03
この頃のヨシコの大きな悩みは、ととの年子の兄・とらであった。
少しばかり難しい奴で、優しいところはよいのだが、一旦テンションが下がるとグズグズ言う、泣く、荒れる、などが長引く傾向がある。
その前の週、金曜日の朝「微熱」と「頭痛」(どちらも本人談)とを訴えてとうとう学校を休んだとらであったが、その日に二時間続きで図工があった。
「大好きなもの、大切なものを絵に描こう」
ということで、学校に自分の好きなものを持ち寄り、一時間はコンテで画用紙に描き、次の時間に絵の具で塗っておしまい、という授業。
とらは、もちろん授業を受けてないので絵は描かなかった。
そして、次の週中ばのこと。
学校に忘れ物を取りに行った際、教室の後ろにみんなの絵が貼り出されていた。ヨシコととらが親子そろって絵を見ていた時、担任の先生が何を思ったか(多分一人だけ絵がないので可哀想とでも思ったのか?)
「とら君、うちで描いてみる?」
と画用紙を下さった。
その場で先生が丁寧に絵の描きかたを教えてくれ、とらも「やってみる~」と乗り気だったので絵の具と一緒に持って帰ったまではよかったが……
描けんのです。
前に誰かにもらった基板の切れ端と、海岸で拾ったガラスのかけらを並べ、途中までコンテで描いたのだが、上手く描けないと何度も直し、しまいには泣き出す始末。
元々、絵は嫌いではないらしい彼。
いつもは頼まれもしないのに好きなものを色々描いているのだが。
そんなにイヤならやめる? ということでいったんリタイア。
しかしせっかく途中までやる気になっていたのに、ここで投げ出してしまうのも……と焦る母ヨシコ、次の日、またとらに
「描いてみようよ」と。
いやいや描き始めたものの、やはり
「描けない~~」涙涙。
ここで親子の修羅場ですな。
「根性なし」「もう描かない!」「あ~泣け泣け」と事態は悪化の一方で。
そして翌日。もう休日も終わるという日の午後
「お母さんも言い過ぎて悪かったけど、やっぱりせっかくだからがんばってみようよ。私も何か描くから一緒にやってみよう」
と、しつこいヨシコ。少しテンションあがったとらと何度めかの挑戦。
ところが、一緒に描いていた母の絵をみて急にとらの手が止まった。
「お母さんどうしてそんなに上手に描けるの?」
とぐずり出す。焦るヨシコ。逆効果だったか??
そしてまた夕方、泣くわめくドタバタする、と一通りやったあとでどうにか下絵が完了。紙も手も拭いた顔も真っ黒。
絵の具を使い始めると、ととがやってきてじっと観察。
半泣きの状態の兄を面白そうに(?)眺めていたが、絵を見て感心したらしく
「あった! じゃじー(じょうず)」
と絶賛。色がついていく過程にいちいち感動している。
それで気をよくしたのか、それとも色をつけ始めたら少しは落ち着いたのか、とらは淡々と筆を運んでいる。
そして、週のなかばからずっと頭痛の種だった絵画がようやく完成。
他の子は授業二時間で仕上げた作品に、何時間かかったことか。学校でやっていれば、あっさり済んだのだろうが……
それにしても、「楽しく描こう」と気楽に紙をくれた先生。
過程でこんな「産みの苦しみ」があったなんて、気付きもせんだろうな……
ヨシコも反省。描かせるのにちょっと意地になったりで、なんとなく後味の悪い図画教室? だったかも。まあ、何でもとにかく仕上がったので、長男は少しはすっきりしたようで。それだけが救いでしょう。
とら、図画工作で苦労した翌日。今度は
「今日の音楽でリコーダーテストあったけどごうかくしなかった」
と、笛持って家に帰ってくる。宿題が済んだら明日の再テストのために練習するという彼、ヨシコは嫌な予感に身を震わせた。
夕方から、笛の練習が始まった。
♪ぷぴー
「それ、なんの音?」ヨシコがおそるおそる尋ねると、ムッとした声で答えが返ってくる。
「ソ」
「もう一回やってみ」
♪すぴー
「もう一回」
♪すぅ~
「……吸ってないよね?」
ここまでで、もう泣きっ面な彼。
結局、この夜は10時まで練習(普段の就寝は9時ちょい過ぎ)。途中泣きながら
「ご飯なんて食べない!!」
とわめいたのでヨシコが後頭部を一発はたいたら、急に泣き止んでがつがつと結局三杯も飯をかっくらい、その後もしつこく、ぷぴー、すぴーと繰り返す。
翌朝も自発的に6時に起き、まず笛の練習。
いくらやっても上手くいかないので、どうせ今日も泣きながら学校行かない状態になるかと思いきや、時間になったら案外すっきり出ていった。
学校から帰って来た彼にヨシコ
「どうでした」
と聞くと憮然とした表情で
「ごうかくしなかった。明日もテスト。でも今日はリコーダー持って帰ってないから。今日は『ふえ』って言わないでよね」
だと。
ふと隣室のととを見たら、妹と二人でストローを縦にくわえ、兄貴に見えない所でミニ・リコーダーごっこをしていた。トレンドに敏い。
笛でこれから食べていくわけでないだろうので、これでいいです、とヨシコは肩をすくめた。




