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高成蓮

 

 夕食の時間になり、夕明は少しだけ身なりを整えてから、水蓮宮を出る。


 邸宅がある場所は小島のようになっているので、小舟を漕いでから宮殿がある陸地へと向かうしかないのだ。夕明は小舟を大きく揺らさないように注意しながら乗り込み、静かに座った。


 ふと視線を向けると水面よりも上に蕾を付け始めている蓮が所々に見受けられる。あと、ひと月もしないうちに咲いてくれるだろう。

 真水だと小さな花しか咲かせてくれないが水の色は少し濁っているので、今年も綺麗で大きな花を咲かせてくれるに違いない。


 小ぶりに作られた(かい)を使って、水面を慣れた手つきで漕ぎ、進んでいく。どこか遠くで喧騒が聞こえた気がしたが、すぐに関係ないものだと視線をもとへ戻す。


「夕明様」


 昼間と同じ声が聞こえて、夕明は少し斜め後ろを振り返った。陸地には蒼信が立って、自分を待ってくれていた。


 夕明は人が一人、渡れる程に細い桟橋(さんばし)の支柱に向かって、小舟の先端が繋がれている縄を投げる。

 支柱をくるりと囲んだ先端を再び手にし、折り返すように引っ張りながら小舟を桟橋のすぐ真横へと付けて、支柱を縄で巻いてから、固く結ぶ。 


 そして、小舟から桟橋へとひょいっと飛ぶように移り、待っている蒼信のもとへと歩いた。


「ご足労いただき、ありがとうございます」


「いえいえ。では、案内をお願いいたします」


「はい」


 蒼信のあとに続きながら、夕明は宮殿の中を見渡す。宮殿が広すぎることもあり、どの場所に何という建物があるのか、把握し切れてはいない。

 だが、何度か来ても、ここは自分にとっては遠い場所なのだと自覚はしていた。


「突然のお呼び出し、本当に申し訳ないです」


「もう、謝らないで下さい。それに必要とされているなら、馳せ参じるのがこのお役目というものですから」


「……殿下も、本当はこのような役目を任せたくはないと言い張っておりまして」


「何故ですか?」


「心根がとても良い方なのです。……誰かを身代わりにしてまで、食事は摂りたくないと言って、二日程食べずに部屋に籠られていたこともございました」


「……」


「ですが、それで体調を崩されてしまい、見かねた私があなた様へお願いしにきたのでございます」


 確かに自分なら、毒で死ぬことはない。今までも何度か貴人の毒見役を任されてきたことがあるので、その実績を買われたと言ってもいいだろう。


 高い城壁に囲まれた内側には名前の付いた大きな宮殿が両手では数えきれない程に並んでおり、帝が政務を行ない、生活する場所は中央に位置している。


 帝の住居でもあり、後宮がある場所を「月華殿(げっかでん)」と呼ばれていることは知っていたが、廊下で繋がれた一番端にあたる場所、「小雪殿(しょうせつでん)」に成蓮(せいれん)殿下は住んでいるらしい。


 彼の兄達は「清明殿(せいめいでん)」、「白露殿(はくろでん)」とそれぞれ別の建物に住んでいるため、顔を合わせる事はほとんどないのだと向かう途中、歩きながら蒼信が話してくれた。


 歩きを進めていくたびに、夕明の胸の奥は鼓動が増していく。正直、あまり皇族に対して良い印象は持っていなかった。それは曾祖父時代の件があるからかもしれない。

 だが、私怨を抱くことがないのが幸いだったため、今はこうして皇族に仕える毒見役としていられるのだ。


「着きました。こちらです」


 通された部屋は誰もおらず、思っていたよりも蝋燭(ろうそく)の数が少ないため、薄暗かった。

 親王の身分ならもう少し蝋燭の数が多く、煌びやかな置物が置かれ、沢山の侍女(じじょ)を侍らせて、優雅で派手な生活をしているのではと印象を抱いていたが、違ったようだ。


「殿下、夕明様をお連れしました」


 低くも透き通る蒼信の声に応えるように、奥の扉が開いた。


「……」


 そこから、夕明と同じ年くらいの青年がこの部屋へと入って来る。背中まである髪をうなじ辺りで一つに(くく)り、着ている衣は貴人にしては質素、というよりも深い藍色で統一された地味な色合いだった。


