6.夫と一緒に里帰りしました
仮タイトルは「吞み込むよ、生国」でした。
にしても文字数にして10分の1はさすがに削りすぎたでしょうかね、短編。
リーシアがファラング王妃となって約二月、今リーシアと夫レザリオはシグルム王城の謁見の間にいる。
ここから送り出されてまだ一年も経っていない。そう考えると人生は分からないものである。
さて、リーシアとレザリオがファラング側の代表だとすると、シグルム側は王と王太子、そして王太子の婚約者という顔ぶれであった。それぞれに臣下を率いているので謁見の間はなかなかの人口密度である。
いつか見たのと同じように王太子に寄り添って、というか体を預けて王太子の婚約者が震えていた。その愛らしい顔からは血の気が引いている。
――仲睦まじいのは大変結構。
王妃の喪が明けるまで後一月、王太子とその婚約者は婚約状態を維持しなければならない。まさか自分の方が先に結婚するとは思わなかった、というのがリーシアの偽らざる本音である。
レザリオによる降伏勧告の後、声を上げたのはシグルム王太子マリオンであった。
「これは復讐か! そんなに俺たちのことが憎かったのか!」
まるで親の仇と言わんばかりに睨まれても、リーシアには心当たりがなかった。
はて、復讐とは一体何の話だろうか。
リーシアは本気で考え込んだ。そんなことを自ら言い出すくらいだから、彼はリーシアに復讐される懸念を抱いていたということか。
復讐とはつまり仕返しであり報復である。王太子に何をされたかしら、としばし考え、ああ、とリーシアは納得した。
――そう言えば婚約破棄されたのだったわ。
リーシアを鈍いと言うことなかれ。確かに彼女は王太子に婚約破棄され、二年以上も穀潰しに甘んじたが、今の彼女にとっては実際に経過した時間以上に遠い過去のことである。というよりこの一年が濃密であったと言うべきか。
「私も暇ではございませんので、三年以上も前のことをいつまでも恨みはいたしませんわ」
敵国へ嫁ぐという、婚約破棄以上の衝撃を味わったのである。恨むとしたら衝撃を上書きした方、つまり敵国へ嫁ぐよう図った者を恨むのが筋だが、その話の裏に王太子の進言があったことをリーシアは知らない。
敵国の王とともに乗り込んできた彼女を見て、マリオンは腰を抜かしそうになった。
一月半前、ファラングはシグルムへの侵攻を開始した。それゆえシグルム政府は貢物の効果が切れたのだと判断した。逆に半年ももったことが驚きであった。
王妃亡き後のシグルム政府は大きな混乱に見舞われ、情報伝達の不備が目立った。特に王妃が外交を一手に担っていた弊害として、諸外国の情報が錯綜し、何が正しく何が間違いであるかが判別できなかったのである。
リーシアがレザリオの婚約者であった半年間、多くの仕事を手伝いはしたものの、本来リーシアが得意とするはずの外交は一切任されていなかった。ファラングの警戒は当然のこと、とリーシアは受け止めていたのだが、レザリオとしてはシグルム対策としてリーシアの存在をぎりぎりまで隠しておきたかったのである。
恐らくリーシアが死んだと思われて、マリオンはそれなりにその死を悼んだ。自分の言葉が発端とは言え、母にあれだけ気に入られていたリーシアなら大丈夫だろうと、根拠のない考えを持っていたのである。死地へ追いやったつもりはなかった。
――だが王族のため、国のために生きるのが民の務めだ。そして死ぬのも。
死ぬどころかファラング王妃となってシグルムの民のためにいろいろ考えていたリーシアが聞いたら目を回しそうなことをマリオンは思った。亡き母への反発から、責任感や義務感という言葉に拒否反応を示すようになったマリオンだが、それでいて恩恵を受けるのは当然だと考えていたのである。
民が王族と国のために生きて死ぬべきだと言うのなら、王族は国と民のために生きて死ぬべきではないのか。
残念ながら、マリオンの目には都合の良いものしか映らなかった。王族としてしなければならないこと、してはならないことを押し付けられたくないと言うわりに王族だからできることは良しとする。
その考えを助長したのがリーシアとの婚約破棄であった。国のために決められた婚約者であったが、最終的にはマリオンの望み通りリーシアとの婚約は白紙に戻され、最愛の恋人ミシアと新たに婚約することができたのである。
これに一役買ったのが散々レザリオに「凡庸」と評されたシグルム王である。
彼はまさしく平凡であった。ただ人ならばいい。だが為政者としては、それも敵対国の動向が注視されるような時代に立つにはいささか力不足であった。失策をしないだけまし、と言えるかもしれない。それにしても彼の治世は彼の妻、故シグルム王妃の尽力によって大きく支えられていた。
マリオンがリーシアに劣等感を抱いていたように、王もまた王妃に劣等感を抱いていた。とは言え王妃がいなければ治世が揺らぐことも分かっていたので、険悪な仲というわけではない。ないがしかし、夫としての不満はあった。
その王から見れば年に似合わぬ落ち着きを見せる子どもであったリーシアが年々王妃の教育に染まるにつれ、苦手意識も強まっていった。息子である王太子もまた自分と同じように王妃頼りになるのだろうと同情した。そんなある日、マリオンからミシアを紹介されたのであった。
