御茶の時間
光明節が近づくに連れて、官吏や女官達の様子に切羽詰まってきている者もいれば、浮足立っている者も目に見て分かるように増え始めていた。
夕明は両手に薬学の書と手作りの菓子を詰めた小袋、そして作った茶葉を缶に入れたものを持って、小雪殿へと向かっていた。
昼食を食べ終えた昼下がり、一度、水蓮宮に戻り、菓子を作ってきたのだが成蓮に食べてもらえるだろうか。
成蓮にも光明節の仕事が多く回ってきているらしく、とても忙しいため、水蓮宮に訪れたくてもそんな暇が無いのだと蒼信が軽く溜息を吐いていた。
その理由は兄である柳邦が持つ仕事分を全て成蓮に回してきているからだと恨みがましく言っていた。その一方で、柳邦は日に日に狩りや小さな宴を催しては、遊び三昧の毎日を送っているらしい。
すっかり顔見知りになった小雪殿に控えている番兵や侍女達に軽く挨拶をして、夕明は成蓮のいる部屋へと向かう。
「おや、夕明様」
廊下の曲がり角で蒼信と鉢合わせする。彼の両腕にはたくさんの書簡が積まれていた。
「蒼信さん。今、殿下はいらっしゃいますか? 休憩にと思って、お茶菓子と茶葉を持ってきたのですが」
「それは有難いですねぇ。殿下はああ見えて、頑固者でして。休憩をとればいいのに、中々取って下さらないのですよ。夕明様がお茶に誘って下されば、丁度いい休憩になりますよ」
茶器を用意してくるから、先に部屋に入っておいてほしいと蒼信に言われた夕明は一声掛けてから、成蓮の部屋へと入る。
「……夕明殿?」
どうしてここにいるんだと言わんばかりの表情で彼は瞳を丸くする。
「お茶、ご一緒してくれませんか? お茶菓子を作ってきたんです」
有無を言わせずに夕明はにこりと笑い、成蓮が執務をしている机とは別の机に包んでいたお茶菓子を広げる。
「豆を砕いたものに小麦と干し杏を混ぜて、固めたものを焼いているんです。……仕事の能率を上げるなら、甘い物と休憩が一番ですよ」
「……ふっ」
成蓮がどこか観念したように短く笑って、頷いた。
「そうだな。少し、根を詰めすぎたようだ」
成蓮は立ち上がり、夕明が作ってきたお茶菓子を興味深そうに覗いてくる。
「今、蒼信さんが茶器を持って来てくれるらしいので、三人揃ってからお茶にしましょう。今日のお茶は桂花茶なんですよ。それに緑茶の葉を調合してみました。お菓子に合うと思います」
「夕明殿は本当に何でも出来るんだな」
感心しつつ、椅子を三つ引きずる様に成蓮が並べてくれる。
「茶葉作りは薬作りの延長線みたいなものですし、趣味の範囲を出ませんから、味の保証は出来ませんよ?」
悪戯っぽく笑うと、それにつられるように成蓮も笑った。元々はよく笑う人なのだろう。ただ、現状がそうさせてはくれないほど、緊迫しているだけで。
「あぁ、やっと机から引きはがせたようで何よりです」
蒼信が盆に三人分の茶器を載せて、部屋の中へと入って来る。
「蒼信にも心配かけたな。本当にあと少しで仕事が終わりそうだったから、きりの良いところまでやろうと思っていたんだ」
「その台詞は何度もお聞きしましたよ」
蒼信から茶器を受け取り、夕明は手際よく持ってきた茶葉で、お茶の準備を進めていく。
「私共が言っても聞かないくせに、夕明様には耳を貸すんですから」
「それは……。何故だろうな。夕明殿に言われると、すんなりと聞き入れられるんだ」
「それなら、普段から夕明様に殿下の傍に居て貰いたいくらいですね」
「ふふっ。私で宜しければ、殿下のお世話くらい致しますよ」
「まさか。冗談ですよ。毒見役は別として、公主の身分であるあなた様に、人のお世話をさせるわけにはいきませんからね」
「えっ?」
そこに、場違いなほど間抜けな声が響く。
「どうしましたか?」
三人分のお茶を淹れ終わった夕明は、碗をそれぞれの目の前に置きつつ、椅子に座る。
「蒼信、今……夕明殿を公主、と……?」
「おや、殿下にはお伝えしませんでしたか? 夕明様は三代前の帝の時世の親王様のひ孫に位置するお方なんですよ」
「そういえば、お話していませんね」
もちろん、わざと話してなかったのだ。自分にもかつての親王の血が流れていると伝えれば、色々と成蓮が気にしてしまうと分かっているからだ。
蒼信の方は首を傾げている一方で、成蓮の顔色はさっと青くなっていた。やはり、予想通りのようだ。
「なっ……。つまり、夕明殿は……時代が時代なら、公主の立場であると……」
「私の曾祖父は帝位を継いではいないので、公主とは言えないかもしれないですね。官位も返上していますし」
「殿下は御承知の事だと思っていましたよ。……水蓮宮は夕明様の曾祖父で在られた樫惟様が身分を返上し、穏やかに暮らすために建てられたもので、夕明様の御実家の斉家が管理しておられるのです」
「まぁ、斉家と言っても実質は私一人しかいませんけど」
周知の事実だと思っていたが余程、人の噂や世間話に興味が無いのか、成蓮は知らなかったようだ。この身の上話も、相当昔の話であるため、若い人は知らないだけかもしれないが。
驚いた表情のまま動かない成蓮を見て、夕明は仕方なく笑った。
「気にしないで下さい。むしろ、気にすることではないです。……私の家が生き残れたのは、官位を返上したからです。毒見役であることも、生きるための術の一つなんです」
「だがっ……ふごっ!?」
何かを言おうとする成蓮の口に夕明は焼き菓子を突っ込んだ。
「そこまで、です。せっかくお茶を淹れたのに、冷めてしまいますよ? お菓子も美味しく作れたので、たくさん食べて下さい」
そう言って、次々に成蓮の口へと菓子を詰めていく夕明を蒼信はどこか意外そうな表情で眺めていた。
「夕明様は思っていたよりも、押しが強いのですねぇ。……あ、この焼き菓子、美味しいです」
「それなら、良かったです。ほら、殿下。もっといっぱい食べて下さい! 自信作なんですから」
「夕め……。んぐっ……もぐ……」
更に焼き菓子を無理矢理に頬張らせられる成蓮は小動物のように頬をいっぱいにしていた。