秘めた本音
「あの、一つだけ聞いてもいいですか。……以前、蒼信さんに殿下は帝位に興味はないと聞いたのですが」
失礼なことを聞いていると分かっているが、成蓮を知るためには彼の口から直接、考えを聞いておきたかった。
「はっきり言って、ない。一応、帝位継承権を持つ者としての勉強はしてきたが、人の上に立つなんて考えたくもない」
特に無理をしているような言い方ではなく、心からそう思っていると言っているようだった。
「正直、今の時点で命を狙われる身なんだ。帝なんてなりたくもない」
必死に首を振って拒否を示している成蓮の顔はどこか青ざめて見えた。
「笑われるかもしれないが……自分はかなりの臆病者で、度胸もない。こんな奴が帝なんて地位に就いたら、臣下から笑いの的にされてしまう」
自嘲めいた笑みを浮かべて、成蓮は茶菓子に手を伸ばす。
「だが、私が今の地位にいないと、母上の実家が傾いてしまうんだ」
「えっと、殿下の母君様のご実家、ですと……。登家ですね」
「そうだ。……今、この宮殿内は三つの勢力に分かれている。理桂兄上の母君の実家である定家と柳邦兄上の母君の実家である張家、そして登家の三家が政治的権力を分散し、互いに牽制し合っているからこそ、成り立っていると言ってもいい。それは、それぞれの家に帝となる権利を持った男児がいるからだ」
自分はあまり政には興味がないが、この三家の争いがずっと続いているのは知っていた。
そして、それぞれの家の当主が門下省、中書省、尚書省の長を務めているのも友人から世間話として聞いていた。
「私が官位を返上すれば、登家の方にももちろん影響が出るのは分かっている。それだけは避けたいが、帝になんてさらさらなる気はないし……。他の者がこれ以上、帝位争いに巻き込まれるのは見たくはない。……どうしたものかと悩んでいるのだ」
深く溜息を吐く成蓮の碗に夕明は追加のお茶を淹れていく。
「……すまない。つい、愚痴をこぼしてしまったな」
「いいえ。私、人の話を聞くのは好きですから。あ、口外しないので、安心してください」
「……夕明殿は聞き上手なのだな。蒼信にはこれ以上、迷惑をかけるわけにはいかないから黙っていたが、やはり心持ちくらいは話しておいた方が良かったかもしれないな……」
成蓮は薄く笑いながら、手を温めるように碗を持つ。
「蒼信さんのこと、信頼なさっているんですね」
「長い付き合いだから、というのもあるが、彼の実家が私の母の実家に代々仕えているんだ」
「なるほど」
「蒼信から夕明殿の話はよく聞いていた。宮殿のはずれの『水蓮宮』で一人、薬を作って暮らしていると。彼も君の薬がよく効くと言っていた。腕がいいのだな」
「そんなこと……。まだまだ至らない点も多いです。我流が多いですし」
「それでも、腕がいいのは確かだ。……家系はずっと薬を扱っているのか?」
「家系というほどまでではないです。こうやって薬を作り、毒見役として成り立ってきたのはつい二、三代くらい前からですから」
彼は夕明の家の成り立ちのことを知らないのか、納得したように頷いているだけだ。
だが、知らない方がいいのかもしれない。これは成蓮の血筋にも関わる話だ。心優しい彼の耳に入れてしまったら、当事者ではないのに気に病むかもしれない。
「そうだったのか……。だが、蒼信からの信頼を得ている腕だ。今度、私の具合が悪くなった時は夕明殿の薬を頂こう」
昨夜に比べて、表情が豊かになったと思う。昨日は随分と表情が強張っているように見えたが、今は緊張していないのか、穏やかに見える。
「ここは涼しくて良い場所だな。風も心地良い」
「水辺ですからね。でも、冬場は結構、寒くて……」
そこに桟橋に小舟が直撃したような音が軽く響き渡り、夕明と成蓮は顔を見合わせた。
「ちょっと、見てきますね」
