王国へ
「すまない、シュヴィ」
「言い負かされたんですね、おじさま」
私が家に帰った瞬間、おじさまは頭を下げてきた。見事にメブさんの予想は的中したわけだ。
「メブさんから伝言です。口裏はこっちで合わせるって言ってました」
「はは、あいつには迷惑ばかりかけてしまう」
「一年なんて誤差だとも言ってました」
「...相変わらずの男気だな、あいつ」
「それじゃあ私は自分の荷物をまとめてきます」
「ああ、そうしといてくれ」
「...バルザ様、本当にその子供を連れていくのですか」
声のしたほうを見ると、早朝に来た王国騎士団の人がリビングの椅子に座っていた。
...今さら気づいたことだけど、この人、結構若い。
透明感があって肩にまで滑り落ちているクリーム色の髪、
素人の人が見たら華奢にしか見えないその体、
あどけないと言うには低すぎるが、それでも少年のような真っ直ぐさを秘めている若々しいはっきりとした声、そして世界をキラキラと映し出している透き通った青い瞳。
多分貴族の出身だ、それもかなり格上の。
年齢は恐らく、大人として世間に認識される十五歳前後...十七歳、多分そのあたりかな?
...推察終了、意識浮上、その間は約二秒。
意識を浮上させ、最初に目に飛び込んできたのは私のことをじっと見つめる青年の姿。
こうやってじっくり観ると、本当に透き通った瞳だと少し場違いなことを考えてしまう。
一度、青年は目を閉じる。再び開いた瞳には確固たる意志を滲ませていて、その真っ直ぐな瞳で彼はおじさまを睨み付けた。
「......私は、安全のためにも、この子を村に預けるのが最善だと思います」
「さっきも言ったはずだ。こいつは連れていく。安全が確保できなくても問題はない」
「問題がないって、平民の子供じゃないですか! いくら治安の良い王国だからと言って身分の低い者を蔑む貴族がいないわけではないんですよ!?」
「なにか勘違いしてるようだな。こいつはとうの昔に貴族の理不尽を経験している。そして、こいつはそれに耐えられるだけの強さを持っている」
「っ、だとしても、この子を危険に近づけさせるわけには」
「残念ながら、こいつの望みだ。俺も最初はこの村で平穏に暮らしてもらうつもりだったんだが...こいつは一年後には学園での寮生活だ。俺が生きているうちに色々と経験を積ませた方がいい。」
「こんな無茶なことさせなくても経験を積ませる方法などいくらでも」
「王国に見つからなければそのつもりだったんだがな」
おじさまはそう言って深くため息をつく。青年はその言葉に一瞬怯んだ様子であったが、すぐに体勢を立て直して再びおじさまに詰め寄った。
「そもそもと言えばバルザ様が勝手に居なくなったのが悪いじゃないですか!」
「退団届けはきちんと出しただろうが」
「あんな唐突な届け出は無効に決まってるじゃないですか。ましてや、騎士団で五本の指に入る実力を持つあなたを王国が手放すわけないでしょう」
「...ちっ、面倒な」
おじさまたちが言い争っている傍らで私は荷物の整理を行う。
教科書や参考書を本棚に戻して鞄を壁に引っかける。そしてタンスから私とおじさまの服を片っ端から取り出していく。
「お前、何をしている?」
ちらりと横目で伺ってみると青年が驚愕の表情を浮かべたまま固まっていた。
「王国に向かうための準備です。私の服は二、三枚あれば十分ですよね。あとは携帯食料も必要でしょうか」
私は荷物を旅人用の大きなリュックに詰め込みながら質問に答えると、青年は目に見えて慌て始める。
「ちょ、ま、まて、お前、本当に王国に行くつもりなのか?」
「おじさまが行くと決めたのですから、私はそれに着いていきます」
「遊びに行くわけじゃないんだぞ! この村には、バルザ様以外にもお前の面倒を見てくれる人がいるだろう? 君はこの村で静かに暮らした方がいい」
「私はできるかぎり、おじさまに着いていくと決めたんです。それに、私は今さら村の人たちと暮らすつもりはありません。
おじさまが言った通り、私がおじさまに着いていくと決めたんです。私がやりたいことなんです」
「本人もこう言ってるだろう。そもそも小娘一人になにをむきになっているんだお前は。こいつが死んで悲しむのは私とメブぐらいだ。王国には何の影響もあるまい」
「......そう、ですか」
騎士団の青年は席を立ち、壁に立て掛けられていた槍と盾を背負う。そして出口まで一直線に歩いてから、
「準備ができましたら、すぐに村の入り口まで来てください」
そう口にして青年はおじさまの家から出ていった。
「...シュヴィ、準備は?」
「終わりました。携帯食料と洋服ぐらいですので」
「それじゃあ、行こうか...村人たちへのお別れの言葉は?」
「必要ありません」
「私は一言必要か...いや、メブがなんとかするか」
心残りなど微塵もない私たちは最低限の荷物だけを持って居住区域とは真逆の方向にある村の入り口に向かって歩き始める。
「そういえば、おじさま、あの騎士団の人の名前、なんと言うのですか?」
「アマテ、アマテ=グリフィオール。この王国の名家の次男坊だ」
「アマテさんですね...覚えました」
名前で呼ばないと失礼ですからね。
その後、私とおじさまは終始無言のまま入り口まで歩き続けた。
「これは...とても大きな魔物ですね」
「お前、地竜車できたのか」
「かなりの長旅を覚悟していたので、まあ、四日で見つかったので地竜車の無駄遣いになってしまいましたが」
地竜車はこの世界の一部の貴族しか所有していない希少品だ。
地竜車とは文字通り、二頭の馬の代わりに一頭の地竜を用いて車体を引かせる移動手段だ。
