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望む像

 

「情勢かぁ……」


 雨鈴の前へとお茶を淹れた碗を置きつつ、夕明が独り言のようにぼそりと呟くと、話をしていた二人が自分の方へと視線を移してくる。


「何だか、どうしても遠い国の話みたいに聞こえちゃうね」


「……あんたといると気が抜けそうだわ。あ、でも、夕明は成蓮殿下側にいるって相手側から認識されるかもね」


「毒見役をしているだけで?」


「そういうものだ。もしかすると夕明殿にも何か危険が及ぶ可能性があるかもしれない……」


 成蓮がそう告げると雨鈴の表情が微かに引き攣った。


「でも、私に害を成しても向こう側に得なんて無いのでは?」


 自分はただの成蓮の毒見役だ。自分を狙っても得することは何もないはずだ。


「毒見役をしているという時点で、毒では私を殺せないと牽制(けんせい)しているようなものだ。その場合は直接、私に危害を加えようとするかもしれないが……」


 複雑そうな表情で成蓮は黙り込んでしまう。


「……本当に、恐ろしいものだわ」


 沈黙を破るように、呆れた声色で雨鈴が呟いた。


「民衆なんて、ただ良い人が帝様になって、生活に不便なく、幸せに生きられればそれでいいもの。誰がどの方に帝様になってほしい、なんてそんな事は(まつりごと)牛耳(ぎゅうじ)りたい輩だけよ」


「確かに雨鈴殿の言う通りだ。……渇望されるほど、望まれる者などそんなにいない」


 静かに淡々と言っているが、それでも瞳が揺れている。


「私は……あまり、皇族の方にどのような方がいるのかは知りません」


 夕明は碗を握る手の力を自然と強める。


「誰に帝様になって欲しいなんて思ったこともないです。でも……殿下はとても良い方です。お優しい心をお持ちです。……私はそういう心を持った方が帝様になればいいなって、それだけは思います」


 ふわりと、目を細めて夕明は笑みを浮かべる。


「……そうか」


 成蓮はどこか安心したような、嬉しそうな表情でそれだけを呟いた。


「殿下はどうなさるおつもりで? 陛下の容体、あまり良くないって教坊でも噂になっていますよ」


「それは本当だ。……恐らく、次の帝は理桂(りけい)兄上が継がれるはずだが、柳邦(りゅうほう)兄上の方の後ろ盾の勢いが衰えないからな。まだ、どうなるかは……。ただ一言、陛下が誰を次の帝にすると書いた勅書を出してくだされば、それで解決するのだが」


「あら、まだ出されていないの? 全く、周りの者が迷惑しているんだから、さっさと決めて欲しいものですね」


 気長だわ、と言って雨鈴が椅子の背に身体を預ける。


「でも、今度の光明節(こうめいせつ)はやるんですよね? 宮妓達もそれを目指して練習していますし」


 光明節とは(ふう)国の初代帝が即位した日であり、この国が建国された日を祝う日である。宮殿では大きな宴が行われ、都だけでなく、農村や漁村といった小さな村々まで盛大に祝う日だ。