 だが、それよりも気になったのは彼の表情だった。唇を一文字に結び、どこか困ったような顔でこちらを見ていたからだ。


「……えっと、毒見役で参りました。斉夕明と申します。よろしくお願い致します」


 中々、口を開かない成蓮に対して、仕方なく夕明が型どおりの挨拶をする。


「……高成蓮(こうせいれん)


 それだけ答えて、それ以上は言葉にしなかった。お互いに何も発さない状態が続き、気まずくなったのか蒼信が手を打つ。


「それでは、夕食をお持ちしますので」


「あ、はい……」


 椅子に座っていて下さい、と言いおいて、侍女を呼びにいったのか、蒼信がその場から離れていく。それでも成蓮は戸惑った表情のままでこちらを気にかけているばかりだ。


「……あのー……」


 さすがにこれ以上の沈黙は辛いので、試しに夕明が声をかけてみる。


「……夕明殿」


「はい?」


 名前を呼ばれるとは思っていなかったので思わず姿勢を正すと、成蓮の口から出たのは思ってもいなかった言葉だった。


「何故、毒見役を引き受けたんだ……」


 そして、項垂(うなだ)れるように顔を手で覆い、深く溜息を吐く。


「蒼信も私の事情を説明したはず。命の危険が伴っていると分かっているのに、何故……」


「……」


 椅子に深く座り込み、喘ぐようにそう呟きつつも、苦悶の表情が崩れることはない。

 余程、自分に毒見役を任せたくないのかと思ったが、蒼信がここに来る前に言っていた言葉を思い出す。


 ──誰かを身代わりにしたくない。


 なるほど、そういう事かと夕明は思わず笑みを浮かべてしまっていた。


「……何か可笑しいことでも」


「申し訳ございません。ただ……本当にお優しい方だと思いまして」


「は……?」


 何を言っているのだと彼は目で問うて来たが、夕明はそれに答えず、袖で口元を隠しつつも小さく笑う。

 

 成蓮は本当に優しい人なのだ。普通、毒見役に対して心配などしない。

 心配するのは狙われた自分の身のはずだが、彼はそうしない。


 どうして毒見役を引き受けたのかとわざわざ問うて来るのは成蓮が彼の身代わりとなる者を心から心配している証拠だ。

 蒼信から聞いた話でも、自分の身代わりとなって倒れた者を心配していたと言っていた。これ以上、毒見による犠牲を出したくないと拒んでいるのだ。


「……私に毒は効きません」

 

 静かに、説得するように夕明は顏を逸らさずに成蓮を見る。


「蒼信さんからお聞きしているかもしれませんが、私の一族は毒に対して耐性があるのです。だから、致死量の毒を身体に含んでも、死ぬことはありません」


「だが……」


「大丈夫です。……あなた様の身を守るために私は参りました。どうか、仕えさせてくださいませ」


 優しく微笑み、夕明は成蓮の前へと片足を床に付けて(ひざまず)く。彼のような人物になら、心から仕えたいと思う。

 成蓮は自分のことを身代わりの道具のようには扱わない。成蓮の優しい心に対して、自ら進んで彼の身を守りたいと思えたのだ。


「……私に関わってはこの先、どうなるかは分からない。帝位争いが起きている今、私に仕えているという理由だけで、君の身が危険になることだってあり得る」


「それならば私は毒が全く効かないので直接、刃を立てられない限り、この身に危険が及ぶことはありません」


「……」


「私が殿下にお仕え出来なければ、蒼信さんの胃にさらに影響が出てしまいます。どうか、このままお仕えすることを認めてください」


 蒼信の名が出てきて、成蓮はそこで渋ったような表情になる。蒼信の身を心配している証拠だ。嫌なやり方かもしれないが、その方がすんなりと受け入れてくれるかもしれないと思ったのだ。

 そして、成蓮は夕明を説得することを諦めたのか深く溜息を吐いた。


「……その根気には負けるな。だが、危険だと感じたら、すぐに仕えるのを辞めて欲しい。それが条件だ」


「……っ! はいっ! ありがとうございます!」


 夕明は立ち上がり、深く頭を下げる。顔を上げれば、どこか困ったような、戸惑うような表情の成蓮が夕明を見つめていた。

  

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