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空しい噂

 

 自分についての悪口が噂されていると聞いたのは宴が終わってから二日後のことだった。擦り傷をたくさん作った不機嫌顔の雨鈴(うりん)が水蓮宮を訪ねて来たことで、その情報を知った。


「……それで、怒った雨鈴ちゃんが他の宮妓(きゅうぎ)の人と喧嘩したってこと?」


 擦り傷によく効く薬草を細かく刻み、混ぜて作った塗り薬を雨鈴の腕や足に塗っている夕明はどうしようもない表情で深く溜息を吐いた。


「痛っ……。ちょっと、この薬、凄く沁みるんだけれど」


「良く効く、母さん直伝の薬なの。……それで、私のことを何て言っていたの?」


「……あんたの一族って、皇族の毒見役を代々、やっているでしょ」


「うん」


「まずは、歴史を遡るように一族の話が延々と続いていたんだけれど……。そうしたら、誰かが斉一族に触れると毒が移るなんて言い出したのよ!?」


「……」


 雨鈴は怒り任せに台に拳を思い切り置いた。


「夕明のこと、ちゃんと知りもしないくせに……! 挙句の果てには、惚れ薬でも使って、成蓮殿下の傍にいるんじゃないかって言っていたのよ!? 本っ当に殿下達に見初められたいからって、頭がお花畑な奴ばっかり!」


 何度も台を叩き始める雨鈴の表情は今まで見た中で一番、怒りに満ちていた。彼女は自分のために怒り、そして傷を作ったのだ。

 数日もすれば消える傷とはいえ、目に見えるところに傷があるため、申し訳なく思ってしまう。


「……怒ってくれてありがとう、雨鈴ちゃん。でも、私……気にしていないから」


 無理矢理に笑みを作り、台を叩き続ける雨鈴の拳をそっと止める。


「確かに今の時代に私のことも、斉家のことも、ちゃんと理解してくれている人はあまりいないと思う。でも、私は雨鈴ちゃんが私のことを心配してくれただけで、十分だから」


「あんたねぇ……。あんたは良くても、あたしは嫌なの! そういう性格なのは分かっているでしょ?」


 怒った顔から、困り顔へと変わった雨鈴は拍子抜けしたように深く溜息を吐く。


「自分の友人が馬鹿にされたなら怒るのが普通なの」


「そうなの?」


「そうよ。……例えばあたしが他の人から、ある事ない事言われて、馬鹿にされている話を夕明が聞いたとするでしょ? そんな時、どう感じる?」


「え? うーん……。凄く嫌だなぁって思うよ。私は雨鈴ちゃんの良い所、たくさん知っているのにって」


「そう、それよ」


 腕を組んで雨鈴は何度も頷き始める。


「だから、この怒りだけは収まらないわ。あー……また腹が立ってきた。もう一発殴りに行こうかしら……」


教坊(きょうぼう)内での喧嘩は禁止されているんでしょ? 今日だって、一日稽古に参加するのが禁止になったのに、それ以上は……」


「分かっているわよ」


 むすっとした顔のままで、雨鈴は出されたお茶をあおる様に飲み干した。一応、高ぶった気持ちを鎮める効果のあるお茶を淹れたのだが、あまり雨鈴には効いていないようだ。


「あ……。あと、その話は成蓮殿下にはしないでもらえるかな」


「……それはいいけど、どうして?」


「殿下は凄く優しい人だから……。耳に入れたら、それだけで気を遣ってきそうだもの」


 成蓮にあまり余計なことを耳に入れて、気を遣わせたくはない。


「あー……。確かに気弱そうだけれど、そんな感じだものねぇ」


「うん……」


 ただでさえ、帝位争いで気を張っているのに、成蓮にこれ以上の気苦労を与えたくはなかった。


「さて、あたしはもう行くわ。稽古は出来なくても、次の宴用の衣装の繕い物があるの」


「戻ってから、また喧嘩しないでね」


 夕明は小さめの壺に擦り傷に効く薬を入れて、雨鈴へと渡す。


「でも、あたし、気が長い方じゃないのよねぇ」


「もう……」


「冗談よ、冗談。これ以上あたしが手をあげて、あんたの評判が悪くなったら意味がないもの。……じゃあ、薬、ありがとうね」


「無理しないでね……」


 手を軽く振りながら、池の桟橋へと向かう雨鈴を見送り、夕明は椅子へと深く腰掛けた。


「……はぁー……。斉一族に触れると毒が移る、かぁ……」


 本当はかなり落ち込む言葉だった。だが、雨鈴がいる手前、気丈にしなくてはと思い、笑顔を装った。


 自分が体内へと入れた毒が他人に触れただけで移ることは決してない。だが、そのような噂が流れてしまっていることが、少しだけ空しくも感じた。

 やはり、毒の効かない斉一族というだけで、あまりよくは思われていないのだろう。


「……成蓮殿下……」


 迷惑はかけてはいけないと分かっているのに、何故か彼に慰められたいと思ってしまった。弱くなってしまったのか、気が付くと目頭が熱くなっていた。


「あれ……。おかしい、な……」


 空しくは思っても、それが悔しいとか、悲しいとか思うことはなかったのに、どうして今はこれ程までに胸の奥が痛むのか。


 涙をぽろぽろと落としながら、夕明は気丈になろうと深く息を吐いて気持ちを落ち着かせる。夕食の時間まで、まだ少し時間はある。それまでに赤くなってしまった目を冷やした方がいいだろう。


 誰もいない水蓮宮。その痛みを分かち合う者は、もうここにはいないのだ。

 

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