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すれ違う覚悟


 それから幾つかの日が過ぎたが、帝の体調は悪くなる一方で、周りで仕えている者達もその覚悟をし始めていると蒼信から聞いた。そんな中で、次の帝位を継ぐ者に勅命を出すとの噂も出ているらしい。


「初めから、理桂太子にお譲りすると決めておけばこんな面倒な状況にはならなかったのに」


 そう呟くのは水蓮宮を訪ねてきている雨鈴だ。雨鈴の隣に夕明が座り、その正面には成蓮が座ってお茶を飲んでいる。

 少し前に比べたら、急ぎの仕事もないため、水蓮宮に訪ねる時間が増えたようだ。


張妃(ちょうひ)が陛下に張り付いた状態だからな。世話をしつつも、我が子こそ次の帝に、と毎日のように吹き込んでいるらしい。それに金で買われた貴族や高官達が柳邦兄上を次の帝にするよう持ち上げているからな」


「うわぁ……。陛下が臥せっておいでなの、そのせいもあるんじゃないですか」


 嫌だと言わんばかりに雨鈴の表情が渋いものとなる。


「だが、早いところ次の帝を決めて下さらないと、困ることが多いのは確かだ」


「殿下は……」


 夕明は何か告げようと口を開いたがすぐにそれを閉じた。

 今後、次の帝が決まったら、成蓮の身はどうなるのだろうか。それだけが心配なのだ。


「……殿下は今後どうなさるおつもりで?」


「っ、雨鈴ちゃん!」


 自分が言えなかったことをさらりと聞いてしまう友人の物怖じしない性格に危うく心臓が止まりかけた。


「だって、殿下には帝位を継ぐ意志がないのでしょう? それなら、今後のことをどうするか聞いておかないと。夕明のことだってあるんだし」


「え? 私……?」


「あたしは別に誰がどうなろうが構いませんけどね。でも、夕明が殿下に仕えていることが知られている以上、関わりがあるって向こうも承知のはずだし」


 向こうとは理桂太子側か、それとも柳邦殿下側のどちらのことだろうか。


「私の身の振り方はまだ、はっきりと決めているわけではないが、夕明殿はこちらが責任持って守ると約束する」


 成蓮が碗を置いて、静かに答える。


「あら、本当ですか。それなら安心だわ」


 しかし、と言って成蓮は言葉を続けた。


「理桂兄上が帝になられたなら、命の保障はあるだろうが……柳邦兄上の場合は分からないかもしれないな」


「え?」


「よくて都から追放、もしくは軟禁だろうな。悪ければ……」


 成蓮はそこで言葉を濁した。最悪、命に危険が及ぶこともあると言っているようなものだ。


「本当に、宮殿事情は恐ろしいことばかりだわ」


 呆れたように雨鈴が遠慮なく吐き捨てる。


「雨鈴ちゃん……」


 (なだ)めるような夕明の視線を跳ね返すように雨鈴は鼻を鳴らす。


「殿下には、少し強気になってもらわないと困るのはあんたなのよ、夕明?」


「私は……。ただ、殿下にお仕え出来ればそれでいいもの」


「でも、仮に柳邦殿下に帝位が譲られるようなことがあれば、あんたにも危険が及ぶのよ。……蒼信さんから聞いたわよ。柳邦殿下に自分のところに来いって言われたそうね」


「……」


「あたしみたいなただの宮妓でも、その先がどうなるかは大体わかるわ。柳邦殿下は絶対にあんたのことを奪いに来る。もちろん、成蓮殿下に嫌がらせの意味も込めてね。もし、柳邦殿下のところに連れていかれたら、あんたは……」