「それはもちろんだ。この日を楽しみにしている者は多いからな。それまで、陛下の体調が良いといいのだが……」


 帝の身に何かあれば、国中が喪に服さなければならないだろう。


「……宴かー」


 他人事のように呟くと、雨鈴が疑うような瞳でこちらを振り返った。


「あんたねぇ……。……ねぇ、殿下。殿下に毒見役で仕えているなら夕明も一緒に宴の席に入れますよね?」


 確認するように雨鈴が成蓮へと訊ねる。成蓮はこくり、と軽く頷いた。


「え、そうなの?」


「あんた、一度も宮殿での宴に出席したことないでしょ?」


「だって、人は多いし、酒臭いし、居場所はないし」


「あたしが宮妓として宴の席に出られるようになったら、見に行くって言ってたじゃない」


 雨鈴が夕明の両肩を掴んで強く揺さぶり始める。


「うえぇー。だって……」


 行っても、一緒に宴を見てくれるような人はいない。雨鈴だって、催し物をする側だから、ずっと一緒にいられるわけではないのだ。


「殿下! 絶対、ぜーったいに夕明を宴に連れてきて下さいね」


「分かった」


 少し興奮気味に言い立てて、雨鈴は出されていたお茶をあおる様に飲み干す。


「よしっ、やる気出てきたわ。昼前に稽古場で自主練習してくる」


「え、もう? 稽古場は使えるの?」


「点検しているのは楽器だけだもの。場所は空いているでしょ」


 雨鈴はすぐに席を立った。本当に帰るつもりのようだ。


「殿下、夕明は頑固者ですが、どうぞ宜しくお願いしますね」


「こちらこそ、宴の時を楽しみにしている」


「あ、夕明、見送りは良いから」


「うん。じゃあ、またね。お稽古、頑張ってね」


 成蓮には頭を軽く下げて雨鈴が家から出ていく。すぐに小舟が水を滑るように渡っている音が聞こえ始めた。


「……何と言うか……。嵐のような友人だな」


「それ、本人に言ったら怒られますよ。……でも、歌はすごく上手くて素敵なんです」


「歌の宮妓だったな。それは楽しみだ。……だが、何故、夕明殿は宴を見に行かないんだ? まぁ、私もあのような場所はあまり好きではないが」


「うーん……。ほら、宴って大体、仲の良い人で見たり、食べて飲んだりするじゃないですか」


「まぁ、親しいもの同士の方が多いだろうな」


「私、そういう場所に一緒に行けるような知り合いがあまりいないんですよ」


 そう答えると成蓮が少しだけ驚いたような表情をする。


「意外だな。夕明殿の人柄なら、友人が多いように思っていた」


「年頃の友人は雨鈴ちゃんだけですね。あとは宮殿の中で働いている方々がたまに薬を作って欲しいって訪ねて来るくらいです」


 その中でも、雨鈴と蒼信の二人だけがお茶をする仲だ。


 恐らく、あまり水蓮宮と自分の存在を知る人が少ないことも、ここへ訪れる人の少なさの理由の一つだろうが、自分は静かな方が好きなので、このままで構わないと思っている。

 それでも、母の時代の頃はもっと人が来ていて、毒見の依頼も多かったらしいが。


「それに宴って、お酒を飲まされるじゃないですか。私、お酒って飲めないんですよね」


「酔いやすいのか?」


「あまり強い方ではないですね。それに酒を飲むと味覚が麻痺(まひ)してしまうので、毒見役をしている者としては普段から薬酒以外は飲まないようにしています」


 毒を味として認識するためには、味覚を研ぎ澄ましていなければならない。薬酒を作る場合は少量しか味見しないようにしていた。


「……宴の席では目立つため、毒を盛られるようなことは無いと思うが……。あまり気が進まないのであれば休んでいるといい」


「えっ? あ、違うんです。大丈夫です。別に宴が嫌いっていうわけではないですから」


 必死に手を横に振って笑ってごまかす。


「ほら、私ってただ水蓮宮に居座っている毒見役みたいなものですから、行きづらかったんです。別に凄く興味があったわけでもないですけど、雨鈴ちゃんが少しは稽古の成果を見に来いって言っていたから、それで……」


 そこで、黙ってしまう。憧れがあったと言えば、少しはあったのかもしれない。


 舞い踊り、歌う宮妓を見て、談笑し酒を飲む人達の姿。蝋燭がたくさん飾られ、参加している人達の華やかな衣装。

 その全てが自分にとって遠いものばかりで、それを目にしてしまっては、己の存在が霞んでしまいそうだと感じていた。


「……宴が嫌いというわけではないのなら、付いてきてくれないだろうか」


「え?」


「席はもしかすると前の方かもしれない。……あまり兄上達の近くに陣取らないように蒼信には頼んでおくよ」


 宴の事を言っているのだろうか。成蓮の目線は戸の向こう側の池の方を向いているのに、その言葉だけは真っすぐと夕明に向けられていた。


「私も実はあまり、宴は得意ではない。……が、それでも夕明殿が来てくれるなら少しは楽しいかもしれないな」


 細い声が、胸に響いていく。だから、一緒に来いと彼は言っているのだ。


「……私、あまり宮殿内での作法とか知らないので、もしご迷惑になるような事があったら、申し訳ないです」


「大丈夫だ。私自身、あまり人に囲まれるのが好きではないから、傍には蒼信と数人しか控えさせないつもりだ」


 それならば、少しは気が楽かもしれない。


「……分かりました。当日、失礼がないように努力します」


「そんなに気構えしなくても大丈夫だと思うが……」


 ふわり、と成蓮が口元を緩めて笑った。だが、すぐに笑みを引っ込めてしまう。その一瞬に、思わず胸の奥が跳ねそうになったのは何故か。


「……あ、あのっ、お昼前に、一緒に水蓮宮の周りをお散歩しませんか?」


 戸惑いを隠すように夕明は声を張り上げる。


「え? あぁ、良いが……」


「ここ、薬草や野菜だけじゃなくて、季節の花も咲いているんです。良かったら見て回りませんか?」


 夕明がすくっと立ち上がり、勝手口の方の戸を開ける。


「では、案内を頼もう」


 お茶を最後まで飲み干してから、成蓮も夕明の背中を追う。背中に向けられる視線を感じつつ、夕明は目を薄く伏せていた。


  

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