守りたいもの
夕食の際に、毒が入っていたのは「せりと卵の汁物」だった。中に入っていたものは、せりではなく食べれば嘔吐や筋肉が痙攣を起こし、死に至る程の致死量を持っている「毒ぜり」だった。
見た目は似ているが、毒ぜりは葉柄が長い上に、せり独特の匂いはしない。料理に関して素人じゃなければ分かるものなので、やはりわざと毒として入れているのだろう。
その証拠に、細かく刻んで汁物の中に上手く隠しているようだが、自分の舌は見逃さなかった。
「……よくもまぁ、手の込んだやり方で毒を盛らせようとしてきますねぇ」
食器を片付けながら蒼信は大きな溜息を漏らす。
「よほど、私の事が目障りなのだろう。……夕明殿、体調は大丈夫か?」
「はい、平気です」
毒を食べた夕明を心配そうな表情で成蓮が見てくるが、ただ笑って返事を返した。
「こちらでも調べを進めていますが、今日の毒入りの汁物も例の料理人が作っているとの報告がありました。まず、間違いはないでしょうね」
「……あとは誰がその者に命令をしているかを取り押さえられれば良いのだが、それはかえって相手を刺激してしまいそうな気がするな」
「何を仰っているのですか。犯人を取り押さえて、雇い主を吐かせることが出来れば、それだけで相手を押さえる切り札にもなりますし、この国の法令に乗っ取って処罰を下せれば、それで良いのです」
「それは……分かっているのだが……」
あまり納得できないのか、成蓮は曖昧な返事をする。
今、この部屋には自分を含めて三人しかいない。そもそも、成蓮は必要以上に侍女を置かないらしく、この小雪殿は他の皇族の住まいに比べたら静かなのだろう。
耳をよく澄まさなければ聞こえない程、遠くに女達の笑い声が聞こえた。
「……夕明殿も巻き込んでしまってすまない。君のおかげで自分は助かっているわけだが、正直言って、身代わりのようなものを頼んでいるのは、心苦しいんだ」
蝋燭の炎が揺らめき、成蓮の後ろに大きな影が出来ていた。
「私は構いません。でも、殿下、あまり謝り過ぎると嫌味のようになってしまいますよ?」
冗談交じりにそう言うと成蓮は案の定、目を丸くして、そして小さく噴き出した。
「そうか、ならば言い方を変えよう。……今日もありがとう、夕明殿」
黒曜石のようにも見える瞳は蝋燭の灯りの下で、穏やかに細められていた。
その時ふと、思ったのだ。この優しく儚げな笑顔を守ることが出来るのならば、自分は何度でも盾になりたい、と。
「……私もお役に立てて、嬉しいですから」
それだけ答えて、夕明は立ち上がる。
「もう、帰るのか?」
「はい。知り合いから薬を頼まれているので、それをお届けしにいこうかと。……また、明日の朝にこちらに伺います」
成蓮はどこか残念そうな表情をしていたが、すぐにゆっくりと頷いた。
一瞬だったが、蒼信と視線が重なる。彼はこの後、夕明が厨房へ行くことを知っているからだろう、少し緊張した面持ちで深く頷いていた。
「では、失礼します」
頭を下げつつ、後ろへ下がり、扉を閉める。季節が夏に向けて進んでいるため、夕方とは言え、日は長かった。だが、廊下の壁に掛けられている燭台にはすでに火が灯っていた。
たまに女官とすれ違うくらいで、人気はほとんどない廊下を黙々と夕明は歩く。
厨房に着いた夕明は顔見知りである湖琴を探すが、その姿はなかった。
その場にいた別の下女に聞くと、食材の買い付けの手伝いで、つい先ほど宮殿を出たと言われたため、福という人に風邪薬を作って持ってきたので、渡しておいて欲しいと言づけておいた。
厨房には下女しかおらず、男の料理人はいない。知り合いではない人に今日の料理は誰が作ったかと訊ねるのは怪しく思われるだろうと思い、夕明は仕方なく踵を返すしかなかった。




