5.最終試験は一番の難題です
短編との齟齬があります。主に会話文。
なんで違うかと言うと、短編はあくまでリーシアの主観による意訳だからです。
事実はこちらです。
「さて、問題です。ファラング王妃として答えてください」
彼は見定める、と言った。
これが恐らくその最終試験なのだろう。
「シグルムをどうすべきでしょう?」
亡きシグルム王妃の教育は、既に決められた答えに最短で辿り着くやり方であった。言うなれば一から十まで決まっており、言われた通りにしていれば身に着いたのである。ただし、すべて決まっているということはすなわちすべて覚えなければならないということなので、優秀と言われるリーシアでも十年かかったわけだが。
それに対し、ファラング王がリーシアに求めたのは、目的地は決まっているけれども過程は好きにしていい、というものであった。ちゃんと辿り着けるならば、どの方法を試すのも自由だと。
どちらが正しい、と言い切れるものではないだろう。それぞれに利点はあるし、欠点もある。
ただ、リーシア自身を見てその成長を願うなら、押し付けるだけで終わらせてしまうのはもったいないことであったと言える。考える機会を与えられず知識だけを詰め込まれて、いざ諸外国の矢面に立てと言われてうまく立ち回れたらそれこそ天才である。リーシアは優秀であるが、言わば努力型の秀才であり、決して天才型ではない。凝り固まった価値観で育て上げられた彼女がその価値観に沿う常識を疑うことはなかったし、その常識を覆す発想の転換或いは閃きとも無縁であった。ファラングに嫁ぎ、常識が通用しないという事態に遭遇して初めて己の価値観が意外に偏っていると気づいたぐらいである。
十年に及ぶ王妃教育――リーシアが差し出した十年は無駄にならなかった。
生まれ育ったシグルムでその芽は摘み取られようとしたのに、なぜか敵国であるファラングで花開いた。
ともすると頭でっかちになりそうな亡きシグルム王妃に都合の良い教育であったとしても、詰め込まれた知識、教養は本物である。それをうまく考えて使うことができれば、確かにリーシアは「非の打ちどころがない」王妃になることができる。
考えてみれば、言われたことしかできないようでは王に使われることはできても王を支えるには力不足ではないだろうか。もちろん、一を言えば十が分かるというのは十分魅力的な素養だが、リーシアは基礎問題に強く応用問題に弱かった。リーシアの知識が及ばない面ではまるで役に立たない可能性があったのである。
レザリオはたくさんの仕事――単なる事務処理も、婚約者という立場で見ていいものかと戸惑うような案件処理もリーシアに任せた。それはもちろんリーシアを見定めるためであり、リーシアに経験を積ませるためであり、そしてきっと自分が楽をするためでもあったのだろう。
この半年、リーシアはレザリオの婚約者という立場にしては随分といい扱いを受けた。本当にいい扱いであった。厚遇と言えば聞こえは良いが、使える手駒が増えてこれ幸いとこき使われただけのような気もする。
いや、シグルムにいた頃よりも充実した毎日を送っているのは間違いないけれども。
ともかくそんなある種強引な方法でリーシアは鍛え上げられた。レザリオは簡単に答えを教えてくれないが、リーシアが恐る恐る提示する回答にきちんと目を通し、不備があればなぜ駄目なのかを説明し、彼の目に適うものであれば満足げに労ってくれた。正しく評価され、行なった分だけ報われる喜びを知ったリーシアは、進んでレザリオの仕事を手伝うようになった。
そして冒頭の言葉に戻る。
今のリーシアにとって我が国と言えばファラングであるし、その頂点に夫レザリオが君臨している。
ファラング王妃となったリーシアに突き付けられた生国の取り扱い。
きっと、かつてのリーシアであれば満足に答えることはできなかった。
初顔合わせの時、レザリオはシグルムを滅ぼすと言った。それが目的地だろう。
――いや、違う。
彼は「シグルムを消す」と言ったのだ。
リーシアはそれを攻め滅ぼすことと同義だと思ったのだが、もし彼の言葉が文字通りシグルムを地図の上から「消す」ことを意味するのだとしたら。
