07話 逃げ回った一週間
「圭祐?あーなんかさっき、中庭行ったよ。」
「そっか、ありがとー」
圭祐の忘れ物を届けるために、私は彼を探していた。
彼の友人たちに聞いた中庭を目指すべく、小走りになる。
「―――ね、イブの日…」
(―――杳?)
聞き覚えのある声が聞こえた。
中庭の奥、少し木陰になるその場所に、二人が座っているのが見えた。
思わず足を止めてしまう。
「行きたいなァ、圭祐くんのお家。」
「おいでよ。皆実もいるし、全然いいよ」
「………ふたりっきりが、いーの」
聞こえるか、聞こえないかの距離で、確かに届いた会話。
杳の、甘い、誘うような声。私が、あまり聞いたことのないような、声色。
「―――――っ」
気付いたら私はその場から逃げ出していた。続きを、聞きたくなくて。
“杳ちゃんが、家で二人で会いたいって。だから皆実は―――”
そんな事、圭祐から言われるのかと思うと、嫌だった。胸の奥がズキズキと痛む。
もちろんそれは私の勝手な想像である、それでもリアルに、頭に浮かんでくるそんな台詞。
(……何、コレ)
また、だ。
今まで抱いたことのない、訳の解らない感情に、支配される。それを振り払うかのように、走る足を止めて思いきり自分の頬を叩いた。
言われたくないなら、言わせなきゃいいじゃない。そう。心の中でつぶやいた。
* *
次の日、バイト先で店長に自らシフトの変更を申し出た。
「え、皆実ちゃん24日遅くまでいいの?」
「はい!」
「何時までいける?」
「何時でも!」
「助かるけど……皆実ちゃん、どうしたの?」
「…どうもしてませんっ!」
私は力いっぱい答えた。
コレで大丈夫。何が大丈夫なのかわからなかったが、とにかく妙な安心感に包まれて、私は家に帰った。
* *
「10時まで、バイト?」
「うん」
「…閉店8時じゃなかったっけ」
「ほら、イヴだし。お客さん止まらなくてそう簡単に閉店できないだろうし、次の日の準備もあるし、色々…」
「ふーん………」
「ご飯、つくんなくていいからさ、うん」
「あー、あのさ、オレ、イヴの日――――」
「じゃ、おやすみなさいっ!」
「は?……おい、み、」
嫌な予感がして、半ば無理矢理彼の言葉を遮って、自分の部屋へと逃げ込んだ。
その言葉の続きを、聞きたくなくて。
それからの私はひどいものだった。
圭祐と目を合わせたら、あの話をされるような気がして、そう思ったら怖くなって、私は逃げることしか考えられなくなった。
ご飯はなるべく目を合わさない、それ以外はすぐに自室に引っ込んで、極力関わらないように過ごした。
圭祐が何か話しだそうものなら、強引に話をかぶせてさえぎったり。
何も知らない圭祐にとっては、一緒に住んでるというのにずいぶんカンジ悪いだろうとは思いながらも、体は頭が考えるよりも先に動いて好き勝手する。
だって嫌だ、聞きたくない。
聞きたくないから、聞かない。
そして知らなかったことにして、何にも知らないことにして、イヴが終われば忘れられるような気がしていた。
そんな風に一週間が過ぎて、イヴの朝が来た。
* *
「………アレ?」
朝目覚めてリビングに向かうと、テーブルの上に簡単な朝ご飯が用意されていた。しかも一人分の。
「圭祐ー…?」
圭祐の姿はどこにも見当たらない。玄関に向かうと、そこには彼の靴が無かった。
「………早」
朝も私は彼を避けるように、すごーく早起きして、彼が目覚める前に家を出ていた。
自分がこんなに早起きが出来る人だったなんて、知らなかった。
それが逆になっただけなのに。
「………いただきます」
ここ2、3日、夕食も時間差だったから、まともに顔、合わせてない。
「…………」
なんだろう、なんだろうこの感情は。
――朝ご飯置いて、早くに出る。
それは私が最近ずっとしてきた事だというのに。
(何?コレ…)
残されてるのは私のためだろう朝ご飯、彼の居ない部屋で、彼が作ったご飯を食べて―――、今までだって、何度もあったことなのに。
なんだか泣きたくなった。
大切なのに。
失くしたくないって、思えば思う程、見失ってしまいそう。どうして?
身仕度を済ませて家を出ると、そこには先に出たはずの人物がいた。
「………っえ、圭祐!?」
202号室は、2階建てアパートの右側の部屋で、下に下りるには1つの階段を下りなくてはいけない。
ドアを開ければすぐに階段、という構造で、要するに外出するための道は階段しかないのだ。
その階段を一段下りたところに、圭祐は壁にもたれかかるように立っていた。
「…………先、行ったんじゃ…」
「皆実」
名前を、呼ばれた。
(―――うわ)
久しぶりの、声だった。耳に届いた音が、鼓動を速める。
「――オマエさ、最近オレのこと避けてねぇ?」
ぐい、と顔を近づけてくる。
私の顔の横の壁に、手をつけるようにして。
目を合わせたのだって、何日ぶりなんだろう?
少し焦げ茶色の瞳に、映る自分が見えた。
それだけでとてつもなく恥ずかしくて、近くて、視線が絡んだだけで、かーっと熱くなる。
見て、いられない。
「避けて、ない……っ」
私は彼を力いっぱい突き飛ばして、階段を駆け降りる。
何やってんだろう私。
今まで、どうしてたっけ。
どうやって、毎日一緒になんて暮らしてた――――?
* *
クリスマスイヴなので、ケーキ屋は大繁盛。やっとのことでCLOSEの札を扉にかけて、明日の準備をしながら同じく残っていた真井と話をした。
ほとんど、私の話。
「どうしてだろう……今まで通りが、わかんないの。今日を過ぎたら…戻れると思ってたんだけどな…」
今日の自分の様子から、それも難しいのではないかと思えてくる。
「無理なんじゃない?」
「…そこ、同意してよう…」
「だって、もうあんたの中で変わっちゃったんだもん。武仲のこと、好きになったんでしょ?」
(好き?)
私が、圭祐を―――?
「…………違う。でも大切なんだよ、誰よりも――、なんかもう越えちゃってるの」
好き、なんて、もうとっくの昔に越えてしまっている気がした。
「……何、それ」
「なんだろ、ね」
杳が、圭祐をすきになって、一緒に暮らしていること、特別なんだって思うようになって、気付いたんだよ。
“好き”なんて二文字じゃあもう言い表せない。
もっともっと大きな感情が、包み込んでる気がするの。
だって、思い描くのは君が隣に居る未来。それがきっと、1番輝いてみえる。
この先、お互いが大切な人を見つけて家庭を作ったとしても、ずっとずっと大切な存在。
それだけは変わらない。
―――そう、願う。
大切だってことに、決まった形は要らないでしょう?
「……お、噂をすれば」
閉められたドアの向こうに見える人影を、真井はちょいちょいと指さした。
「――圭祐!?」
そこで手を振る彼がいた。