a calm room -前編-
番外編その2。本編の最後から、少し経ったくらいかなあと思われます。少し長いので、前後編に分けます。また、今回のお話は皆実と圭祐の視点が度々入れ替わりますので、わかりにくいかもしれないです、すみません。
「……同棲、だよな」
友人の一人、佐伯が、呟くように言う。
そのテの話題に対して何度目かわからない否定を、オレはする。
「…だから違うって」
「羨ましーなァ。皆実ちゃん結構可愛いし、すきになったりしない訳?」
「恋人なんかより、ずっと大事なんだよアイツは。もう友達だとか恋人だとか、そんなレベルじゃねえの。家族みたいなもんなの。」
「へぇ~?」
「じゃあおれ立候補!皆実ちゃんの彼氏!」
「は?」
楽しそうに、もう一人の友人、芳井は手を挙げて言う。
「家族なら、圭祐は親父だな。」
「お……?」
「お父さんっ!皆実さんとお付き合いさせて下さい!」
「オレは親父じゃねえっ!」
「お願いしますお父さん!」
「…皆実が決めることだろ、ンなこと」
「アレ、いいの?じゃあ頑張ろ、おれ」
不敵な笑みを零して、芳井はその場を去った。
そんな彼の背中を見送るオレは、何だかおもしろくない。
「…………」
「不機嫌丸出しの顔してますよー圭祐くん。」
「うるせー」
佐伯が、からかうように、でもさと続ける。
「アイツ結構本気みたいだよ?前から皆実ちゃんのこと、いいなって言ってたし」
「…初耳なんだけど」
「圭祐に遠慮してたんだろ」
「遠慮ってなんだよ」
「だってそうだろ?あんな近くにいて、恋愛に発展しないような“すき”っていう感情、俺らにはわかんねーんだもん」
「……」
オレと皆実の関係が、特殊だという自覚はある。杳ちゃんの一件でも、改めて思い直したことだった。
「妬くなよ親父さん」
「妬いてねぇ!」
(ていうか親父じゃねえし!)
皆実を、すきだと相談してくる男は今までいくらでもいたから、こんなことも慣れてる。
慣れているからといって、何の感情も湧かない訳ではない。いつもなんだかんだ、おもしろくはない。
そしてそれからしばらくして、皆実が芳井の告白をOKしたと聞いて、より一層おもしろくない気分になる自分がいたのだった。
◇ ◇
腰ポケットの携帯が振動したのは、芳井くんとのデート中に街を歩いているときだった。
「…電話、圭祐だ」
「なんで、見てないのにわかんの?」
「バイブのパターンが違うの、圭祐からのときは。」
「…ふーん…」
「ごめん、出るね。――もしもし?」
ちょっと面白くなさそうに言った芳井くんを横目に、通話ボタンをタッチする。
『皆実、今どこ?』
「駅前。芳井くんも一緒。どうした?」
『デートか。さっきおふくろから急に連絡あって、今から家に来るって』
「ほんと?じゃあ帰ってあいさつしようか?」
『いや、その逆。あんま会わせたくないから、連絡するまで家、帰ってくんなよ』
「……大丈夫?」
『たぶん、な。じゃ』
アッサリと電話は切れた。だけど、圭祐の声色、あまり大丈夫じゃないときのものだった。
その上、“たぶん”なんて、余計にこちらを心配させるような曖昧な言葉を使うことも、珍しい。
「…………、大丈夫かな」
「なんかあったの?圭祐」
「えっと…「あら、皆実ちゃんじゃないの!」
突然、声のかかった方を振り向くと、そこには圭祐のお母さんが、手を振りながらこっちに近づいてくるところだった。
「た、武仲さん……!」
「ふふ、彼はボーイフレンドかしら?デート中だった?」
「…はい…」
「ちょうどよかったわ。私、圭祐を連れ戻そうと思ってこっちに来たの。皆実ちゃん、彼氏ができたのならルームシェアなんて、やめたかったんじゃないの?」
「……いえ、そんなことはあまり考えてなくて」
優しく微笑む彼女の瞳の奥に、鋭さが見えてひるんでしまいそうになるのを必死に堪えた。
隣で何がなんだかわからない様子で立ちすくんでいた芳井くんに、彼女は視線をゆっくりと移す。
「貴方も、そう思うでしょう?」
「それは、まあ…」
「だっておかしいわよね?いくら幼馴染だって、一緒に暮らすだなんて―――」
世間体を何よりも気にする、彼女らしい言葉だと思った。
ね?と私を見て微笑む彼女の目は笑っていない。私はそんな彼女が苦手だった。
そして思い出すのは私と圭祐中学2年生の頃―――5年前の冬のことだ。
『…離婚、するって』
夜遅く突然呼び出された私は、寒空の下公園のベンチに腰掛けて小さくなっている圭祐を見つめた。
『……、……』
ことばが、出なかった。なんて声をかけたらいいか分からなくて黙っていたら、彼の頬を、涙が伝った。
私はそれを見て、ひどく驚いたのを覚えている。
それまではただの幼馴染で、ちょっと喧嘩し合える男友達くらいにしか思っていなかった圭祐だったから。
強い人だと思っていた。でもそうじゃなかった。私は何も知らなかったのだと気付いて戸惑った。
そして彼はゆっくりと、話し始めた。
