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守られた約束

  

「──判りました」


 静かに箸を懐へと戻して、一つの皿を持って柳邦の目の前へと向かう。


「この点心に毒が入っています」


「……」


 柳邦は表情を動かさなかった。どうせ、何か企んでいるのだろうと分かってはいた。この毒見で自分の方が有利になるわけがないと。


「いや、不正解だ」


 にやりと笑ったその口元が、嘘を告げているとすぐに察した。


「残念だったな、斉夕明。お前の負けだ」


 わざとらしく手を広げて、落胆(らくたん)したような素振りを見せる柳邦に夕明はさらに氷雪よりも冷たい視線で彼を見る。


「残念なのはそちらですよ、柳邦殿下。あなたはご自身の我儘のために真実さえも曲げようとしている。それほど、心が狭い方だと思いませんでした」


 溜息を吐く夕明に貴族の誰かが「馬鹿なことを」と漏らした声が届いていた。


「私の答えが嘘だと申すのであれば、どうぞご自分で食べて見せて下さい。そうすれば、どちらが真実を言っているか分かるでしょうから」


 夕明がすっと点心の盛られた皿を柳邦へと差し出す。それまで余裕の笑みを見せていた柳邦の表情に一瞬、影が見えた。さすがに軽々しく手を伸ばそうなどとは思わなかったようだ。


「お食べになられないのですか? それは私の言っていることが本当だとお認めになるようなものですが」


 夕明の言葉に周りがざわつき始める。その中の一人が荒々しく声を上げた。


「この無礼者! 貴様、殿下の言葉を疑っているのか!」


 刃のように冷たく、低く鋭い声。その声の主の方へと視線が自然に動いていた。

 年は三十手前くらいで、顔立ちは地味だが、睨んだら子どもが泣きそうなほど、厳つくも見えた。そして、その腰に差さっているのは剣だ。彼が立ち上がり、剣に手を掛ける。


 その時、椅子にぶつかったのか、当たった鞘が音を出した。

 自分は耳がいい。この声も、音も、全て覚えている。


「……あなたが……」


 夕明は息をのみ込んだ。思い出したのは、食糧庫で孝文を脅していた、あの低い声。


「あなたが成蓮殿下に、毒を仕込んでいた人なの……?」


 自分の感覚全てが訴えてくる。この男で間違いないと。そして、この男が仕える者こそ、目の前にいる柳邦だと言わずとも分かった。


「私、あなたの声を聴きました。──あの殿下はまだ生きている。遅効性の毒なら、毒見役が食べてもすぐに症状は訴えない。一口でも食べれば、あの愚図な殿下はころりと逝っちまう……って。そう言っていたのを聴きました。あなたが……」


 思い出せる限りのこの男が言っていた言葉を夕明は叫んだ。


 だが、目の前にいる武人の男は顔を真っ赤にして、彼よりも前列に座っている貴人たちを押しのけるようにしながら、こちらへと向かってくる。その手には剣の柄が握られていた。


「この、……小娘がっ──!」


 勢いよく前へと飛び出してきた男はそのまま剣を抜いた。周りにいる女達の悲鳴がこだまする。


 あまりの速さに動くことさえも出来なかった夕明はその場に腰を抜かし、持っていた皿を放り出してしまった。


 だが、瞬間、爽やかな風が横を通り過ぎて行く。皿が割れる音と、金属が重なる音が同時に耳の奥に残るように響いた。


「……」


 痛みは感じられず、そっと夕明が目を開くと自分を庇うように成蓮が立っていた。

 その手には彼がいつも腰に下げていた剣が抜かれていた。飾りなどではなく、人を簡単に斬ることが出来る真剣が。


 成蓮が剣を抜くことなど、想像したことがなかった。


 争い事が嫌いな成蓮だ。恐らく、武術も嫌いなのではと勝手に思っていた。そのようなこと、一言も言っていなかったのに。


 だから、腰に差してあった剣も念のために持っているものとばかり思っていた。温和な彼には似合わないものだと思い込んでいたからだ。


 でも、そう感じていたことを撤回したいと思えるほど、彼が剣を持ち、自分を守ろうと立ちふさがる背中に見惚れてしまっていた。

 背中が大きく感じられ、彼が纏う雰囲気に飲み込まれそうになるほど、目を逸らすことなど出来なかった。


 夕明に向けて剣を振り上げて来た男は、何が起こったか分からないと言った表情で、床の上に背中を向けて倒れ込んでいた。

 持っていた剣は成蓮によって、遠くへと弾き返されたようだ。その剣が弾いた先では、貴族達が突然の喧騒に怯えるような表情を見せていた。


「……自分は夕明殿に慈悲深い人間とでも思われているかもしれないが……」


 想像出来ないほどの低い声のまま、彼は剣の先を床の上に転がる男の喉元へと伸ばす。


「大事にしているものを傷付けられて、平気な顔でいられるほど、出来ている人間ではない」


「……」


 誰もが息をのんでいた。温厚な成蓮を知っている者ならば、誰が想像出来たであろうか。

 これ程、冷たく、恐ろしい眼差しをした成蓮を。


「どうだ、首を取られる気分は。私にも少しだけ慈悲がある。いっそのこと、苦しまずに逝かせてやってもいい」


 ごくりと、倒れている男の喉元が動いたのが見えた。成蓮は剣を握り直し、そして思いっきり床へと刺した。金属の音が反響し、剣の反動によって、床が少し揺れたようにも感じた。


 夕明が恐る恐る立ち上がり、成蓮の足元を見ると、武人の男の両足の間に剣が深々と突き刺さっていた。

 それを見た武人は引き攣った声を上げて、そしてそのまま白目になって後ろへと身体を倒した。


 どうやら成蓮の気迫に押されて気絶したらしい。他の貴族達も成蓮の様子を怖がり、すぐに後ろの方へと後ずさりしていた。


 横目でちらりと成蓮が視線を向けてくる。口元がゆっくりと動き、大丈夫かと言っていた。

 思わず抱きしめたくなりそうな衝動を抑えて夕明は軽く頷く。


「──たかが女如きで剣を抜くとは、小物だな、成蓮」


 いつの間にか柳邦が立ち上がっていた。彼の近くに座っている妹姫達は怯えた表情で、姫君らしく震えて、涙を流している。

 義兄である成蓮が恐ろしい顔をするところなど、一度も見たことなかったのだろう。


「そこの女は賭けに負けたんだ。大人しく引いたらどうだ」


「それならば、これを私が食べて見せましょうか」


 夕明が落とした毒入りの点心の欠片を成蓮が拾い上げる。


「私がこれを食べて、症状が出たならば、あなたの負けだ。それとも私が毒を食べたと演技をすると疑われるのであれば、やはり兄上が食べる方が一番確実なのでは?」


 成蓮らしくもない皮肉めいた言葉を吐きつつ、点心を再び床の上へと落とした。


「……私は夕明殿のために、このままこの剣であなたを切り捨ててもいいとさえ思っている」


「何だと……」


「言っておきますが、私はそれなりに剣術が出来ます。ただ、人を傷付けるのが嫌いだっただけで……。これでも真面目に稽古していたので、恐らくあなたよりも強いと思われますが」


「この……」


 柳邦が腰に差した剣に手をかける。素早く、蒼信と桃仙が自分達の傍へと駆け寄ってきた。


 だが、それを成蓮は片手で制し、控えているようにと横目で示したため、二人は夕明と成蓮の両端の少し後ろへと立った。

    

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