当り前の日々へ
いつもよりも、早い時間。朝日が昇るか否かという時間に夕明は目が覚めた。
昨夜は成蓮とついつい話し込んでしまった。お互いに寝る時間が遅くなったが、自分の身体はいつも通りに覚めてしまったようだ。
ふと隣を見ると、成蓮の寝顔があった。子どものように柔らかそうな頬が、微かに動く。閉じられた瞼を縁取る睫毛が鮮明に見えた。
「……」
一瞬、思考が停止して、そしてすぐに思い出した。
泊っていかないかと提案したのは自分だが、この家には寝台が一つしかないのだ。
自分は床で寝るから、成蓮に寝台を使って欲しいと言ったが、彼はそれを聞かず、それなら自分が床で寝ると言い出したため、仕方なく一人用の狭い寝台に二人は並んで寝ることになった。
二人とも細身であるため、窮屈な感じはせず、暑い夜でもなかったため、寝やすかったように思う。
寝る際は眠かったため、あまり気にしなかったが今思えば、どうして一緒に寝ようと誘ったのか、過去の自分を問いただしたい。
特に何かがあったわけではないが、思い返せばもの凄く恥ずかしいことをしたのだと悶絶してしまう。
成蓮から妻になって欲しいと言われたが、まだ結婚もしていない上に年頃の男女が一緒に寝るなど、世間から見れば常識外れもいいところだ。
それでも、今日はいつもより寝付きが良かったように思えた。やはり、安心できる温かさや匂いが傍にあると、安眠できるという事か。
何て、そんなことを考えつつ、夕明は成蓮を起こさないように注意しながら、寝着から普段着へと着替えを始める。
身支度を整えている場所と寝台の間に衝立があるので、もし成蓮が目を覚ましても着替えを見られることはないだろう。
本当なら、朝食も用意したいところだが、それは厨房の方で準備が始まっているだろうから、出過ぎた真似は出来ない。
襟を整え、帯を軽く締めてから、いつもの髪型を結っていく。今までと変わらない自分の姿が鏡台には映っていた。
何となく、窓の外を見た時だった。夕明はある事に気付いた。
窓の外の水面に浮かぶように咲いているあの白い花は──。
「ん……」
そこで成蓮が小さく唸り、目を覚ます。
「起きられましたか。おはようございます、殿下」
「……夕明、殿? ……あっ……!」
そこで成蓮は飛び上がるように跳ね起きた。
「あー……」
そうして、頭を両手で抱えつつ、低い唸り声を上げる。どうやら彼も昨晩の事を思い出したらしい。
「心配なさらなくても、何もありませんでしたよ?」
「……そういうことではない。まだ、未婚なのだし、こういうことはちゃんと順序を守らないといけないだろう……」
どうやら照れているのか、頬が紅潮しているように見える。普段は見られない表情に夕明は小さく笑い、櫛を持って、成蓮のもとへと歩いた。
「少し、向こうを。髪をお梳きします」
成蓮の髪はいつも、うなじ辺りで一つにまとめられているが、寝る時は髪結い紐を外していた。艶やかな髪を眺めるように見ながら夕明がそれを梳いていると、まだ顔を隠している成蓮が唸った。
「他の者に髪を梳かれるのは平気なのだが、君にされるとどうも……気恥ずかしい」
「……そんな事を言ったら、私まで恥ずかしくなりますよ」
それでも丁寧に優しく髪を梳き、まとめた髪を髪結い紐で結んだ。
「はい、出来ました。鏡を見ますか?」
「いや、いい。ありがとう」
櫛をもとの場所へと戻しに行こうと寝台から立ち上がろうとした時だ。
突然、成蓮から腕を掴まれ、そして閉じていた唇に軽く、口付けされた。
「……これからは、これが当たり前になるのだから、慣れないといけないな」
静かに低く呟かれる声は誰に対して言った言葉なのか。
先程まで、子どものような寝顔で寝ていた表情とは打って変わって、成蓮は大人びたような、少し余裕のある笑みを浮かべていた。
だが、状況が理解出来なかった夕明はそのまま固まり、成蓮を凝視したあと、一瞬で茹でた蛸のように顔を赤くした。
「わっ……大丈夫か、夕明殿!?」
「そ……な、あ……」
言葉にならない言葉を喚くように吐きつつ、今度は夕明の方が顔を隠す。
「そ、そういう事をなさるのは、夜だけにして下さいっ!」
初めての口付けに対して、出て来た言葉はそれだった。
「嫌だったのか?」
「嫌じゃないです! いやっ、いえっ、違います! あの……」
「では、今度からはちゃんと、夕明殿の許可を得てからするとしよう」
そういう事ではないと言いたかったが、言えずにいた。面白がっているのか分からないが、寝台の上に腰掛けている成蓮が夕明の身体を引き寄せて、後ろからそっと抱きしめてくる。
「で……殿下っ!」
元から抵抗する気などはないが、このように密着する機会はあまりない上に、昇ってきている朝日でよく顔が見えてしまうため、とても耐えられる状況ではなかった。
「ん……。もう少し、このままで」
そう言うと、成蓮は夕明の肩口に顎を載せてきた。
ふわりと、成蓮の柔らかい匂いが鼻をかすめる。人の匂いを嗅ぐなど、自分らしくないことをしてしまい、罪悪感と羞恥心が一瞬にして生まれ、身震いしてしまう。
「せっかく、穏やかな日々を送れるようになったんだ。もう少しだけでいいから……」
強まる腕の力に夕明は成す術がない。だが、そろそろ小雪殿の方へと戻った方がいいはずだ。朝起きて、成蓮が居ないと知ったら、蒼信達が驚き、心配するに決まっている。
「あのっ!」
強く抱かれている夕明は喘ぐように息を吸い込み、思い切って大声を上げる。
成蓮が甘えてくれるのは嬉しいが、このままの状態では自分の意識がもたなくなってしまいそうだ。
「いつでも……して、いいですから。だから……そろそろ離して下さいっ……!」
夕明はそう叫んだあと、暫くの間、記憶が途切れてしまった。