家庭のこと、両親のこと、私が、今まで知らなかったようなこと。
私はただ頷いて聞いていた。
それから、帰りたくないという圭祐と、一晩中ベンチに座りながら星空を眺めてたわいもない話をした。
『…あの時、皆実が居てくれて、よかったよ』
あとになって、圭祐がぼそりと呟いたことがあった。
あの後状況はあまり変わらないままであるが、世間体を気にする彼の両親が離婚に至ることはなかったのだ。
きっと、その頃からだったのだと思う。
圭祐と、深いところで、繋がれたような気がしたのは―――。
* *
「――ちゃん、皆実ちゃん」
ハッと気付けば、さっきまでとは違う景色の中にいた。
私の顔を芳井君が覗き込んでいるのが視界に映る。
いつの間に、移動していたのだろう。圭祐の母親とどうやって会話を終え、どうやって別れたのか。はっきりと覚えていなかった。
「…そんなに、心配?」
芳井君の問いかけに、私は迷うことなく頷いた。
すると彼はしばらく考え込んだような表情をして、ひとつ、大きなため息をついた。
「―――甘かったなぁ…。」
「……、ごめん…」
彼が、何を言いたいのかがわかって、私は俯く。
「謝んないでよ。最初にあの条件をのんだの、俺なんだし。」
芳井君からの告白をもらったとき、私はひとつの条件を出していた。
『圭祐のこと、大切にすること』
『え?』
『私は、彼氏ができてもきっと、圭祐のことも変わらずに大事なの。
はあ?ってこと、あると思うの。
そういうのも全部許して、同じくらいに――大切にしてくれる?』
何様なんだろうって、自分でも思ったけれど、これだけは譲れなかったのだ。
杳のことがあってから、より一層強く思ったこと。
変わらないものであって欲しい想いだから、それをわかってくれるような人じゃないと、私はきっと―――その人さえも、大事にできないと。
「俺は望むところだって言ったよね。でも、やっぱり難しいや。悔しいけど…ギブアップ、してもいい?」
寂しそうに言う彼に、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、小さく頷いた。
「勝てないんだなあ、どうしても。皆実ちゃんも、これを恋愛感情じゃないって、言うんだろ?」
「…うん」
「じゃあ、なんなんだろうね?」
―――それは、私もずっと考えてる。
* *
「ただいまー」
呼び鈴を3回鳴らして、ドアを開けた。
返事は、ない。
「圭祐ー?」
圭祐は、自分のベッドの上で、布団に包まり丸くなっていた。
あまりにも丸いから、ちょっと笑いそうになる。動物みたい。
「寝ちゃった?」
「…寝ちゃった」
「ぷ、何、ふて寝?」
「おいおい、つっこめよ」
「いやだって起きてるじゃん。…どしたの」
ベッドは私が腰かけると、ギシ、と音をたてた。
そして彼はのっそりと起き上がったが、何も言わない。ただ俯いて、眉間にシワを寄せて難しい顔をしているみたいだ。
明らかに、様子が変。
「武仲さん、何だって?」
「……………」
圭祐はまだ、黙り込んだままだった。
◇ ◇
皆実の目を見れなくて、視界に入っていた彼女の腕を軽く引っ張って、抱き寄せた。
目を閉じると、ふ、と笑う声が肩から聞こえた。優しい音だった。
安心する。
「…………どーしたの?」
彼女の手が、背中に回った。
そしてゆっくり、優しく叩かれた。ぽん、ぽんと、まるで子供をあやすように。
それは不思議と、心地よかった。
「……親父が、家に戻ってくるんだって。もう定年だし、今までのことをおふくろに謝ったらしい。一緒に暮らしたいって」
「うん」
オレの両親は物心ついた頃から既に仲は悪く、離婚話は何度も出ていた。そのたびにショックを受けていたオレだったが、世間体を気にする二人が結局離婚に至ることはなく、途中からは呆れて何も感じなくなった。
親父に転勤の話が舞い込んでからは、単身赴任と言う名の別居となり、二人はお互いに別の相手をつくり、好き放題していた。
それらの事情を、皆実は大体知っている。だから吐き出すように、彼女の肩口に額を埋めて今日あったことを話す。
「二人にはなりたくないんだって。」
「……」
「オレが、戻れば、頑張るとか言って」
「そっか…」
「今更だろ。そんなことにオレを利用することしかできないのが情けないんだ」
「うん」
「……でも、あんな風に頼まれたら、オレ断れない」
信じていたときもあった。二人はいつか、仲直りしてくれるんじゃないかって。
だからこそ、オレなりにできることをしようって。
「二人の仲を、裂きたいなんて思ってる訳じゃないから…」
けれども今のオレの家は、此処なんだと思っている。失いたくない。
「…どうするの?」
「わかんねぇ……、どうしたらいいのか、わかんねぇ」
「…………」
背中に回った皆実の手に、軽く力が込められたのを感じた。
温かい。温かいこの手の、ぬくもりを失いたくない。
ただ、それだけなんだ。
後編に続きます。