕明に視線を向けていた。固唾(かたず)を飲み込むも、誰も何も、自らは発しようとはしなかった。それ程、夕明の気迫におののいていたのである。


「……この者だけは、ご勘弁を」


 最初に言葉を吐いたのは意外にも成蓮だった。さすがに夕明も驚きを隠せない。


「この者には我が命が尽きる時まで、仕えるようにと命じております。それ以上のお戯れは、どうかご容赦を」


 震えつつも、拒否を示す成蓮に、柳邦の瞳がすっと細くなる。


「……ふん。良かったな。お前のような出来損ないにも、その身を削るものが居てくれて。だが──」


 柳邦が夕明達から引きはがすように、再び歩む先へと視線を移す。


「その身がいつまでも続くとは思わぬことだな。……娘、その時は愚弟の命令が終わる時だ。喜んでお前を引き抜いてやろう」


 その言葉に、夕明は出そうになった言葉をぐっと押し込み、柳邦達が歩いて通り過ぎるのを待った。


 直感的に、柳邦が成蓮に毒を寄こしているのだと気付いた。今の彼の言葉は何かを確信して、そう言っているように思えたからだ。

 まだ、自分が毒見役とは気付かれていないし、成蓮側が毒見役を使っているとは知らないはずだ。だからこそ、先程のような物言いをした。


 それならば、このまま自分が毒見役を続けていれば、直接、命を狙われる危険は少なくなるはずだ。柳邦が性急な性格でなければだが。


「……すまない、夕明殿」


 成蓮から絞り出すように出た声は、か細かった。


「私のせいで、君に不快な思いをさせてしまった。……本当に申し訳ない」


 そう言って、頭を下げようとする成蓮を夕明は慌てて止める。


「あ、謝らないで下さいっ。私だって、柳邦殿下に楯突(たてつ)いてしまいました。……何と言いますか……。凄く、腹が立ってしまったのです」


 見えなくなった柳邦の姿を頭から消すように、勢いよく頭を振り、再び成蓮を真っすぐと見る。


「殿下を愚弟と呼び、卑下していることにとても腹が立ったのです」


「……だが、兄上の言っていることは本当だ。私は他の兄上達に比べて、頼りないし、気弱だ」


「私はそうとは思いませんっ」


 はっきりと声を上げて、否定する。


「私は成蓮殿下がとてもお優しく、他人に気遣いの出来る人だと知っています。それに私は、自分が仕えている主を笑うような人を許すことが出来る性格ではありませんっ!」


 拳を作り、ぶんぶんと上下に振って熱弁していると、成蓮は目を丸くし、そして小さく噴き出した。


「え? で、殿下……?」


「ふっ……。いや、すまない……。まさか、夕明殿がそこまで思っていてくれたとは、知らなくて」


 確かに、成蓮に仕えて始めてまだ、一日も経っていない。だが、自分の主を馬鹿にされて怒るくらいの感情は持ち合わせている。


「……私はまだ、殿下のことを語るには、ご一緒した時間は短すぎると思います。ですが、柳邦殿下のあの物言いを我慢することが出来ませんでした。私のせいで、殿下の方に牙が及んでしまったら……」


「そこは、気にしなくてもいい」


 成蓮は再び歩み始めたため、夕明もそれに(なら)って続いた。


「元々、毒を仕掛けてくる前に、刺客(しかく)を送って来ることもあった。それが少ないか多いかだけだ。……それに私などより、理桂兄上の方が命を狙われているからな」


 理桂太子は帝位継承権が一位だ。次の帝にもっとも就きやすい位置にいる。


「……これからも、しっかりと殿下をお守りします」


 あの感情を味わうのは、気分が悪い。

 だが、それ以上に成蓮は辛いことも悲しいことも受け入れている。たとえ、人から何と言われようと、彼は彼なりにこの場所に立っているのだ。


「私、毒見だけしか能がありませんが、それでも殿下をお守りしますから」


「……」


 夕明の決意に成蓮は何も言わなかった。彼が守られることを望んでいなくても、自分は成蓮に穏やかな日々を送ってほしい。ただ、それだけだった。


  

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