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蓮の咲く先へ

   

「夕明殿……」


「……」


 唇を尖らせて、頬を膨らませたままの夕明を成蓮は申し訳なさそうに見ている。

 夕明が、気が付くまで様子を見ていてくれたらしいが、自分の気絶した姿を見られたなど、恥ずかしいことこの上ない。


 結局、自分が気絶している間に成蓮も一人で着替えを終わらせてしまったらしく、今はお互いに落ち着くために、夕明が淹れたお茶を飲んでいた。


「申し訳なかった」


「……今度は時間帯を考えて下さいっ」


「そうするとしよう」


 苦笑している成蓮は悪びれた様子もなく、まるで悪戯が成功した子どものように笑っている。まだ顔が赤いままの夕明は、何か言いたげに口を開いては閉じることを繰り返していた。


 成蓮が楽しそうに笑えているのは心が穏やかな証拠だ。今日は大目に見るかと、まだ熱い吐息で嘆息した。

 だが、そこで成蓮に伝えようと思っていたことを思い出す。


「……あ、殿下。ちょっと宜しいですか」


 夕明は椅子から立ち上がり、成蓮を手招きする。


「どうしたんだ」


「以前、お伝えしていましたよね。……蓮が咲いたのです」


 池の方へと成蓮を連れていく。


 そこには二階の窓から外を見た景色と同じものが広がっていた。水の上に咲く蓮の花は、まるでこの場所が天の国のように見えるほど美しく咲いていた。


 一つ一つが、しっかりと、そして清らかに立っている。朝露で、花びらがほんのり濡れて、柔らかく、光っているようにさえ見えた。本当に溜息が出そうなほど、美しい光景だ。


「……見事だな」


 ちらりと成蓮を見ると穏やかな表情をしていた。


「……実は一つ、この蓮に関するお話があるんです」


 まるで秘密のことを話すように夕明は唇に人差し指を当てる。


「私の母が昔、話してくれたことなんですけれど。母の友人が水蓮宮へと遊びに来た時に、ちょうど蓮の花が咲く時期だったらしいのです」


 記憶の遠くに置いていたものを引っ張り出すように夕明は静かに話す。


「その時、友人の方が白い蓮を見て、凄く綺麗だって褒めて下さって。もし、自分に子どもが生まれたら、その子の名前に『蓮』を付けたいって仰られた程、気に入っておられたそうです」


 成蓮が勢いよく自分の方へと振り向いたのが見えた。話の中から、何かに気付いたのだろう。彼の表情はやがて、嬉しそうなものへと変わった。


「……そうか。私の母上の思い出の場所でもあったんだな、水蓮宮は」


 静かに、穏やかに。遠い記憶に想いを馳せるように。成蓮はすっと目を閉じた。


 静寂で満ちた中で感じるのは朝の爽やかな空気と、目が覚めた鳥のさえずり。それだけなのに、それがとても特別な瞬間のように思えて、二人は同時に笑い出す。


 きっと、母と登后も今の自分達と同じように、この瞬間を尊いものだと感じていたのかもしれない。そして、宝物のように扱っていたのだろう、このひと時の思い出の時間を。


 しかし、小さく笑っていた夕明の視界の端にふっと見えたのは、池の向こう岸に立っている人影だった。


「あ……」


 夕明がきまりの悪そうな声を上げると目を閉じていた成蓮は首を傾げた。


「どうしたんだ」


「あの、向こう岸に蒼信さんが……」


「なに……」


 蒼信が腕を組み、眉を深く寄せているのが遠目でも分かった。


「……そういえば、昨夜は水蓮宮に行くと書置きして、そのままだったからな……」


 しまった、と言わんばかりに成蓮は自らの頬を指で掻く。


「それは心配なさりますよ! って、泊まるか聞いた私が言える立場ではないですけれど」


 蒼信もこちらへ来たくても、小舟を一艇は夕明、二艇目は成蓮が使っていたため、来られなかったのだろう。今、小舟二艇は水蓮宮側の桟橋の柱に泊めてある。


「怒られるよな……」


「怒られる時は一緒ですよ。私も半分、悪いですから」


 とりあえず、すぐに向こう側へ渡った方がいいだろう。心配のし過ぎで、また蒼信の胃痛がひどくなっているかもしれない。


「夕明殿」


 先に小舟に足をかけた成蓮が手を伸ばしてくる。どうやら、このまま一緒の小舟で渡る気らしい。それならば、と夕明は彼の手に自分の右手を添える。


 夕明が座ったことを確認してから、成蓮は(かい)を手に取り、小舟を漕ぎ始める。蓮の池で小舟を漕ぐその姿が、まるで一枚の絵のように見えて、夕明はうっかり見惚れてしまっていた。

 だからだろうか、間近で見る蓮は、自分が今まで見てきたものの中で一番美しく見えた。


「一つ、提案があるんだが」


「何でしょうか」


 漕ぐことに少し慣れて来た成蓮が、周りを確認しつつ、こっそりと耳打ちしてくる。


「二人の時は名前で呼んでくれないか。私も君を夕明、と呼びたいんだ」


 その一瞬が、少しだけ別人のように大人っぽく見えたが、すぐに成蓮ははにかんだ。


「はい……。──成蓮様」


 彼の笑みに答えるように名前を呼ぶと、成蓮も嬉しそうに目元を緩めた。


 これからはその名前をずっと呼ぶことになるのだろう。そして、自分も同じように熱が込められた吐息のように名前を呼ばれるのだ。

 季節が過ぎて、また何度も蓮の花が咲くことになっても。


 夕明は蓮の花よりも柔らかく、穏やかな笑みを成蓮に向けていた。





            「水蓮宮の毒見役」完

     

   

 

この度は「水蓮宮の毒見役」を読んで下さり、ありがとうございました。おかげさまで、完結致しました。珍しく中華ものを書いてみたのですが、いかがだったでしょうか。

気弱な殿下は書いていて楽しかったです。実は、このお話は夕明だけでなく、殿下も主人公の一人でした。自分の意志をはっきり持った夕明と接することで、彼が少しずつ成長する過程も書きたかったのです。


夕明と殿下のお話はこれでお終いになりますが、このお話と同じ時系列で、別の女の子が主人公のお話もございまして、しばらく経ってから連載出来ればいいなと思っております。


長文となりましたが、ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

次の機会、また皆さまのお目にかかれるように、さらに精進していきたいと思います。


最後に、「水蓮宮の毒見役」を読んで下さりありがとうございました!


       

             伊月ともや

  

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