第085話 ~エックスとワイ~
イリッシュは俺の背中をさすさすしてくれている。
スープ一口でこの破壊力。戦闘力はかなり高い。
「ユーキ兄。本当に大丈夫ですか?」
まだ少しむせている俺に声をかけてくれるイリッシュはとても優しい子だ。
だがしかし、この高レヴェルの物体を何とかしなければならない。
俺の胃袋よ、持ってくれ……。
「だ、大丈夫。もう平気だ。ちなみに、イリッシュは味見したのか?」
「私は歯を磨いてしまったのでしてないです」
……。
見よう見まねで、味見無し。これほど危険な行為はない。
今後の事を考え、布石を打たねばならぬ。
パンを口に入れる。素晴らしい味だ。さすがパン屋さんのパン。
覚悟を決め、口にパンを含みながら、スープを一口飲む。
おいしいパンにスープがしみていく。
口に広がる香ばしいパンの味から、どす黒い暗黒のオーラを放つ液体の味に変わる。
涙を流しながら飲み込む。飲めた。飲めたよ母さん……。
「ユーキ兄。なぜ泣いているのですか?」
涙を流す俺に、イリッシュは戸惑いの顔をしながら聞いてくる。
そんな困った顔するなよ。大丈夫だ、俺はこいつに勝つ!
「イリッシィの手料理が嬉しくて、つい……」
これは嘘じゃない本音だ。手料理は嬉しい。嬉しいんだよ。
でもね、でも……。
イリッシュは少し涙目で、俺に抱き着いてくる。
「わ、私、嬉しいです。初めてですごく不安だったの。ユーキ兄、ありがとう」
イリッシュの顔が俺のお腹の上に乗っている。
耳がピコピコ動いており、尻尾もフリフリ動いている。
嬉しい時はこんな感じで動くのか。
俺は頭をなで、話しかける。
「全部食べてしまうから、ベッドに座ってな」
「はい……」
イリッシュは静かに立ち上がり、ベッドに戻る。
ここからが本番だ。普通のパンに物体エックスのスープ。物体ワイの何か。
神よ。もし、この声が聴けるのであれば、一つ願を聞いてほしい。
俺はまだ死にたくない! 南無三!
俺は半分パンを口に入れ、スープを一気に流し込む。
そして、味が口に広がりきる前に、物体ワイを口に入れ、最後に残りのパンを口に。
ダッシュだ。かまずに流し込むんだ。感覚が捕える前に胃に流し込んでしまえ!
モグモグ
ゴクゴク
ズッキューン
ドッカーン
ゴクン
チーン
「……きて、……おきて!」
誰だ、誰かの声が聞こえる。
俺を呼んでいるのか? 俺はここだ、ここに居るぞ……。
「やっと起きた! 早くしないと遅れるよ!」
誰だ? こんなやつ知らないぞ?
「すまん。悪いが、お前は誰だ?」
目の前には和服の20代位の女性。目の前には川があり、小さな船もある。
辺りには何人か人がいるが、服装も見た目も違う。
何だこれは? ここはどこ? あなたは誰?
「私はタエ。早くしないと舟が出てしまうわ。早く行きましょう」
えっと、俺はこの舟に乗ればいいのか? 乗ったらどこに行くんだ?
「すまん、行き先はどこだ?」
「私もわからないの。でも、皆乗っているし、早くしないと遅れるわ」
典型的な日本人だな。皆行っているから、私も行く。
自分の行動は自分で考えないとね!
「俺は遠慮しておこう。ここもどこか分からんし、行き先も不明な舟に乗ることはできない」
「そうなんだ。じゃぁ、私も見送ろうかな? 次の舟もあるだろうし」
辺りを見回す。足元は砂利。河原みたいだな。
目の前には川。空は黒。
……。
そうか、あれか。
これが有名な三途の川か。
良し、帰ろう!
「タエさん?だっけ。俺は帰る。舟には乗らない」
「なんで乗らないの? 帰るってどこに?」
「俺には帰りを待ってる妹と、ちょっと変わった家族がいる。まだ舟に乗るわけにはいかない」
「そうなんだ。私はもう八十年も生きたから、そろそろいいかな。家族に迷惑かけたくないし」
タエはニコッと笑いながら俺に話す。
「なんだ。知っていたのか?」
「伊達に長く生きていないよ。せっかく勇樹を助けに来たのに、いらぬ心配だったね」
あれ?俺名前言ったか?
「俺の名、何故知っている?」
「そのうちわかるさ。さ、そろそろ帰りな。目を閉じて、思い出すんだ。強く願うんだよ……」
タエは俺を抱きしめながら話す。
どこかで聞いた名前、聞いた声。
俺の体が消えて行くのがわかる。
さよなら、タエさん。また会うことはあるのかな?
「帰ったら、愛にもよろしく伝えておくれ」
「ああ、伝えておくよ。じゃあね、ばーちゃん」
タエさんの感触が無くなり、目を開ける。
イリッシュが俺に抱き着いている。
どのくらいの時間が経過したのだろうか?
「えっと、ただいま?」
イリッシュと目が合う。なんだ、また泣いているのか?




