06話 ギリギリの、境界線
――――ピンポーン
日付が変わろうとしていた頃、呼び鈴が鳴った。
圭祐はまだ帰ってなかったが、チャイムは1回しか鳴らなかったので、彼ではない。
「はーい?」
「あ、すんませんコンバンワ~」
「………こんばんは…って圭祐!?」
「酔い潰れちゃったんで、送りに来ましたー、ケー君ほら、着いたよ」
「ん~~……」
圭祐を運んで来た男の人は、彼を玄関にドスンと座らせてくれる。
といっても頭をフラフラと揺らしている圭祐の体は、そのまま床にぺたりと突っ伏してしまった。
「………すごい飲んだんですか?」
圭祐の様子を見ると、元からお酒に弱い人だけど、この潰れっぷりは相当だった。
圭祐より少し年上に見える男の人を見上げて、私は尋ねた。
「うーん、ちょっと皆がふざけて飲ませすぎちゃって。いつも絶対飲みたがらないからさ。」
「すみません、ここまで…送っていただいて」
「でも納得。コイツが酒嫌がったり、早く帰りたがる理由」
「?」
男の人は、優しい笑みでニッコリ笑った。
「……あの、何か誤解を」
「ああ、知ってる。彼女いないけど同居人がいるとかコイツ言ってたし。嘘つける奴じゃないことくらい、俺もわかってるよ」
「……ははあ」
なるほどなるほど、と呟く彼の意図が読めずに、私はただきょとんと立っているしか出来なかった。
男性はその後すぐに、満足そうに帰って行った。
落ち着いた感じの、色素の薄い毛がサラサラしてる男の人だった。圭祐のバイト先の、先輩だろうか。
彼を見送った後、玄関で寝転んでいる圭祐を覗き込む。
「……………大丈夫?」
「んぬん~~~…」
「ダメだこりゃ」
返事に成っていない唸り声を聞いて、私はため息をついた。
よいしょ、と独り掛け声を発して、彼の腕を担ぐようにして、彼の部屋まで運ぶことにした。
悔しいことに身長差やそもそも体格差があるせいで、ほとんど彼は引きずられる状態になってしまうけど。
彼の部屋―――といっても、いわゆるリビングという広めのスペース。
ドア一枚で仕切られる個室は私が(一応、女の子なので)使っている。
その部屋の隅にあるベッドまで辿り着いた時だった。
「――――わ、」
コードに足を引っ掛けバランスを崩した私の視界はぐるりと回り、ベッドの上にとさりと倒れこんだ。
私が担いで来た彼は、私に覆いかぶさるように。
「――――っ」
一瞬のうちに、心臓が跳ね上がる。
すぐに退こうと思いはしたが、身体が上手く動かない。
彼の体重のせいは勿論だが、それだけじゃなくて。
「……あの、圭祐…っ」
「ん……」
息が、首元にかかった。
彼を押し退けようと、伸ばしていた腕の力がふっと抜ける。
とさりと圭祐の体が落ちてきて、ぴったりとくっつく。鼓動が、近い。
(どうしよう)
どうしたらいいのかわからない。
力が入らない。まるで金縛りにあったみたい。
この時、きっとおもいっきり跳ね退けて、逃げ出すことも出来たと思うけど、出来なかった。
起こしちゃうかもしれない、とか、ここで圭祐が目を覚ましたら、この距離が――――近すぎて、怖い。
お互いに、一般の人よりも近くで過ごす私たちのこの距離を、越えてしまったら?
* *
「………」
目覚めた私の目に写ったのは、見覚えの無い角度の白い天井。
上手く働かない頭を懸命に巡らす。昨日、私は――――、
「――あれっ!?」
慌てて、跳び起きたのは、圭祐のベッドの上だ。
私の体の上にはしっかりと毛布がかけられていた。
「おー、起きたかー?」
キッチンから、カチャカチャと音が聞こえる。
そこに居るらしい彼が、少し大きめの声で私に問いかける。
「………なんで?」
「オマエ人のベッド占領すんなよなー、人を床に落としといてー。」
「……は?」
「一緒に寝たかったら、そう言ってくれればいいのにな」
「なっ!?」
「じゃ、俺先行くから。朝飯、ソレ適当にな!」
テーブルに乗る朝ごはんを指差して、彼は足早に部屋を出ていった。
私と、一度も目を合わすことなく。
「……………」
私は、確かに覚えている。
私がベッドを占領した訳じゃなくて、勿論一緒に寝たかった訳じゃなくて。
動けなくなってから、いつの間に寝たのか、記憶にないけれど。
(…………覚えて、ない?)
彼は、酔っていた訳だし、そうすると、つまり。
(な、なんだ……。)
「………って、何がっかりしてるの」
覚えていたら、それはそれで気まずい。
何が気まずいって、私がそんな風に考えてしまったということ。
だから勘違いされているけれど、むしろ好都合、そのままそういうことにしておこう。そう、思い直した。
「…………ん?」
テーブルの上に、一昨日くらいから置きっぱなしになっているレポートがそのままなことに気付く。
確か、今日提出だって言ってなかったっけ。
必死になってパソコンに打ち出している彼の姿を思い出した。
「…ったく、しょうがないなあ」
持って行ってあげるか、と封筒を自分の鞄に入れる。
彼が用意した朝ごはんを簡単に食べて、私も部屋を出た。
――そのおかげで、あんな場面に遭遇するなんて思いもせずに。