王妃がリーシアに施した王妃教育に、王妃が一手に受け持っている外交まで含まれていることを彼は知らなかった。大々的なお披露目の時まで王妃があえて伏せていた――他国で『王妃の器』の噂が流れていることにほくそ笑みながら、国内においてはもったいぶっていたようである――ということもあり、王、そしてその周囲はリーシアのことをただ王妃に気に入られている娘、としか認識していなかったのである。
王様とて男、かわいげのある嫁とかわいげのない嫁、どちらがいいかと聞かれたら思わず「ある方」と言いたくなっても仕方がない。王様としてはいただけないが、気持ちは分からないでもない。
つまるところ、王と王太子は似ているのである。その好みもまた似ているのである。
リーシアが王太子の婚約者に選ばれたのは王妃の一存であった。それを王が承認した。
ミシアが王太子の新たな婚約者に選ばれたのは王の一存であった。それを王妃は承認せざるを得なかった。
さて、話を元に戻そう。
「別にあなた方に特別な感情は抱いておりませんが」
実際リーシアの中では、婚約破棄以降、王太子とその新しい婚約者についてはどうでもいい――もとい、特に関心を払うべき相手ではなかった。そんなことよりも自分の結婚相手を探さなければならなかったし、下手に二人の話題に食いつこうものならどんな噂が流されたか分からない。むしろできるだけ関わり合いになりたくない相手であったと言ってもいい。そんな敬遠したい相手に自分から寄って行って復讐を仕掛けるなんて真似を、どうしてリーシアがしなければならないのか。
「ならばなぜこんな真似をする! 祖国を敵に売り渡すような非道な真似を」
どうやらリーシアは元婚約者のことを買い被っていたようである。いずれ王となった彼を支えるつもりでいたわけだが、もしその未来が訪れていたらリーシアは過労死したかもしれない。
――いえ、王妃様は病死であって過労死ではなかったはずだわ。
うっかり現実逃避しかけたリーシアは、隣から聞こえる忍び笑いに気を取り直した。マリオンの発言があまりにもおかしかったのだろう、レザリオがくすくすと笑っていた。
「何がおかしい!?」
「いや失礼、しかしあなたの言葉はあまりにも的外れ。彼女を責めるのは筋違いというものですよ」
普段は砕けた軽い口調で王様らしさがあまり見られないレザリオだが、もちろん一国の王として時と場所と場合はわきまえる。
リーシアとの初対面時は例外である。そもそもはシグルムの非礼に非礼で返したのだ、と後にリーシアは本人から聞いた。あの軽さがリーシアを混乱に陥れ、その常識を覆すきっかけとなったのだから、結果的には良かったということにしておこう。
「筋違いなものか。和平の証として輿入れしながらあっさりと我が国を陥れ、今にも攻め滅ぼそうとしているではないか!」
「ものは言い様ですね。単なる人質、いえ献上品でしょうか。こちらが望みもしないのにあなた方が保身のために差し出した、ね。まさか『王妃の器』を贈っていただけるとは思いもよらず、大変ありがたい贈り物でした。おかげで私の権勢は揺るがぬものとなった」
「『王妃の器』? 何の話だ」
「……本当にシグルム国内では知られていないのだな」
どこか楽しげにこちらを振り返るレザリオの顔を見て、リーシアは顔を引き攣らせた。
――ああ、怒っている。
身に覚えのない非難を受けたリーシア本人よりも夫であるレザリオの方が怒っていた。
当然ながら彼は知っている。リーシアがどれほどシグルムのために心を砕いていたか。その対象に王太子は含まれていなかったが、だからと言ってリーシアが詰られる謂われはないはずである。
個人的な復讐も、ましてや売国奴と罵られるような裏切りも、リーシアは露ほども考えたことがない。
「今は亡き王妃様が手塩にかけて育てた後継者。いずれ王妃様とともにシグルムの外交を担うはずだったリーシアのことですよ」
「なんだと?」
「王妃様は幅広い交友関係をお持ちでしたね。おかげでファラングはシグルムに手を出せなかった。ファラングに下った近隣国では王妃様の後継者の話で持ちきりでしたよ。特に王妃様が亡くなられた後は」
国力で勝るファラングに対抗するため、シグルムとその近隣諸国は同盟を結んでいた。一対一では勝負にならずとも、多対一ならばどうか。その同盟の要となっていたのが、顔の広い故シグルム王妃であったというわけである。一国一国を潰していったファラングは、支配下となった国の者から『王妃の器』の噂を聞いたのであった。
呆然とする王太子と、その後ろで顔色を変える王とその側近を見遣り、レザリオはにこやかに言い放った。
「言ったでしょう? リーシアを責めるのは筋違いだと。シグルムをファラングに売り渡した者がいるとするなら、それはリーシアではなくリーシアを献上したあなた方自身だ」
次話で完結です。
いくつか番外編も構想中です。旦那様視点、故王妃様視点は予定しているのですが、ミシア視点とか誰か見たいんだろうか。いや、うん、書きたいなってちょっと思ったりしているのです。