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添い遂げる想い

 

「……はぁー……」


 夕明は深い溜息を吐きながら、家の入口近くに置かれた長椅子に座り、ぼんやりと月を眺めつつ、お茶を飲んでいた。もう、心の方は落ち着いていた。


 帝位争いが決着した以上、成蓮の命が狙われることはなくなるため、自分が彼の食事の毒見をする必要がなくなることは分かっていた。


 ……それでも、やっぱり……。


 寂しいと思ってしまうのだ。これで成蓮との関わりが無くなってしまうと思うと、寂しくて、仕方がなかった。もちろん、成蓮のことだからたまに、水蓮宮へと訪ねて来てくれるかもしれない。


 けれど、これからは新しい帝となる理桂を支えるために、政務を任されることもあると言っていた。自分との時間はそう簡単には取れなくなるだろう。


 ……これで、いいの。望んでいたことだもの。


 だが、割り切れない自分がいることを苦々しく思う。これ以上は、成蓮にとって枷になるだけだ。自分はただの毒見役ではなく、毒が効かない毒見役として名が広まってしまったのだから。


 今日は疲れた。もう寝ようと腰を上げた時だった。

 ──水音が響いたのだ。


 まさか、と思った。夕食のあとに、おやすみなさいと成蓮には告げた。だから、来るはずはないと思っていたのに。

 勢いよく振り返り、夕明は固まる。


「……夕明殿」


 そこにはいつもと同じ穏やかで優しい笑みを浮かべた成蓮がいた。


「また、遅くにすまない。どうしても言っておきたいことがあったんだ」


 成蓮はゆっくりとこちらに向かって歩いてきている。そして、動けずにいた自分の顔を覗き込むように背を屈めた。


「夕明殿?」


 今、自分はどんな顔をしているのだろう。分からない。だが、一つだけ分かることがある。

 そのまま、ぶつかるように夕明は成蓮の胸の中へと飛び込んだ。様々な感情が同時に駆け巡る。


 一緒に居たい。でも、自分は邪魔になる。本当は好きなのに、そうだって言えない。

 ありがとうやごめんなさいも言えないまま、ただ、成蓮の胸に顔を押し付けていた。


「……また、泣いているのか?」


 静かに背中に手が回される。(すが)りたいと思ってしまう自分は弱いのだろうか。


「これで……私の役目は終わりです」


 そっと、成蓮の身体から離れる。


「私の願いは叶いました。これでもう……」


「夕明殿」


 言葉を遮るように手がしっかりと握られる。


「君に謝らなければならないことがある」


「え?」


 この前と同じように気まずそうな顔をしている成蓮に夕明は涙を拭いて首を傾げる。


「実は君の承諾を得ずに……その……。理桂兄上に、君を妻にしたいと言っていたんだ」


「え……。……えぇっ!?」


 思ったよりも大声が出てしまい、今が夜だと自覚した夕明はすぐに空いている方の手で口を押えた。


「そういえば、あの時も……。あれってその場を上手く治めるための嘘かと思っていました」


「やっぱり……」


 苦いものを食べたような表情へと戻る成蓮は、軽く目を逸らした。


「方便などではない。……兄上はそれなら、殿下妃に対する無礼を行ったとして柳邦を捕らえることも出来ると提案してきた。……本当はこんな事に使うような話ではないが」


 ぽかりと口を開けっ放しの夕明の方へと再び視線を向けてくる。


「だから、君を利用したことについて謝りにきたんだ」


「そのことは別に……。私は気にしませんので」


 だが、そう答えてから、心の奥では現実だったらいいのにと、叫んでいた。もちろん、それを留めておくくらいの理性は残っている。


「いや、気にしてくれ。……そして、もう一度言い直させて欲しい。──私の妻になってくれないか」


 両肩を逃げられないように掴まれ、しかも視線は真っすぐと自分だけを映しているため、全くと言っていいほど逃げ場がなかった。


「どうか今、返事をしてほしい」


 真剣な瞳とは打って変わって、その頬は赤く染まっていた。初めて見る、成蓮の照れた表情に夕明までつられて赤くなってしまう。


「あの……。それは……」


「今の言葉の意味の通りだ」


「……その言葉は、毒見役の延長線にあるものですか?」


「違う。私が欲しいのは、毒見役ではなく、ただ一人、目の前にいる斉夕明だけだ」


 はっきりと、そう言われたならば、もう聞き間違いなどではないだろう。


 ……自惚れていいの?


 自分の想像する「妻」というものは、夫に一生添い遂げるものだと思っていた。そして、この心は成蓮とずっと一緒に居たいと叫んでいる。


 ……ずっと一緒に居てもいいの?


 妻というのは立場の話なだけで、自分は成蓮とこの先もずっと一緒に居られるということだろうか。


 彼は「斉夕明」が欲しいと望んでいる。もう必要なくなった毒見役ではない。今、ここにいる自分を妻として求めている。


 成蓮のこれから先の事や、立場を考えなければならないと分かっているのに、一つしか答えが出なかった。


「……お受け、致します」


 か細い声で、顔を真っ赤にしながら夕明は答える。しがみつくように、再び成蓮の胸の中へと飛び込んだ。


「主として、ではなく……。成蓮殿下として、お慕いしております……」


 自分でも分からないほど、涙が次々と零れ出てくる。抱かれる力が強まり、これが現実なのだと教えてくれた。


「……ありがとう」


 抱かれた腕の力が弱まり、再び成蓮と視線が交わる。身体が熱を出した時よりも熱くなる。これが、人に対して抱く感情なのだと初めて自覚した。

 離れなくていいと言うなら、もう離したくはなかった。


「……殿下」


 頬が熱いまま、顔を上げる。寂しい気持ちをどうか、拭って欲しい。


「今夜は、泊まっていかれませんか……」


 夕明の口からまさかそんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。成蓮は聞き間違いをしたような奇妙な顔で訊ねてくる。


「……夕明殿、その言葉はどのような意味で受け止めればいいのだ」


「お好きなように、です」


 涙目ながらに挑むような視線に成蓮もたじろいだようだ。だが、すぐに観念したように小さく溜息を吐き、夕明の身体を再び抱きしめる。


「明日、一緒に蒼信に怒られることになるが」


「臨むところです」


 夕明の即答に苦笑しつつ、同意の笑みを浮かべてくれる。


「でも、そのまま寝るのはつまらないな。……少し話に付き合ってくれるか?」


「では、すぐにお茶を淹れますね」


 誘うように家の中へと入っていく。どうやら、今日の夜は長くなりそうだと、夕明は気付かれないように微笑を浮かべていた。

  

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