おじさま
「シュヴィ」
......おじさまの声が聞こえる。
目を開けると小さな窓からぽかぽかした光が私の瞳に差し込んでくる。
...どうやら朝になったらしい。
「おはよう、おじさまぁ」
少しだるさが残る体を無理矢理起こしながら、布団と毛布をたたんでいく。
「...ああ、おはよう」
厳めしい表情のままだったが、おじさまは小さな声で挨拶を返してくれた。
おじさまはこの村の村長をやっているみたいで村の人達がトラブルの相談に訪れる様子を何度か目撃したことがあった。
おじさまの頭はたくさんの白髪で覆われているけれど、その厳めしい顔とがっちりした体格、凛とした佇まいは、なるほど皆から村長として慕われるわけだ、そう納得できるぐらいには威厳と迫力があった。
たたんだ布団と毛布を所定の位置に片付け終えると家を出てすぐのところにある井戸でおじさまと一緒に顔を洗う。
今は春でぽかぽかしているから冷たい水は心地よく、眠気もきれいサッパリ吹き飛ばしてくれた。
少しだけザラついているタオルで顔を拭いたらそれを洗濯かごのなかにいれ、朝食を食べに食卓へと向かう。
机の上にはかご一杯に詰め込まれたパンと村の人からの差し入れと思われる果物が一口サイズにカットされて大きな木製の盆に盛られていた。
私より先に起きて起こしてくれたおじさまだけど、先に席に座るのはいつも私だった。
顔を洗って髭を整えるのに時間がかかってしまうらしい。
今日も私が座ってから五分ほどたったあとにおじさまは席についた。
「それじゃあ、いただこうか」
「はい、おじさま!」
「神々と命の恵みに感謝を込めて...」
「おじさまと村の皆に感謝を込めて...」
「「いただきます」」
私はかごのなかのパンを手にとってちびちびと小さく千切ってから口のなかに入れていく。
ふかふかと柔らかい感触が口のなかで広がっていく。
おじさまはすごい勢いで食べ物を口に運んでおり、もうすでにパンを一つ食べ終えてしまっていた。
「相変わらず食べるのが早いですね」
「ああ...昔は短時間でたくさんの量を食べなきゃならんかったからな」
食べ物を味わわないのは失礼か、そう呟いているけれど多分この癖は治らないんだろうなと私は思う。
なんだかんだいってバクバクとがっついているときの方がおじさまは美味しそうに食事を食べているから。
パンを一つ胃のなかに納めた私は、みずみずしくて丸っこい紫色の果実を口のなかに放り込む。
プチプチとした食感がなんだか少し面白かった。
「そういえば」
かごのなかのパンを食べながらおじさまは言った。
「なにやらうなされていたみたいだが悪い夢でも見ていたのか?」
「いいえ、むしろいい夢を見ていたと思います」
「いい夢を見ながらうなされるものか?」
おじさまはもう随分と高齢のはずなのにそのしゃべり方は若者の男性のものだ。しかも違和感がない。
「...まあ、悪い夢を見ていないならそれでいい」
そういうとおじさまは盆のうえの果物に手を出し始める。そのときには既に私は食事を終えていた。
その様子におじさまは顔をしかめる。
「...もっと食べないと大きくならんぞ」
「栄養は溜め込んでるので大丈夫です」
それを聞いたおじさまは大きなため息をついてから赤い皮がついた果物を口に放り込む。
おじさまと暮らして早三ヶ月、毎日のようにその言葉を聞いていた。
しかしながら、私は少食でも大丈夫なように体が出来上がってしまっている。
...まあ、実のところ食べようと思えばもっと食べることはできるのだけど。
「健康第一をうたっているお前さんが少食でどうする?」
「健康第一だからこそ過剰摂取はしないんですよ」
むしろおじさまが食べすぎなだけだと思う。おじさまの食べる量と比べられるのは困るのだ。
しかし食事を終えたからといって先に席を立つのは失礼だ。
なので私はしばらくの間、リビングの窓から晴天の空をしげしげと眺めていた。
「...いい天気ですね」
「ああ、そうだな」
晴天のもとで鳥たちが歌い、草木は風に揺れ、様々な色の花が咲き乱れている。絶好のピクニック日和だ。
...もっとも私もおじさまもピクニックへの興味など少しも持ち合わせてないのだけれど。
「...今日も...訓練はするのか?」
「はい、そのつもりです」
ぼんやりしている間に、おじさまも食事を終えたようで口元を袖で拭いながら尋ねてくる。
訓練とは、まあ、そのままの意味だ。自分の身を守るための技術、
それを身に付けるための訓練。
「...今日ぐらいは休んだらどうだ、オーバーワークはむしろ体に悪影響を及ぼすぞ?」
「でも...それじゃあ時間が足りなくなっちゃいますよ?
