Last room
番外編を含め、これにて最終回となります。
時は少し経ち、二人は大学を卒業し、社会人になっています。
「皆実ー、コレ空けちゃわねえ?」
そう言って圭祐は、手に持っていたワインボトルを、私の顔の前でちらつかせた。
「何、珍しいじゃん」
「だってコレ、あっても皆実一人じゃあ空けないだろ?」
「確かにー。」
少し高級そうな、ワイン。
どうしてそれがあるのかはもうよく覚えていないけれど、何かの時に、誰かからもらったものだ。
私も、圭祐も、お酒は強い方じゃない。
今日までもずっと放置されてきたのだから、二人が揃わなくなれば更に空かないままになるだろうことは目に見えていた。
「…最後の夜だし、さ」
圭祐が、ぼそりと呟く。
「…そだね、パーっとやりますか」
私はワインボトルを彼の手から奪って、笑ってみせた。
* *
圭祐が、一年間の海外勤務を命じられたことを聞いたのは、3ヶ月程前の話だった。
突然言われたことについていけずに、なんてことない反応をした気がする。
少しだけ安心したのが、圭祐がその話を受けてから私に話すまで、そんなに時間が経っていなかったということ。
私の知らない間に、悩んだり別の誰かに相談したり、挙句の果て直前に打ち明けられたりしていたのなら、私はすごく悲しかったと思うから。
(1年…、か。)
きっと私、圭祐と会わなかった時間で、一年間なんて経験したことがない。
一緒に暮らし始めれば、尚更のことだ。
それでも、淋しいなんて言えなかった。
それは圭祐を思ってのことなのか、私のプライドなのか。
…後者だと、思うけれど。
「「…まっず…」」
チン、とグラスが音をたてて乾杯をしてからの一口目。
二人とも同時に、同じ思いを抱いたらしい。
「…苦くねえ?」
「ワインだもん」
「オレらにはまだ早いってことかー」
「真井、ワイン一気しないと酔えないって」
「…酒豪か」
他にも買っておいた缶チューハイを二人して開け出した。
ワインボトルはもうきっと放置。
――放置、されるはずだったのに。
缶チューハイで酔いが回ってきた圭祐が、酔いを覚ましがてらシャワーを浴びに部屋から出ていった。
「……………」
一人部屋に取り残されると、色々考えてしまう。
“最後の夜”だなんて、アイツが言うせいだ。
「……淋しく、ないもん」
ぐびっと、残りの缶チューハイを喉に流しこむ。
一度に飲んだ量が多かったからか、私も酔いが回って来た。
「…酔っ払うと、飲みたくなるんだよねえ…」
なんだかさっきのワインボトルが輝いてみえたりして、なんだかんだ美味しかったのではないかとか思えてきたりして、私はそれに手を伸ばしていた。
◇ ◇ ◇
「………皆実?」
頬を紅く染め、とろんと潤んだ瞳を向けてくる彼女に、オレは額に手をあてため息をついた。
「何でそんなんなってんだよ…」
二人ともお酒は強くない。
だけど最後の夜だから、ちょっと飲もうかとオレから誘った。
同じくらいのペースだったのに、オレの方が先に回ってきて、こもった熱を冷まそうとシャワーを浴びに部屋を出た。
そして戻って来るとおそらく30分も経っていないだろう間に、皆実は出来上がっていた。
俺だって稀に見るくらいの様子で。
テーブルの上を見れば、空の酎ハイが2、3本。
それだけならまだよかったのだが―――、
「はっ!?待て皆実、コレ飲んだのか!?」
「うーむ…」
「さっきマズイって言ってただろうが…!」
半分程減ってしまっていたワインボトルをオレは引っつかんだ。
何かで貰って、ずっと眠っていた物を空けてみたが、二人とも一口でマズイと言って放置だったのに。
「……けーすへ」
「大丈夫かよ…。何?」
「ふふ」
「………何やってんだよ何で飲んでんの…」
ふにゃりと、力なく笑う皆実を見てオレは大きなため息をつく。
オレしかいないからいいものの、この無防備加減はたまに心配になる。
「とりあえず、水飲むか。」
返事を期待した訳でもなく、独り言のように呟いて、オレは水を取りに行こうとした。
が、しかし、それはかなわなかった。
「嫌だ、行かないで」
「は?ちょ、」
そうはっきりと言った皆実はオレに絡み付いてきたからだ。
立ち上がろうとしていたオレは一度、皆実と目線を合わせるべくしゃがみこむ。
「…………いっちゃやだ」
「…皆実?」
「さみしい」
「…」
「さみし…」
「…」
「ずっとここにいて、よ…」
そのまま猫のように、皆実はオレの胸に擦り寄って来た。
「皆実…」
オレは抱き寄せるようにして、彼女の背中に手をまわした。
少しほてった皆実の熱が心地よい。
気づいている。
皆実が言う「行かないで」は、今この瞬間のことではないことを。
オレが海外に行くと決まってからも、皆実はその類の言葉を一度も言わなかった。
「そっか」と頷いて、「行ってこい」と微笑んで、「頑張れ」と背中を押してくれた。
その時オレは、どこか安心したような、寂しいような気持ちに襲われたんだ。
「け、すけ………」
ゆっくりと瞳を閉じて眠ってしまった彼女を、包み込むように抱きしめる。
(オレだって)
寂しい。
離れたくない。
離したくない居場所を、自分から手離す。
オレにとって彼女は、何よりも大切で愛しい存在なのに。
だからと言って、どうしようもないことなのもわかっている。