リーシアとしては、ファラングに送り出された時点で王や王太子をはじめシグルム政府には何の義理も恩もない心持ちである。それでもシグルム貴族に生まれた者として、またシグルム王妃となるための教育を受けた者として、シグルムの無辜の民が犠牲になることだけは避けたい。
政府を見限ったとは言え、シグルムはリーシアの生国である。十九年をそこで過ごした故郷である。家族もいる、友人もいる。彼らはリーシアが守りたかったシグルムの民の筆頭である。
それゆえ、積極的に攻め滅ぼしたいなどとは思わないが、あの無能な政府に従わなければならない民のことを考えると、何ならレザリオの支配下にある方がよほどしあわせではないだろうかと思いはする。
そうであれば、単に攻め滅ぼすだけが道ではない。征服の仕方は一つではないのだから。
リーシアは考えた。
そして最善と思う答えを告げた――シグルムは国という体裁を捨ててでもファラングの傘下に入るのが望ましい、と。
その答えにレザリオは顔を綻ばせて頷いた。
「俺は言ったね。シグルムには消えてもらうと」
まるで出来の良い教え子を褒めるように、レザリオはリーシアの頭を撫でた。
「別にすべてを滅ぼす必要はない。どんな形でもいいんだ、領土さえ手に入れば。流れる血は少なければ少ないほどいい」
先代のファラング王は版図拡大のために侵攻と侵略を繰り返したが、レザリオ自身はさして戦争好きではない。もちろん必要とあらば容赦なく剣を振るうし、実際王太子時代は戦場を駆け回って過ごしたものだが――身体を動かす方が好きなので、書類仕事はやってできないことはないがあまりしたくないのが本音であったりする。そういう意味でもリーシアはありがたい贈り物であった――、意味のない殺戮に興味はない。ただ殺して何になるというのか。使えそうなら逆らえないようにして使えばいいのだし、罰をと言うなら生かして与えるべきだろう。生きて味わう苦しみの方が一瞬で終わる死よりもよほど罰にふさわしい、とレザリオは考える。もちろん生きていることがむしろ害、という場合はその限りではない。
王族ともなれば死ぬことにも意味はあるが、さて、凡庸な王と見る目のない王太子にその役目を果たさせるのもおもしろくはない気がする。
「でも、リーシアに申し訳ないね」
言葉の意味を計りかねたようにリーシアは首を傾げた。
シグルムを消すと言いながら、その領土さえ手に入ればいいと彼は言った。
そうであればシグルムの民は守られるだろう。より強力で有能な王の下、きっと今まで以上に栄えることができる。
謝ってもらう必要などないように思えるのだが。
「シグルムという国は消えるけれど、新たな領土となったそこに住むのは変わらずシグルムの民だ」
「え」
「名前を残そう。ファラング国のシグルム領として」
想像もしていなかったことをレザリオは告げた。
リーシアは幼い頃から「シグルム」のために生きてきた。今思えばそれは決して良いことでもしあわせなことでもなかったが、不幸であったかと言われるとリーシアにその自覚はない。ただそれを当たり前だと思っていた。生まれた時からファラングへ嫁ぐまで、いや嫁いでからも終始リーシアに付いて回ったものである。その名に愛着はないが思い入れはあった。
シグルムが消えなければならないのなら、その名が残るはずはなかった。
それなのに彼は、リーシアのために、リーシアが思う民のために、その名を残してくれると言うのだ。
まったくもって寛大な措置である。
「これで、リーシアが守りたかったシグルムの民を、守ることになるかな?」
どこか自信なさそうなレザリオの様子に、リーシアは笑った。
いつも飄々としていて、真面目なんだか不真面目なんだかよく分からない、何とも掴みづらい人――それがリーシアによるレザリオの人物評である。
それでも王としての姿勢と手腕を信頼している。人としては、これからもっと知り合っていく。
恐らく、自分から「見定める」と言った手前、自分も見定められる覚悟があったのだろう。
圧倒的に優位であっても公正を欠かない。
また一つ、リーシアは夫の魅力を知った。
日本式に言うと義務教育で九年、高校・大学まで数えれば十六年。+αを十年で詰め込んだリーシアは確かに優秀な人材だったと。
日本の数学は式があって答えを導きだすものだけれど、外国では答えがあってそれに辿り着く式を考えさせる、というCMを昔見た気がします。