地竜は《竜種》に属する魔物だが、一般的な竜種と違って空を飛ぶことがない。その代わりに強靭かつどんなに荒れた地形でも自在に動くことができる二本の足、十日間ぶっ通しで走ることができる無尽蔵の体力、柔な衝撃では傷一つつかない耐久性など、地に足をつける竜ならではのアドバンテージをいくつも所有している。
また、捕獲難易度や維持費などは物凄く高いものの、一度なつかせてしまえば敵からの攻撃を身を呈してでも守ろうとする忠誠心を持ち合わせているため、有象無象の兵隊たちの十倍ほどの価値を持っている。
そのため地竜及び地竜車は王族やその側近たちにとって自分の権力を示すという役割においても必要不可欠の代物となっているのだ。
...そんな代物をおじさまを探すために用いる辺り、おじさまは王国にとっては必要不可欠の人物であるらしい。
「シュヴィ、荷物を地竜車に」
「分かりました」
私は地竜車の中に入って背負っていたリュックを片隅に置く。豪華な外見とは対照的に地竜車の中はだだっ広い空間が広がっているだけだった。
ただ、床にはふかふかした厚みのある布がしかれていて意外と快適そうだ。
私がリュックの側に座るとおじさまが私の隣に、アマテさんが御者席にそれぞれ腰を降ろす。
「それじゃあ出発します」
アマテさんが手綱を一度しならせると地竜は低い雄叫びをあげて風をきりながら疾走を開始した。
後ろを振り向くと今まで暮らしていた村がみるみるうちに小さくなって消えていく。
「相当早いですね、これ」
「どんぐらいで王国に着くんだ?」
「安全をとるなら二日、休憩なしで走り続けるなら一日といったところです」
「別に無理をする必要もないよな?」
「ええ。なので今夜は野宿にする予定です」
おじさまとアマテさんは今後の予定について話しているようだ。
私は開放された車体の後方部分から外の景色を眺める。
実のところ、おじさまに連れてこられてから村の外に出るのは初めてで見るもの全てが真新しい。正確にはこことは真逆の方向にある森には行ったことがある。ただし、その森は魔物の巣窟でそこを歩くだけで息苦しくなるような魔境だった。
村では見ることができないたくさんの大樹も、その根本に咲いている小さいけれど鮮やかに咲いている花も、
森をぼんやりと照らす木漏れ日もこうやって見るととても幻想的で綺麗な光景だ。
今まで触れたことがなかった自然の壮大さに呆然としてしまう。
「そういえばシュヴィはここの景色を見るのは初めてか?」
「はい、こことは反対方向にある森には連れていってもらったりしましたが、あの森とはかなり印象が違うので」
「あの森は魔物の巣窟みたいなものだからな。この森には邪な気配がないから余計に違って見えるんだろう」
おじさまはアマテさんと今後の予定について話終えたようで私と同じように外の景色を眺め始めた。
ちらりとおじさまの表情を覗いてみると心なしかいつもより嬉しそうというかなんというか、とても満ち足りた表情をしている......気がする。
おじさまの表情はとても分かりにくい。いつも厳つい顔をしているせいからか、村人から頼られる光景は見るものの、仲良く会話を弾ませる光景を見ることはあまりない。
しかし、私がおじさまと三ヶ月暮らして分かったことだが、食事をとることが好きだったり、毎朝洗濯をするのが日課だったり、丘の上で日向ぼっこするのが好きだったりと、むしろその内面は厳つい男性像とはかなりかけ離れていたりする。
そのことに気づいている人はどのぐらいいるのだろうか。
一瞬だけ御者席に視線を向けてからそうひとりごちる。
...おじさまに命を救われて三ヶ月経ったが、私はおじさまの過去をなにも知らない。
おじさまが王国に仕えていたことも知らなかったし、王国で騎士団の団長として仲間を率いていたことも知らなかった。
ただおじさまはいつも「私には時間がない」と言いながら生きるための知恵を教えてくれたり、おじさまの使う戦い方を叩き込んでくれたりと私にとても親切にしてくれている。
けれど...おじさまは決して本音で話してくれない。おじさまの表情で分かってしまうのだ、何か隠し事をしていると。
そのせいでどうしたら、おじさまに恩返しができるのか、それが全く分からないのだ。
メブさんに対しては薬草の採取を手伝ったり、店の修復作業を行ったり、店の売り子みたいな仕事をしたりと、色々なことができた。
私が元気に成長してくれればそれで幸せだと、嘘偽りのない笑顔でそう言ってくれた。
だから私はメブさんの役に立てているという実感を持つことができた。
けれどおじさまに対しては優しさを享受しているだけで、なにも贈り物をしていない。
どうすればおじさまは喜んでくれるのか、どうすればおじさまの役に立てるのか、それを見いだすことができないのだ。
「シュヴィ」
だから私は...この一年でおじさまに恩返しをしないといけない。
「シュヴィ」
アマテさんから王国の依頼がどういうものかを聞こう、何か手伝えることがあるかもしれない。
となると王国に行ったら準備しないと、携帯食料を用意しておいたり、武器の調達をしたり、そして...そして
「シュヴィ、人が呼び掛けているときはその方向に向きなさい」
ハッとして、おじさまの方を向くと、いつもの少し不機嫌そうな厳つい顔をしながら私を見つめていた。
「ごめんなさい、少し...ぼうっとしてました」
「まあ......日差しを浴びるのは気持ちいいからな、仕方あるまい」
そう言われてみれば、家にいるときのおじさまに比べて、幾分かリラックスしているように見える。目を細め、木漏れ日をたくさん被り、うとうとと眠りかけている。
...とりあえずこのことは王国に着いてから考えよう。
暖かな光を浴びながら、私はゆっくりと目を閉じた。