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冬の童話祭2015

針の筵に座る

作者: 田中ケケ

 この街には一年中枯れている大きな木がある。中学生の私の足で、家から歩いて十分くらい。寂れた神社の裏。木々の間を抜けていくと、少し開けた場所があってその中央に。

 昔はその木の下で子供たちが走り回って遊んだとか。もっとにぎやかな場所だったとか。


 いわゆる昔懐かしの場所。過去の産物。

 今では誰も、その場所を訪れない。きっと私以外。

 

 春に桜を咲かせて人々に酒のつまみを提供することはない。

 夏に青々とした葉を身に纏い、日陰という憩いの場を提供することはない。

 秋に色鮮やかな絨毯を作って、見ている人を魅了させることもない。

 

 そこだけがずっと冬のよう。少しごつごつした幹や枝が一年中露わになっている。

 みすぼらしくて痛々しくて、不吉な場所だと、みんなはそこを何の根拠もなく罵っている。

 

 でも、私はそこが好き――ではない。けれど引き寄せられるようにそこを求めてしまう。みんなが罵っているから、そこに行きたくなるのかもしれない。

 そこはまるで私とは正反対で、私の心模様とは同じみたいで。


 私はどうしたらいいのか分からない。どう生きたらいいのか分からない。どう生きていたいのか分からない。

 それは誰のせいだろう? 

 家族? 友達? 学校の先生? くだらない社会?

 それは、どれも違う。誰のせいでもない。

 きっとそれは私のせい。私の生き方が悪かったせい。


 高校受験を控えていた中学校三年生の冬、そう思った。いや、いつの日からかずっと、そう思っていた。

 それはまだ志望校が決まっていないとか、学力が足りていないとか、入試を受けるのが億劫だとかそんな程度の理由ではない。むしろ、学力は十分に足りている。落ちる心配なんてこれっぽっちもしていない。

 四月にはきっと、ここら辺で一番頭のいい高校に、ほぼ百パーセント入学しているだろう。

 試験中に寝ることができるくらいの余裕はあるだろう。

 だって、私は頭がいいから。勉強してきたから。学力と家からの近さだけで高校を選ぶことができる。そういう人間。


 本当は、別にやりたいこともないし……、どこでもいいと思って。


「また……来ちゃった」


 だから私はここにくるのだと思う。学校からの帰り道。自転車を神社の前で止め、階段を上って、ボロボロの鳥居をくぐって奥へと進む。いつもの道順。いつのもの歩く速さ。

 私は、そうやって何回もここへ来た。自分が限界を迎えるたび、それを抑えて人生を歩むために。時を重ねていくために。


「……また、座るね」


 私は木の幹に背中を預け、制服のスカートを汚すとか考えることなく座った。通学かばんはそこらへんに適当に。


「はぁ……」


 座るとすぐ、ため息が出てきた。

 お尻が地面に触れた時に、ひんやりとした感触が私を出迎えてくれたからかもしれない。

 その場所はいつも私が座る場所。ちょうどいいくぼみがあって、私をすっぽりと包んでくれる。居心地がいいのか悪いのか分からない。正しい生き方が分からない。


「またね、テスト一位だった」


 そうやって私は自慢話とも取れるような愚痴をこぼす。浮かない顔をしているのが自分でも分かる。


「……本当に、どうしたらいいんだろう。私」


 私の頭がいいのには理由がある。それを私は分かっている。もちろん勉強をしているからだろう。私は天才ではない。勉強しないと、中学校程度の内容ですら理解できない。

 ただ、それは本当の理由ではない。根本にあるものは、とっても簡単。

 私の二歳上の姉の存在だ。私の二歳年上の姉が、勉強ができたからだ。

 年齢的に私の姉は、私より先に学生になる。それは運命で決まっている。だから姉が勉強のできる人間だと、私が知るのにそう時間はかからなかった。姉は学年で一位をとっていた。

 それを見てきた私は、今じゃもうどういう順序を経てそう思ったのかは分からないけど、確実に思ったのだ。それが普通なのだと。私もそうならなければいけないと。親もきっと姉を基準で考えると。

