争いの終わり
「……とりあえず、後処理が残っているからな。私はこのまま彼らを尋問してくる。……他にも余罪があるかもしれないからな」
「ありがとうございました、兄上。あと、お気をつけて」
「お前もな。──それと」
ふいっと理桂の視線が夕明の方へと向けられる。
「中々、肝が据わった、勇敢で聡い妻を持てたようで何よりだ。……成蓮はまだ子どものようなところがあるからな。今後は成蓮の妻として、しっかりと弟の世話をすることを宜しく頼む」
「は……はい……」
かろうじて返事しか出来なかったが、それを了承と受け取ったのか理桂は軽く頷いた。
「では、私は行く。これでやっと帝位争いが終わった。……本当は兄弟仲良くいきたいものだが、上手くいかないな」
「そうですね……」
「今度、お茶でもしよう。お前のお気に入りの場所とやらでな」
「それはっ……!」
何か言い訳をしようとする成蓮に背中を向けて、理桂は歩き出す。
「これからは平穏な日々が送れることを約束しよう。争い事はもう面倒だからな」
「……お疲れ様でした」
兄の背中を見つつ、成蓮は深く頭を下げる。それに倣うように夕明も、蒼信達も頭を下げた。
そして、理桂の姿が見えなくなって、気が抜けたのか夕明はその場に腰を抜かしたように座り込んでしまう。
「夕明殿!?」
「夕明様!」
すぐに成蓮達は駆け寄り、顔色を確かめようと腰を低くして窺ってくる。
「終わった……のですか?」
目の前に腰を下ろし、成蓮は夕明の問いかけに答えるように頷いた。
「終わったんだ。……理桂兄上の策が上手く行った。これで兄上が帝になれる。私達もこれからは安心して暮らせる。……夕明殿に柳邦兄上の手が伸びることはもう、ない」
まるで、子どもをあやすような口調に夕明の視界は歪んでくる。
「……よ……よかったぁ……」
気が緩み、涙腺まで緩んでしまったのか、目からぽろぽろと涙が溢れ出てくる。
「……夕明殿も、よく耐えてくれた。だが、手助けできずに、見守るばかりで申し訳ない」
「そんな……。私、殿下に毒を盛っていた人を目の前にしたら、怒りでつい、叫んでしまって……。他にも殿下や理桂殿下の思惑があったでしょうに……」
「いや、構わないよ。怒ってくれて、むしろ嬉しかった」
頭を優しく撫でつつ、成蓮は蒼信の方へと振り返る。
「恐らく、理桂兄上が先に尋問の手配をしているかもしれないが、私は料理人の孝文という男についての罪は咎めない。向こうが話す気があるなら、私から出向いて、話をしてこよう」
「そう言うと思っていましたよ……。とりあえず、お二人ともお疲れでしょうから、孝文との面会は明日以降にして下さい」
「そうですね。とりあえず、孝文が早まったことはしないように見張りを付けて置きますよ」
「ありがとう、二人とも。……他の皆にも、今まで大変なこともあっただろうに、支えてくれてありがとうと伝えておいてくれ。また、今度労わせてもらうよ」
「分かりました」
「……行こう、夕明殿。──桃仙、小雪殿に休める場所を作っておいてくれ」
桃仙が頷き、先に広間の外へと出ていった。
成蓮が夕明を立たせて、腰辺りに手を回してくる。支えてもらうのは、少し恥ずかしいが、そうしなければ今にも足が崩れそうだった。自分で思っていたよりも緊張していたのかもしれない。
「……もう、終わったんだ。安心していい」
静寂に満ちた広間にその声だけが響く。夕明はゆっくりと頷き、もう二度と来ないであろう白露殿の広間を一瞥し、振り返ることなく成蓮に連れられて出ていった。
・・・・・・・・・・・・・
それから宮殿内は大騒ぎだったらしい。
大騒ぎの理由を伝えに来たのは噂を聞きつけた雨鈴だった。彼女は夕明が休むために借りていた小雪殿の部屋へと凄い形相のままでやって来たのである。
その居場所さえも、蒼信を捕まえて無理矢理に吐かせて案内させたのだから、彼女の強引さと物怖じしない性格には感服するばかりだ。
危ないことをするなと半泣きされながら怒られたが、雨鈴によるとこの一連の出来事は大事になっているらしく、いま教坊どころか、宮殿中がこの話で持ち切りだという。
ひっくり返すように形勢が逆転し、理桂太子が帝位に就くことになり、柳邦殿下とその一派が牢に入れられたことが衝撃的で、しかもその場に自分もいたのだから、雨鈴は心配せずにはいられなかったようだ。
それを何とか宥めて、自分は大丈夫だと答えると渋々ながら教坊へと帰ってくれた。
柳邦達の事は後に蒼信から聞いたのだが、柳邦の身柄は楓国の都、清安の端の方にある、宮殿から遠い、貴人を幽閉しておくための邸宅のような牢屋へと送られるらしい。
柳邦の姉妹と張妃は実家へと戻され、見張りが付けられる上に、張家が持つ財産や領土などは剥奪、もしくは縮小されるだろうとの事だった。
誰もが自らの繁栄を願い、策を起こしていただろうに、結果としてはこうなってしまった。勝負事には必ず終わりが来るのは分かっている。
皆が、それぞれ自分というものを賭けてこの帝位争いを起こし、そして決着した。
それを一々、負けた者に対して、憐れみ、気にかけることはしなかった。勝った人が生まれれば、負けた人も同時に生まれてしまう世の中だ。仕方がないと思うほかない。
そして、夕食の時間に料理人の孝文が小雪殿へとやってきた。
蒼信達は明日以降に、と言っていたが成蓮に対して直接お詫びを申し上げたいと言って聞かなかったらしく、仕方なく小雪殿へと連れて来たのだという。
孝文は自分の家族を人質に取られ、柳邦の部下から命令に従わなければ、家族の命はないと脅されていたのだという。
そのため、やってはいけないことだと分かっていても、誰かに相談することも出来ずに、従い続けるしかなかったのだと語った。
だが、料理を作る際も見張られていたため、毒草を捨てる機会が中々見つからなかったらしい。
自分はどんな罰でも処刑でも受ける覚悟だが、どうか家族だけは助けて欲しいと懇願する孝文に対して、成蓮はお咎めなしと告げた。自分の意思に反して無理矢理に行っていたことなので、という理由だった。
それでも罰を、と食い下がる孝文に対して、成蓮はこれからも美味しい食事を作ってくれることを楽しみにしている、とだけ伝えていた。
それを聞いた孝文は床に頭をこすり付け、泣きながら無礼に対する謝罪と赦免に対するお礼を言っていた。
彼はこのまま成蓮専属の料理人として、厨房に残ることが出来るらしく、夕明も少し安堵していた。今回の件は、孝文と成蓮達の胸のうちに留められて、厨房の者達の耳に入らないようにするらしい。
今日の夕食に出された料理は、当たり前だが毒が一切入っておらず、成蓮も安堵しつつ料理を頬張っていた。
これで、もう終わったのだ。これからは毎日、彼は安心して食事をすることが出来る。
自分も成蓮の安寧した日々を望んでいたはずなのに、それでも心は納得できないままでいた。