この水蓮宮には二艇の小舟が桟橋に備えられている。それは水蓮宮に住んでいる夕明を訪ねる際には小舟が二艇なければ、移動手段がないからである。
もし、二艇が同時に使われている際には、向こう岸の桟橋の柱に付けられている鈴を鳴らしてくれれば、気付いた夕明が迎えにいくようにしていた。
「こんにちはー。遊びに来たわよ」
夕明が出るよりも早く、家の中へと入ってきたのは友人の相雨鈴だった。同じ年頃にしては身長も高く、贔屓目で見ても美人だ。
「あれっ? 雨鈴ちゃん、今日はお稽古、休みなの?」
雨鈴が小脇に挟んでいた布で包まれたものを作業台の上へと置く。
「今、楽器を点検する人達が来ているから稽古は昼からなのよ。これ、お土産。……ん? 誰?」
やっと、席に座っている成蓮の姿を認識したのか、雨鈴は首を傾げる。
「珍しいわね、あんたが男を連れ込んでいるなんて。若いのっていったら蒼信さんくらいしか来ないじゃない、ここ」
「雑な言い方しないでー。こちらの方は、成蓮親王殿下だよ」
夕明が手で示すように成蓮を指す。
「はじめまして。高成蓮だ。夕明殿の友人とお見受けする」
成蓮も丁寧に挨拶を返したが、当の雨鈴は口をぽっかりと開けたままだ。
「は……。はぁぁぁ!?」
驚くのも無理はないだろう。皇族というものは、普段はお目にかかれない存在だ。機会があるとすれば、重要な行事か宴の席くらいだろう。
「お顔は見たことない? 雨鈴ちゃん、宴とかよく出ているし」
「いや、……えっ? ……そりゃあ、まぁ……確かに、宴の席でちらっと見たことはあるけど……。何で水蓮宮に……?」
信じられ難いのか、遠慮なく成蓮の顔をまじまじと見つめる雨鈴に夕明は席を勧める。
「殿下。こちら、友人の相雨鈴です。彼女は歌の宮妓なんですよ」
「宮妓だったのか。それならもしかすると宴の席で見かけたことがあるかもしれないな」
成蓮は特に動じてないのか、頷いているだけだ。
「……っはぁー……。本当に成蓮殿下なんだ……」
やっと納得したのか、それとも記憶の中にある姿と合致したのか、雨鈴は腕を組んで何度も確かめるように頷いた。
「あ、そうとは知らずに失礼致しました」
頭をすぐに下げようとする雨鈴を成蓮は手を振って止める。
「いや、こちらこそせっかく、友人を訪ねて来たにも関わらず、先にお邪魔してしまってすまない。良ければこのまま同席してほしい」
「いえいえっ、こちらこそ……。あ、夕明、お茶菓子持ってきたの。一緒に食べようかと思って。殿下も一緒に食べます? 干し枇杷なんですけど」
「いただこう」
丁寧に挨拶はしたものの、いつも目上の者に臆する事無く接する雨鈴は、「殿下」という身分の者がすぐ傍にいるにも関わらず、普段と変わらない様子へと戻った。
「じゃあ、お皿と雨鈴ちゃんの分のお茶も出すね。茉莉花茶でいい?」
「ありがとう」
このような状況だが、成蓮はあまり気にしていないのか、普通に雨鈴と会話をしている。
彼自身、身分に拘らない方なのか、雨鈴の物怖じしない性格に合うのか、こうやって傍から見ていると、友人達が普通にお喋りしているように見えてしまう。
「はぁー……。なるほど、それで夕明を毒見役としてねぇ……。確かに今は帝位争いが目に見えて起こっていますからね。宮妓の間でも、太子側か親王側かで分かれている子達もいるし」
「あぁ、宮妓達も家々の関係で懇意にする貴族の家があるのだろう。そちらに迷惑をかけてしまってすまないな」
「構いやしませんよ。どうせ、妃を狙っている子ばかりですから。情勢が変われば、女の気まぐれでころっと、すぐに心変わりして誰それが素敵だ、誰それが良いなんて言うに決まっています」
年頃の女が多い宮妓達の中にはあわよくば、帝の妃を狙う者が多いのだろう。だが、雨鈴はそういったことに興味がないのか、わざとらしく溜息を吐くだけである。