あと一年ぐらいしかないじゃないですか」
「...」
そう、私には時間がない。私の今の年齢は9歳。10歳から私はこの村から遠く離れた場所にある学園で寮生活をすることになっている。だからあと一年しか私はこの村に住めないし、おじさまの教えを受けることができない。だからこそ、私はこの一年は全力を尽くすと決めているのだ。命を救ってくれた恩人との貴重な一年を。
「......ん?」
突然ドアをノックする音が耳に飛び込んできた。少し荒々しい感じで三回。今までに聞いたことのないノックの仕方だ。
「...王国騎士団? なぜここに...」
おじさまにはドアについた小窓から誰がノックをしているのか見えているらしい。
残念ながら私の小さな体では小窓から外の様子を確認するのは不可能だった。
おじさまはスタスタとドアの前に歩いていきゆっくりと家のドアを開けた。
「...私に何のようだ」
「やっと見つけましたよバルザ様! さあ、私と一緒に王国に戻りましょう!!!」
それを聞いたおじさまは苦虫を噛み潰したような顔をする。一方の私は騎士団の人の言葉に目を見張った。おじさまがただ者じゃないことは一緒に訓練をしている私には嫌というほど分かっていたけれど、まさかこの国最大の騎士団に身を置いていたとは夢にも思わなかった。
「......生憎だが私は王国には戻らんぞ」
「な、なぜですか!? 我が国の騎士団にはバルザ様の力が必要なのです!! バルザ様は今までの待遇に不満をお持ちだとでも言うのですか!?」
「待遇など関係ない。私はただ残りの人生は静かに暮らしたいというだけのことだ」
「っ、待ってください!!! 王国がこんな窮屈な村にまで騎士団を派遣させた理由を考えて下さい! 今の王国にはバルザ様のお力が必要不可欠なのです!」
「私は私の意思でしか動かんよ。それに私が戦場に赴いたところで大した戦力にはなるまい。今の私は騎士団の若造どもに瞬殺されてしまうほどに衰えてしまっているのだからな」
...おじさまを瞬殺できるほど強いのか王国騎士団は。
お母様と別れたあとの森で『真っ白な化け物』に襲われたときに私を助けてくれたおじさま。
五体の化け物を一人で倒してしまったおじさまは私のなかでは最強で、もっとも憧れている人だ。
そんなおじさまが瞬殺されると聞くと複雑な気持ちになってしまう。
って、関係ないこと考えちゃった。今回の問題は何でこの村に王国騎士団の人が来たのか...だよね。
おじさまに拾われてから三ヶ月、王国の関係者らしき人は一人も見かけなかった。
おじさまが教えてくれたことだけど、この村には一度も王国の人から税を徴収されたことはないらしい。
つまりそれは今まで一度も王国の人が来なかったと言うわけであって...一体どこからこの村のことを知ったのだろうか。
「...そいつは?」
色々考えていると王国の人が私の存在に気づいたようでおじさまに疑問を投げかける。
視線はこちらを向いているが体の向きはおじさまに縫い付けられたままだ。
「あー、そうだな、私の...娘、とでも言っておこうかな」
「...娘...この子の存在があなたがこの村に留まる理由ですか?」
「それもあるが、それだけではない...ああ、ちょっと待ってろ」
おじさまは顔だけをこちらに向けて私に話しかける。
「少し長話になりそうだからメブのところで勉強しといてくれ」
「分かりました」
まあ、訓練は後ででもできるのだから問題はないかな。
私はおじさまの言葉を受けて壁に貼り付けられているずっしりとしたリュックを背負う。
それから玄関で靴を履いて、王国の人の横をゆっくりと通り抜ける。
「それじゃあ、いってきます!」
返事を待たずに私は晴天の空の下、勢いよく駆け出した。