皆実の肩口に顔を埋めるようにして、オレも目を閉じた。
眠りはしなかった。
すうすうと気持ちよさそうな皆実の寝息を聞きながら、ずっと、考えていた。
大切な彼女と離れることで、気付いたことがあった。
きっと無意識に、考えないようにしてきたこと。
傍にいるのは簡単で、とても難しい。
◇ * ◇ * ◇
「…………………ん、」
目が覚めると、私は圭祐の腕の中。
(頭、痛…)
少し顔を起こしただけで頭にガンと痛みが走り、お腹の中にも気持ち悪さがまだ残っていた。
恐るべし、ワインの威力。
「………圭祐、」
呼びかけてみたけど、返事はない。
私の首の下と背中に、しっかりと手を回して圭祐は眠っている。
起こさないようゆっくりと頭を動かして時計を見るけど、彼の出発までまだ時間はあったので安心した。
「圭祐ー…」
こんな風に近くで名前を呼ぶこと、しばらく無くなってしまうのかと思ったら寂しかった。
(『さみし…』)
心の中の声と、記憶の声が重なる。
あ、私この台詞を、昨日言った。
ずっと言わなかった言葉、言えなかった言葉、お酒のせいにして、言ってしまった。
完全に無意識の言葉じゃなかったと思う。
頭の隅では冷静になって言っている自分がいた。
お酒のせいにしないと、言えない自分が情けない。
* *
「…皆実、あのさ」
見送りは要らないという圭祐とは、玄関で別れることになっていた。
予定より10分程早いのに、彼は荷物を持って扉に向かった。
時間にはルーズではないが早めに行動することを知らない私たちだから、少し驚いた。
「早いね、どしたの」
「…………ん」
返事になっていない。
圭祐は目を覚ましてからずっとこんな感じで、どこか上の空だ。
たいてい何かを考え込んでいる時だと思うけれど。
「考え事?」
「……何でわかった」
「顎、すごい触ってる。考えまくってる時のアンタの癖じゃない?」
「……まじかよ」
「飛行機の中で考えなよー」
「…それじゃ遅いんだよな」
「…はぁ?」
何のことか見当もつかなくて、私は小首を傾げながら圭祐の表情を覗き込んだ。
「………皆実、あのさ」
「うん」
「……………………、」
「な、何?」
眉間にシワ寄せして、ずいぶんと言いづらそうにしている圭祐は、俯きかけていた顔をぱっと上げた。
視線が、合う。
「帰ってきたら、…結婚…、しようか」
圭祐の口から落とされた言葉に私は驚いて、目を大きく見開いた。
私が何か言う前に、と、圭祐は続ける。
「もう、此処引き払うだろ?」
圭祐は天井を、ぐるっと見渡すように視線を上げた。
此処―――202号室は、来月引き払うことになっている。
私が一人で暮らすには、少し広すぎる。
圭祐と暮らし始める前に住んでいたような1Kの部屋に、引っ越すことはもう決まっていた。
私は頷く。
「ていうかオレ達、もう結婚するしかないだろ」
そう言って、に、と歯を見せて笑った圭祐の表情は、昔と変わらない。
そしてその言葉に、なぜかその通りだとしか思えなかった。
私は頬を緩めて彼を見た。
だって私たち、最後にお互い恋人がいたのはいつだろう?
恋人がいた時でも変わらなかったことは、お互いの存在と大切だと思う気持ち。
気付けばいつからか、二人とも恋人ができてなかった。
だって、傍に居たから。
誰よりも、何よりも近しい存在で、ずっと過ごして来た。
離ればなれになることで、きっと見つけられる何かがある。
そう、当たり前に思えるのって、奇跡としか言いようがないでしょう?
「……一年、経ったらなんか変わってると思うんだ。離れるの初めてじゃんか、オレ達」
私は頷く。
これは恐れる変化じゃない。
「圭祐がブロンドの彼女捕まえるかもしれないしね」
「芳井が皆実とヨリ戻すかもしんないし」
「…まだ言ってんの?芳井くんのこと引っ張りすぎじゃない?」
「いーや、アイツはまだ皆実に気がある!」
「ないってば…」
私たちにいつもの空気が流れ出す。
この雰囲気が、私はたまらなく好きだ。
「…じゃ、行くわ。」
「うん」
「また、な」
「気をつけて」
「………」
「………」
そう言ってもその場から動こうとしない圭祐に私は首を傾げる。
「なに、」
「行ってきますのちゅーとか、しとく?」
「………ばかじゃ、――――」
玄関の段差のおかげで、ちょうどよかったのだと思う。
近づいてきた彼の顔を、避けることはしなかった。
少しだけ長く、触れたのは唇。
それは私たちの初めてのキスだった。
「……いってきます」
「いってらっしゃい」
ちょっとだけ、頬を赤く染めた圭祐の背中を、たぶん同じように赤くなっている私は見送った。
ていうか、あんな風に照れた顔、初めてみた。なんだか、新鮮。
自然と緩んでしまう頬を、私は片手で押さえる。
私の頬が熱を持っていることも、気付かないフリとかして。
次に会うときはもう、この部屋はない。
そう思うと淋しさは一層増す。
だけどもう、彼を迎えるのは202号室じゃなくて――――、私自身だから。
そう、ありたいから。
(おわり)
これで本当の終わりになります。
二人をくっつけてしまったことは、一番の驚きです(笑)
本来はくっつかないのが理想なんですが…、いや、深層心理だったのかも(笑)
ここまで読んでくださってありがとうございました!
2015.02.28(加筆修正)




