宴の支度
光明節の宴の日。
この日はさすがに普段着で成蓮の隣に立つことは出来ないため、夕明は先程から小雪殿の侍女達の手によって宴用の衣装に着替えさせられていた。
どの侍女も、二十代後半くらいで落ち着きのある者達ばかりだ。侍女というものはよく喋るものだと想像していたが、やはり彼女達の主である成蓮が大人しく優しい人柄の影響もあるのだろうか。
「……お待たせ致しました」
か細い程の声に夕明は我に返る。目の前に置かれた縦長い鏡の中には、柑子色の上着に若草色の帯が締められ、肩には杏子色の領巾がかけられていた自分の姿が映っていた。
更に綺麗に結われた髪は後ろで一つに丸くまとめられ、蓮の形をした簪が挿されていた。
「わっ……。嬉しい……」
思わず本音が出ると、支度を手伝ってくれた侍女達は穏やかに笑った。
「私、蓮の花が一番好きなんです。……支度を手伝って下さって、ありがとうございます」
深々と侍女二人に頭を下げると少し驚いた表情をしつつも、首を振った。
「喜んで頂けて、嬉しいですわ」
「私どもは宴の席には出られませんので、どうか殿下のことを宜しくお願いしますね」
姉のような雰囲気を持つ侍女二人に夕明は笑顔を綻ばせる。
「はい、お任せ下さい」
再び二人に頭を下げてから、部屋を出た。
「……終わったか?」
戸の隣にはいつのまにか宴用の衣装を着た成蓮が立っていた。藍色の上着に紺色の帯を締めており、腰にはあまり目立たない装飾が施された剣を下げている。
「はい、お待たせ致しました」
「……いつもと違う夕明殿みたいだ」
何故か難しいことを考えているような表情で成蓮は呟く。
「そうですか? ……あまり綺麗な衣は着慣れていないので、汚さないように動くのが難しいです」
袖をぱたぱたと振りつつ、くるりと回転して見せる。やはり、普段よりも上質な衣は動きにくいように思われる。
「そこまで気負わなくても大丈夫だと思うが……」
そこへ蒼信が少し駆け足で寄って来る。
「あぁ、支度が終わりましたか」
「席の準備は終わっているのか?」
「はい。……出来るだけ、一番端に近い席をお取りしました」
周囲に自分達以外の人間はいないが、小声で蒼信は答える。揉め事は少ない方が良いと考えた成蓮は柳邦の席から一番遠いが、少しだけ舞台が見えにくい場所に席を取ったらしい。
「ありがとう。……では、夕明殿、行こうか」
「あ、はいっ」
成蓮の宴の席に同伴するのは自分と蒼信、そして女人でありながら、武道に長けている蒼信の妹である桃仙を侍女姿に変えて連れていくらしい。
蒼信の後ろには成蓮よりも少し背の高い女人が引き締まった顔立ちで立っている。彼女が桃仙なのだろう。
夕明と視線が重なると彼女は口元を少しだけ緩めて、微笑を浮かべてくれたため、それに返すように微笑んだ。
……私も、殿下に仕える身なら、武術を本格的に習った方がいいのかな。
そうすれば、いざという時に成蓮を守ることが出来る。自分が出来るのは護身術程度のものなので、武人が相手では到底敵わないだろう。
「陛下を前にした宴の席ですからね。大事は起きないとは思いますが……念のために用心して下さい」
「分かっている。……陛下のご容態は?」
「今日は気分がいいそうです。……まぁ、お近づきすることは出来ないでしょうね」
「また張妃が張り付いているのか。……理桂兄上に譲られると良いのだが……」
大切な話をしているようなので、夕明は一歩、後ろから歩くことにした。
長い廊下をいくつも渡るが、やはり宮殿の中心に位置する陽空殿は壁や柱の装飾が豪華で煌びやかに見える。
「夕明様はあまり宮殿の方にはお出でになられないのでしたね」
斜め前に歩いていたはずの桃仙がいつの間にか隣にいた。
「あ、はい。……水蓮宮から出ることの方が珍しいですから。……でも、凄いですね。同じ宮殿内にあるとは思えないくらいに広くて……眩しいです」
歳の頃合いは十七、八歳くらいに見える桃仙は蒼信に似た目元をふっと、和らげた。
「夕明様の話は兄から聞いております。いつも兄の小言に付き合って下さり、ありがとうございます」
「い、いえっ! 私の元に訪ねてくる人は少ないですし、蒼信さんのお話を聞くのも好きです。あっ、宜しければ、今度はご兄妹でいらっしゃって下さい。たくさん、おもてなししますから」
「ふふっ。ありがとうございます」
武術をしているなら、何となく寡黙な人なのだろうかと想像していたが、思っていたより年頃の女人らしく、言葉遣いや動作の一つ一つが洗練されているように見えた。
「でも、良かった……」
「え?」
「成蓮殿下には表立った味方が少ないんです。我々、推家は元々が殿下のお母上であられる登后様の御実家に仕えていますが他には……。見て分かる範囲の味方しかいないのです」
「……」
「なので、夕明様が殿下の味方になって下さって、とても嬉しかったんです。あ、別に毒見役だから、というわけだけではなく、ただ単純に……」
そう言って、桃仙はどこかほっとしたような表情で目の前を歩いている成蓮と蒼信を見つめる。
「前に比べたら、殿下の表情が柔らかくなっているように見えるんです。……きっと、夕明様のおかげです」
「そ、そんな……。 私はただ……ただの、毒見役ですし……」
それ以外には何もしていない。むしろ、成蓮から温かい気持ちをたくさん貰ってしまっているくらいだ。
慌てるように右手を必死に横に振る夕明を見て、桃仙は小さく笑った。
「でも、本当の事なんです。今まではずっと糸が張り詰めたような空気が漂ってばかりで……。私、いつかこの糸が切れてしまったら、殿下の心身にも影響してしまうのではないかって、心配していたんです」
確かに会ったばかりの頃の成蓮は顔が強張っているように見えた。それでも、他人を気遣う心は変わらなかったようだ。
「兄も少しだけ肩の力が抜けたのか、よく笑うようになりました。そういえば、いつも夕明様が兄に胃薬を調合して下さっていましたね。あの薬、凄く効くので兄が推家に持って帰ると皆が勝手に持っていってしまう程、人気なんですよ?」
「そうだったんですね……。え、推家の皆さん、そんなに胃が悪いんですか?」
「お役目柄、そうですね」
「では、人数を教えてください。今度、蒼信さんがいらっしゃった時に、他の皆さんの分もお作りして渡しておきますから」
夕明がそう答えると驚いたように桃仙の瞳が丸くなる。
「……やはり、兄の話に聞いた通り、お優しいのですね。気にしていただいて、ありがとうございます。皆、きっと喜びますよ。夕明様の薬、町医者が調合するものより効きますから」
「それは買い被り過ぎですよ」
冗談を言い合う年頃の少女達のように二人は一緒に噴き出した。雨鈴以外の年頃の女人とここまで仲良く話せるのは初めてだ。
いつもよりも華が咲いたような雰囲気に、普通の女の子の気持ちとはこんなものだろうかとふと思っていた。




