謙遜と批判
廊下の曲がり角を曲がった先で人の声が多く聞こえるようになった。
「わぁ……。宮殿の中で仕事をしている人が皆、ここに集まっているんですね」
思わず声を上げると前方を歩いていた成蓮が少しだけ振り返る。
「全員、というわけではないが、仕事の合間を見つけた女官や官吏達も後ろの方に陣取っているらしい」
「賑やかですね~」
陽空殿の前の広場に作られた宴用の舞台前には、帝及び皇族である者、そして帝の妃達の席が設けられており、女人を隠すための垂れ幕も張られていた。
その後ろには臣下用の席が作られており、それぞれに料理が置かれる卓がこれまた多く並べられている。
雲が無い程、良く晴れているため、宴に出る者も宴を準備していた者もやはり嬉しそうに見えるが、もし雨天だった場合は、陽空殿の中にある一番大きい広間を使わなければならなかっただろう。
いくら大広間とは言え、雨天だったならばこの人数は入り切れなかったかもしれない。
まだ、帝や他の皇族は来ていないようだ。皇族の者とそれに直接仕える者しか通ることが許されない、作られた布の道を夕明は緊張しながら歩く。
そういえば、雨鈴の出番は何番目くらいだろうか。練習で忙しいのか、ここ最近は会っていないため、聞きそびれていた。
蒼信に勧められて、夕明達は舞台から斜めの端に陣取られている卓へと向かった。卓の周りには垂れ幕が立てられており、成蓮と夕明の姿が後ろから見えないように囲まれていた。
卓にはすでに多くの料理が運ばれてきており、普段、成蓮が食べているものよりも豪華に見える。
「わ……。これ、全部を毒見するんですか。それだけで、お腹いっぱいになってしまいそうですね」
「……いや、さすがに全ての料理は食べきれないぞ?」
「事前に料理の品数は少なめにお願いしますと料理長にお伝えしたんですけれどねぇ」
卓に用意されているのは二席だ。目配せすると、桃仙は軽く頷く。どうやら、一席は自分が座るものらしく、蒼信と桃仙は席に座った夕明達の後ろへと立った。
「おや……。理桂殿下と柳邦殿下も来たようですね」
「……」
ふっと、成蓮の顔色が悪くなる。夕明は首を伸び上がるようにしながら、蒼信の視線の先を追う。
この卓からかなり離れた遠くの卓に、理桂と柳邦は陣取っているらしく、お互いに離れた場所へと席に着いたようだ。
「あの方が理桂太子殿下……」
「あぁ、夕明殿は理桂兄上を見るのは初めてか」
少しだけ表情を和らげながら、成蓮がこちらを見る。
「はい。でも、遠目だったので、お顔までははっきりと見えなかったんですけれど」
「そうか。……私もあとで、一言くらい季節の挨拶と祝いの言葉を言いに行った方がいいかもしれないな……」
「理桂殿下と仲が悪いのですか?」
「悪いというよりも……。まぁ、私が不出来過ぎる弟だから、呆れられているのかもしれない。挨拶をしても、話が長く続くような方ではないし」
「理桂殿下はかなり真面目な方ですからねぇ。愛想笑いなどもしませんし」
「それゆえに、愚弟の無能さが嘆かわしく思っておられるのだろう」
「まぁ、殿下ってば、ご自分の事をそのように言うものではありませんよっ」
詰め寄るように夕明は顔を成蓮へと近づける。
「殿下はとてもご立派です。殿下は先日、この光明節のためにお仕事をなされていましたよね?」
「え? あ、あぁ……」
「光明節が無事に迎えられたのは殿下のお仕事が上手くいったからです。でなければ、どこかに支障が出ているはずですよね?」
問い詰めるような夕明の物言いに、成蓮は慌てた様子で仰け反る。
「謙遜することは良いことです。ですが、殿下には政をする十分なお力が備わっているのでは? あまり、ご自分を批判してばかりではいけません。それに周りの者だって気を遣わなくてはいけなくなります」
「……」
「私は殿下をとても良い方だと思っています。それは主としてだけではなく、人として、そして親王というご身分においてです。ですから、あまりそのようにご自分を責めないで下さいませ。……傍に居る者が悲しくなってしまいます」
だが、夕明はそこではっと我に返る。
「あっ……私、殿下に……。もっ、申し訳ありませんっ!」
失言してしまったと言わんばかりに夕明は慌てふためき、素早く立ち上がって、顔を赤らめつつ頭を深く下げる。
その一方で成蓮はぽかりと口を開けたまま、目を丸くしていた。
「……えっと、殿下?」
何も発言しない成蓮を不思議に思い、夕明は顔を少しだけ上げて首を傾げる。
「あっ……。い、いや。こちらこそすまない。……まさか、夕明殿が自分のことをそのように評価してくれているとは知らなかったから……」
ちらりと蒼信達の方を見ると彼らは何故か面白いものを見たと言わんばかりに口元を手で覆って何かを抑えていた。
「……とりあえず、座ってくれ、夕明殿」
「あ、はい」
再び椅子に座り直して、成蓮に向き合う。
「……あの、本当に出過ぎたようなことを……」
「いや、そんな事はない。……でも、そうか。私は……ちゃんと、やれていたんだな」
どこか納得するような落ち着いた物言いだった。
「……夕明殿にそのように言って貰えて嬉しく思うし、私は少しだけ自分に対して自信が付いた気がするよ」
穏やかに、彼は柔らかい表情をした。怒っているわけではなく、本当に嬉しそうにそう言ったのだ。
「でも、悲しい、か。……自分で自分を貶めるような言葉は、周りの人間の気分を害してしまうものだったんだな」
「……害された、という程までではありません。ただ……自分にとって大事な人が、自分自身で傷つけてしまっていたら、こちらからは守ることは出来ないじゃないですか」
「そういうものなのか」
「……上手くは言えないですけど、私は……殿下には傷付いて欲しくないですから」
全て、本音だ。彼が傷つかなくて済むように自分はここにいるのだから。
「……ありがとう、夕明殿。──それと、蒼信と桃仙もありがとう」
突然、お礼を言われた三人は目をぱちくりと瞬きさせて、顔を見合わせる。
「あまり、自分に自信が持てない主だが、これからも宜しく頼むよ」
ふっと、笑みを見せる成蓮の顔は少しだけ、肩の荷が下りたような、そんな雲間が晴れた表情をしていた。
「……今更ですよ、殿下」
溜息を吐きつつも、仕方がないと言わんばかりの表情で蒼信は笑っていた。
「そうですよ。お礼を言われなくても、私達は勝手に殿下を心配しますし、勝手に殿下を守ります。それが我々の務めですからね」
蒼信の言葉に同意するように桃仙も何度も頷いている。
「ほら、そろそろ陛下が来られますから、前を向いていてください」
蒼信に促されて夕明と成蓮は同時に前を向きつつ、そっと顔を見合わせて、そして小さく噴き出すように笑みを漏らした。