 私はそういう理由で勉強ができるようになった。勉強をした。

 両親は私に勉強しろと言ったことがない。私が自分でそういう生き方を選んだから。


 でも、姉が中学校三年生、私が中学校一年生の時、事件が起きた。

 姉が絵を学びたいと言い出したのだ。その専門の高校に行きたいと言い出したのだ。

 親はそれに反対し、姉を説得した。お金がかかるというのが最大の理由だった。姉は渋々普通科に行くことになった。

 私は、その時何故か喪失感に包まれたのを覚えている。それはどうすることもできなかった。必死で心の中の何かが崩れ落ちるのに抵抗した。

 だって、勉強をする生き方しか知らないから。

 気が付けば私は、姉が私と同じ学年の時より、成績が良くなっていた。

 今思えば、抵抗していると思っていただけで、本当はその時に崩れ落ちていたのかもしれない。認めたくなかったのかもしれない。


「もう十二月……なんだよね」


 私は枯れている木に話しかけるように、いつも愚痴をこぼす。その木が聞いてくれているみたいに感じるからだ。


「まあ、何も答えてくれないよね……」


 でも、それは幻想。中学生なんだから、分かっている。

 私は何も答えてくれない木を蔑むように、自分を嘲笑って目を閉じた。


 どうして最大の理由が、お金がないだったのだろう。どうしてその次の理由は家から遠いだったのだろう。

 勉強してきた意味とか、頭がいいんだからそんなところに行ったら勿体ないとか、そういうことは一切反対の理由に入らなかった。

 私は、ショックだった。でも、勉強を続けた。

 だってその生き方しか知らないから。家に帰ったら必ず勉強をすることが普通だったから。勉強をしない、頭が悪い自分になるのがいつの間にか怖くなっていたから。


 そうやって、今まで私は勉強したんだ。一位を取り続けたんだ。何か夢があって、叶えたいものがあって、努力して一位を取ろうとしている人がいるならごめんなさい。

 こんな私が一位になって。


「……もう、無理かも。どうしたらいいんだろう、私」


 私は膝に顔をうずめる。冷たくなった制服のスカートが私を出迎える。

 そこで私は泣いているわけではない。不思議と涙は出てこない。

 こんなにも悩んでいるのに、精神がぐちゃぐちゃに擦り減っているのに、これに関してのことで泣いたことは一度もない。そういう自分が嫌だ。幻滅する。それもまた悩みになる。


「そう言えば……私、あの時も泣かなかったなぁ…………」


 私はこの夏までソフトボール部に入部していた。

 中学校に上がった時に、こんな人生を送っていて、こんな悩みを持つような奴に、入りたい部活もやりたいこともあったはずがない。

 なのに、仲が良かった友達が入るからという理由だけで、私はソフトボール部に入った。

 ソフトボールの技術は身に付いた。


 そして、部活を続け三年生の夏、最後の大会を迎え、そして負けた。

 私は二安打一打点と、その試合でそこそこ活躍できたけど、そういうのはどうやら関係ないみたいなのだ。


 試合が終わって、負けて、みんな泣いていた。悔しい悲しい、もう終わった、次がない、最後――。色々な理由があっただろう。

 私は一塁ベース上で、最後のバッターが三振するのを見ていた。敵チームの歓喜を、ガッツポーズを、チームメイトの落胆と涙を見ていた。


「…………」


 そのみんなの態度が、泣いているという光景が私を唖然とさせていた。


 私はそこで、泣けなかった。そんな状況下で涙の一滴も湧いてこなかった。気まずくて泣いているふりをした。こんな私が泣いていいのかと、疑問に感じて泣けなかった。

 もちろんその部活を度々サボっていたとか、練習に真面目に取り組んでいなかったわけではない。むしろ出席率で言ったら私が一番だ。二年のうちから試合に出場し、三年になればスタメンにも名を連ねた。最後の試合だってもちろんそうだった。


 それでもやっぱり泣けなかった。その試合の前に、「この試合に負けたら最後なんだから気合入れて、絶対勝つよ!」みたいなことをキャプテンに言われた時も、きっと私だけが何かに躊躇っていた。

 その日の夜、打ち上げと称して、部員全員でバーベキューをした時、みんなのスッキリとしたキラキラと輝く笑顔が、私には眩しすぎた。

 私には、それできないと痛いほど思い知らされた。


「……この先、どうしたらいいのかな?」


 私は木に尋ねてみる。木は何も言わないけど、ただただそこにずっと立ってくれている。

 私はそういうものを求めているのだ。この木が枯れている木だからここに引き寄せられるのだ。

 私の心はきっと枯れている、ずっと枯れているから。物心ついた時からずっと、花を咲かすことなく、枯れているのだ。

 その証拠に、私にはいつだって何かが突き刺さっている。

 この場所にいたってそれは同じ。むしろこの場所にくるとそれは強くなる。痛みは増していく。

 地面には何もない、ここに座ってくださいと言わんばかりに木だって幹をくぼませている。

 だけど、私にはそこが針の筵のように感じるんだ。針の筵に座っているように感じるんだ。

 それは痛くて苦しいけど、私はそういう場所が似合っている。私にはきっとそういう場所しかないんだと思うから。


「……また。またそうやって、何も答えてくれないんだね」


 針の筵に座る私は、そういうことを言う。


「どうしたらいいのか、私だって分からないんだよ?」


 私はそのまましばらくそこで座っていた。風が吹けば髪がなびいて、身を切るような寒さが襲う。それでも私はそこに居続ける。真っ黒の地味で個性のないマフラーは、首を寒さから守ってくれるけど、私を守ってはくれない。

 防寒具のくせに、ふざけている。


 そして、日が完璧に落ちると私は、そこから立ち上がる。いつものように家へと帰って、勉強を始める。そんな私の後姿を、枯れた大きな木が呼び止めることはない。風で何もついていない枝の先がしなるだけ。


「今日も、こんなことばっかりで……ごめんね。また来るかも」


 私はそう言い残して、その木を後にした。もと来た道を行きより少しだけ遅い速さで。

 神社の前に止めていた自転車のサドルは、冬の冷気に晒されて冷たくなっていた。


 そうやって、高校に進学した私はいつの間にか、その枯れた木の所にすら訪れなくなっていった。





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