 そこで雨鈴の表情が歪み、口を閉ざした。その先は、鈍い自分でも分かっている。


(もてあそ)ばれて、捨てられるでしょうね」


 静かに夕明はその続きを紡いだ。はっとしたように成蓮がこちらを向く。


「どうなるかは分かっているもの。……でも私は絶対に成蓮殿下の傍を離れない」


 たとえ、命が狙われても、自分が仕えるのは成蓮ただ一人だ。


「もし、柳邦殿下からお召しがあるようなら……。その時は私が柳邦殿下に手を下します」


 冷めた表情で夕明はにこりと笑う。隣にいる友人だけではなく、成蓮の顔さえも固まった。


「な、にを……」


「私の望みはたった一つ。成蓮殿下が安心して暮らすことが出来るようにお支えすることです」


 静かに、穏やかに答える言葉は場違いなようにも聞こえるかもしれない。


「私も思っていたんです。柳邦殿下が帝になれば、きっと殿下の身に危険が及びます。私は……それだけは絶対に避けたいんです」


「夕明、あんた……」


 雨鈴が何か言いたげな顔をしているが、その先の言葉が見つからないのか、口を(つぐ)んだ。


「だからもし、そのような事になれば、私は自分の全てを以て、殿下をお守りします」


 それしか方法がないというならば、喜んで引き受ける覚悟は出来ている。


「駄目だ」


 凛とした声が、その場を一瞬で静寂へと持っていく。


「そのような事、決して許さない」


 今まで聞いていた成蓮の声とは別物ではないかと疑うほど、その声は低く、重かった。


「私はそのようなことを望んではいない。たとえ、身に危険が及ぶことになっても、夕明殿を盾にしてまで、生き延びようとは思わない」


 目の前に座っている成蓮は自分が知っている穏やかで優しい成蓮とは違うようにさえ思えてくる。それほどに目は細められ、無表情だったのだ。


「……声を張り上げてしまって、すまない。だが、これだけは覚えておいて欲しい。君の事は守る。たとえ、負けることになったとしても……」


「……」


 沈黙が訪れ、お互いに黙ってしまう。


「はぁー……」


 だが、重い沈黙を破ったのは雨鈴だった。


「要するに、二人には会話が足りないのよ」


「え?」


「お互いが思い合っているのに、それがすれ違っているの」


「それは……」


 どういう意味なのだろうかと夕明は首を傾げる。


「ちょっと、殿下、来て下さる?」


「え、あ……わっ……」


 雨鈴は成蓮の腕を取り、無理矢理に立たせて、外へと引っ張って行ってしまった。



・・・・・・・・・・・・・・



 正直に言うと雨鈴ほど怖いもの知らずで、真っすぐに意見をしてくる人間は中々いないだろうと成蓮は密かに思っている。

 そんな人物に無理矢理立たされて、外へと出されてしまった。あまりの素早さに、何かを言う事も出来ずにされるがままだ。


 夕明に話を聞かれないようにしているのか、雨鈴は家の中にいる夕明の方を気にしながら、話を切り出した。


「いいですか、殿下」


 雨鈴にはたまにしか会わないが、これほどまでに威圧的な態度を取られたのは初めてなので、思わずたじろいでしまう。


「あなたが夕明のことを大事に思っておられるのは見ていて分かります」


「……」


「夕明だって同じです。あれ程までに……命をかけてまで、誰かに仕えているのはあたしが見てきた中で初めてなんですよ」


 雨鈴の表情が一瞬だけ歪んだように見えた。


「本当はあたしだって、夕明に毒見役なんてさせたくないです。何度も辞めるように言いました。でも、その度にこれが役目だからって笑うんです。あの子は自分で自分の首を縛り続けているんですよ」


 問い詰めるような物言いに成蓮は思わず黙ってしまう。


「あなたに、夕明を守る力があるなら、どうかあの子が毒見役なんてしなくてもいい環境を作って下さい。……お願いします」


 雨鈴が深々と頭を下げる。そして、再び顔を上げると彼女の瞳は何故か潤んでいるように見えた。


「……あたしはもう、帰ります。あとは二人で話し合って下さい」


「……あぁ」


 そのまま背を向ける雨鈴が一瞬だけ止まり、こちらを振り返る。


「それともう一つだけ。……月が綺麗に見える夜に、ここをこっそりと訪ねてみるといいですよ。……そうすれば、あの子の役目に対する覚悟がどれ程のものか分かりますから」


「え?」


 だが、聞き返そうにも雨鈴はさっさと池の桟橋がある方へと歩いて行ってしまう。声をかけられないまま、成蓮は夕明が待つ家の中へと戻るしかなかった。



・・・・・・・・・・・・・・



 雨鈴が成蓮を連れて行ってしまったため、何を話しているのか分からない。


「……」


 一人で待っていると程なくしてから、成蓮が帰ってきた。


「あ……」


「雨鈴殿なら、先に帰られた。……あとは二人で話せ、と」


「そう、ですか……」


 何と言うかかなり気まずい状況だ。先程までは雨鈴が居てくれたおかげで雰囲気は悪くならずに済んだが、これ以上何を話せばいいのかも分からないため、切り出し方に迷ってしまう。


「えっと、お茶……淹れなおしますね」


「あぁ」


 風炉(ふろ)団扇(うちわ)で仰いで、お湯を沸かしている間に、新しい茶葉の準備を始める。無言の状態が続く中、最初に口を開いたのは成蓮だった。


「……私は帝位には興味はない」


「……」


「だが、自分を支えてくれている者達の生活がかかっている以上、この争いに負けるわけにはいかないんだ」


 振り返ると、苦渋の決断でもしているような顔の成蓮がいた。


「まだ、はっきりと決めているわけではないが……。少し、考えがある」


 その言葉に夕明は思わず、成蓮の方を振り返る。思い詰めたような表情ではないが、まだ話すことが出来ないと言っているように頷いた。


「上手くいくとは限らないが、それでも……絶対に夕明殿を守る」


 何を考えているのかは聞くことは出来ない。だが、成蓮が望むなら、自分はただ頷くだけだ。夕明の返事に成蓮は少しだけ微笑を浮かべていた。


     

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